先日の記事に書いたレンガ積み遺構ですが、昨日、再確認のために現場を訪れるとこんなふうになっていました。 工事関係者が中に入り、なにやら工事をしているのです。 最初に見たときには無かった鉄骨でレンガ積みを補強していました。 そして、すぐそばまでコンクリートミキサー車が入ってきて、生コンを打っているところでした。 この鉄骨をコンクリートで固めています。 これはもう、完全に「現場で保存」のようですね。 それにしても、よく横浜大空襲を潜り抜けてきたものだと感慨深いものがあります。 ところで、前回の記事に対するメタ坊さんのコメントをご覧になりましたでしょうか。 そこに昭和20年10月2日に米軍が空撮した現場付近の写真がリンクされています。 これです。 その一部を切り取ってみました。 矢印の建物が、いま話題になっているモノです。(どうでもいいですけど、三塔が丸見えですね)。 これを拡大してみましょう。 手前の角地が数年前まで「セントラルグリル」があった場所です。昭和20年10月2日の時点で何か建物らしきものが写っていますが、よく分かりません。 その奥の小さな建物が、レンガ積みなのかな。 そしてその奥は爆撃で更地になっているようですが、現在はビルが建っています。 これは昭和39年の「横浜市三千分の一地形図」。 矢印の建物が現場です。 1はセントラルグリル。現在は宝くじ売り場と駐車場。 2は現在、日経横浜支局ビル。 3は綜通横浜ビル(旧本町旭ビル)。昭和5年に江商横浜支店として建てられています。 もう何年か前のことになりますが、「セントラルグリル」の裏を一部解体していたとき、レンガ積みの擁壁が出現していました。 おそらく、あれは今回出てきた建物の一部だったに違いありません。 ま、今あるレンガ擁壁はどういう形になるのか分かりませんが、とにかく保存されるようですね。 ということを確認して、帰りに宝くじを買ってきました。 10万円でもいいから当たればいいな~♪ 参考に・・・セントラルグリル ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
歴史から消えかけていた物・・・
よく残ったと思います。
昭和20年5月29日の大空襲でもレンガ壁は生き残り、
それが蕎麦屋の壁の中に閉じ込められいて、
いま、何十年ぶりかで姿を現したのです。
ここを休憩所にしたら嬉しいです。
一昨年末、ちょっとした行き違いで、疎遠になってしまっておりました。
悔やんでも悔やみきれぬ思いで一杯です。
この方、ある慈善活動をされていたのですが…
団体は解散 その人の名前もグループ名も、全て消えてしまうのでしょうね…
煉瓦壁
歴史から消えかけていた物が、姿を現してきた…
今度こそ、大事に保存して戴きたい!
残る物
消える者
いよいよ年の瀬
来年に向けて「何」想う…
合掌(泣)
なるほどそんな感じですね。
補強しているのはいいのですが、
向こう側にビルがあって、壁面の外側が見えないのが残念です。
写真で拝見しますと、実に丁寧な補強作業が行われているようですね。
この様なお宝映像を拝見しますと、迷子になりながら7年かけて宇宙から戻ってきた
「ハヤブサ」と思いが重なり思わず胸が熱くなります。