
横浜都市発展記念館で「奥村泰宏・常盤とよ子写真展」が開催されている。企画展のタイトルは「戦後横浜に生きる」。中華街ランチを食べがてら、写真展を観に行ってきた。 会場には昭和20~30年代に撮影した戦災孤児・浮浪児・混血児・アメリカ兵・売春婦などを中心と撮影した写真が展示されているが、その背景には当時の横浜の風景も写っている。 ![]() 場内は撮影禁止であるが、中に入るまでに掲示されている写真はOKなのだろう。懐かしがって観にきた爺さんたちが、この写真なんかを撮影していた。もしかしたら、この中に自分がいるのか…… ![]() 奥村・常盤夫妻の写真は大好きで、若いころからよく見てきた。おそらく今回の企画展で展示される写真も見たことのあるモノなのだろう。 でも、中には初対面の写真もあるかもしれない……と思いながら記念館に入場した。 会場内は、もちろん撮影禁止である。だからパンフレットに載っている写真をパチリと…… ![]() これはキャバレー・サクラポート内の写真で、常盤とよ子さんが撮影したものだ。解説文を読まなければ、彼女たちはホステスなのかと勘違いしてしまうところだったが、この人たちは女子プロレスラーなのである。昭和30年の撮影。 キャバレーのダンススペースに特設リングをつくり、そこで女子プロレスをやっていたそうだ。まるで見世物かストリップまがいの興業だが、常盤とよ子氏は彼女たちを職業人として撮影していたようである。 この、「サクラポート」、以前の記事でも話題にした進駐軍向けの施設だ。 ![]() 昭和21年(1946)1月15日の神奈川新聞に載った募集広告。 ダンサー500名急募! ほかに将校倶楽部のダンサーも100名募集している。こちらは本当にダンサーなのか……? このサクラポートの所在地は、広告によると花咲町4丁目 紅葉坂下とある。桜木町駅の近くだ。駅前には港湾労働者が集まる寄場があり、ここから艀(はしけ)に乗って港の仕事に出かけて行った。「桜」+「港」=「桜港」。つまりサクラポートだ。 最後の行に、所在地を少し詳しく書いてある。 省線桜木町駅より西北四丁(旧紅葉閣)。 以前の記事にも書いたことだが、紅葉閣って、正確にはどこだったのだろうか。 気になって、眠れない……。 ![]() |
自虐教育から解放されますよ
ありがとうございます。
紅葉閣の場所が気になって眠れないとのことでしたので、お知らせします。
昭和12年発行の『横浜市商工案内』によると花咲町4-111とのことです。代表者は伏見幸右衛門となっています。
情報をどうもありがとうございます。
さっそく調べてみます。
又、花咲町の古老からサクラクラブというダンスホールがあったとも伺っています。このサクラポートって、そのダンスホールの事でしょうか?
私は紅葉閣の写真を探していて、このサイトに行き当たりました。どんな建物だったかみてみたいですよね。
どうもありがとうございます。
当時の広告で花咲町四丁目紅葉坂入口となっていますから、
団地のあった場所なんですね。
サクラクラブ=サクラポートなのかどうかは分かりません。
昔の新聞をいろいろ見ているので、
そのうち判明するかも。
私も写真を見てみたいです。
花咲町はちょっと前にご訪問先のおじい様より、花街があった頃のことを詳しく教えていただきました。
すごい話ですね。喫茶店みき、行ってみたいです。
花咲町の花街の話も聞きたいです。