むかし、雑誌の「HANAKO」では中華街特集をしばしば組んでいた。3回目、4回目となると、そのタイトルは単に❝横浜中華街❞というだけではなく、❝これでもか中華街❞とか❝まだまだ中華街❞といった風に変化させて繰り返していた。内容はほとんど中華料理店の紹介だったが、頻繁に店が変わるからいくらでも新情報があったのだ。 そのとき使われていた「通り」を形容するキャッチコピーが印象に残っている。 ❝人気の香港路❞ ❝活気の市場通り❞ たしかに狭い香港路にはお客が殺到していたし、市場通りは買い物客も混じって盛況だった。 そんな市場通りであるが、最近はものすごく様変わりしている。 ということで、この通りの変遷を調べてみた。ただし時系列的に詳しく並べるのは大変なので、昭和37年当時のお店が現在どうなっているのかを対比させてみる。 昭和37年(1962年) → 現在(2021年) =================== 發三電機商会(電気店)→龍門(中華料理店) ときわや(履物店)→龍門(中華料理店) 新合隆(食品店)→新合隆(食品店) 上海菜館(中華料理店)→状元郷(中華料理店) 同順利薬局(薬局)→鳳占い(占い) 池川商店(果実店)→縁占館(占い) 合利電気ラジオ(電気店)→龍(占い) 万興号(雑貨店)→龍(占い) 翠香園(中華料理店)→翠香園(中華料理・中華菓子店) 茶谷惣菜店(惣菜店)→翠香園(中華料理・中華菓子店) 鯉屋(鮮魚店)→青海星(中華料理店) 関本商店(食品店・タバコ)→福満園(中華料理店) 愛知屋畠山商店(酒店)→四伍六菜館土産店(食品店) 安藤生花店(野菜・花)→占い笑顔(占い) 菊池金物店(金物店)→永福楼(中華料理店) 栄屋(喫茶店)→外丸(雑貨店) 手島食品(食品店)→手島食品(食品店) 万和商行(雑貨)→龍華楼(中華料理店) 平和食品(食品店)→龍華楼(中華料理店) 清川(寿司店)→龍華楼(中華料理店) 成田屋(食品店)→亜細亜箱(雑貨店) さかもと商店(食品店)→さかもと商店(食品店) 山下薬局(薬局)→頂好食品(食品店) 鳥鎌商店(肉店)→香港飲茶専門店「KiKiレストラン&売店」 丸兼商店(鮮魚店)→香港飲茶専門店「KiKiレストラン&売店」 高島青果店(青果店)→金鳳酒家(食べ放題) 西山化粧品店(化粧品店)→ 金鳳酒家(食べ放題) 永井鮮魚店(鮮魚店)→盛福楼(中華料理店) 池川商店(青果店)→横浜酒家(食べ放題) 池川商店(食品店)→酔楼(中華料理店) 中川商店(鮮魚店)→白鳳(中華料理店) 八百とき商店(青果店)→北京ダック専門店(食べ放題) 二葉靴店(靴店)→北京ダック専門店(食べ放題) 洗心園(盆栽)→北京ダック専門店(食べ放題) 三和商店(玩具店)→萬金楼(食べ放題) 四五六菜館(中華料理店)→ 四五六菜館(中華料理店) えびや(鮮魚店)→慶福楼(中華料理店) 矢車草美容室(美容院)→慶福楼(中華料理店) 小島食器(食器店)→景徳鎮(中華料理店) 小島食器(食器店)→蓮香園(中華料理店) 小堀食品店(食品店)→美鳳(占い) 武一鮮魚店(鮮魚店)→手相(占い) 押谷果実店(果実店)→福臨閣売店(中華食品) 藤屋商店(肉店)→青海星(中華料理店) 山下薬局(薬局)→桃香園売店(中華食品) 昭和37年、東京オリンピック前は「市場通り」という名のとおり、生活関連の日用品を商う店が多かった。 肉・野菜・魚といった生鮮三品はもちろんのこと、履物、薬、酒類、花、金物、化粧品、靴、玩具、盆栽まで売られていたし、物販以外にも喫茶店、寿司店、電気工事店、美容室などもあった。まさに市場だったのだ。 町が変わり始めたのは、日中国交回復が行われた昭和40年代後半からだったと思う。生活関連の物販から飲食の町に変化していったのである。 さらに小さな店を数軒まとめて大型化もされていった。その象徴的な変化が八百とき商店+二葉靴店+洗心園(盆栽)を合わせてつくられたパチンコ・ゲームセンターである。現在、そこは北京ダック専門店になっている。間口が広いのは、そんな経緯があるからなのだ。 そして現在の市場通りは、占い&開運グッズ、食べ放題、歩き食いをするための売店が目立つようになっている。 市場通りの牌楼を飾る“食べ物”たち♪ 豚が見えないけど、肉になっているのかな……。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
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