
昨年の話になるが、料理の歴史や謎に詳しい「いその爺さん」から、『中国料理技術選集 支那風俗』という貴重本をお借りした。 大正10年に井上紅梅という人が書いた本の復刻版である。 たいへん面白く読ませていただいた年末、これをお返しがてら杉田で一杯やることに。 向かったのは新杉田駅近くの「乃津」。若い頃よく利用していたイワシ料理の店だ。 ![]() ビールで乾杯したあとは、まずイワシの塩焼き(冒頭の写真)。丸々としていて美味しい。自宅でやってもこういう焼き加減にならないのはどうしてなのかね。 続いてイワシの明太子焼き。中に梅干しの練ったものを入れるというのはよくあるが、これは明太子を詰めている。 ![]() シメサバ。これは福富町の「大鵬」にはかなわないね。 ![]() イワシ刺身。こういう風にカットすればいいのね。 ![]() これがお借りした本。 ![]() 李鴻章雜碎(チャプスイ)の話が出ている。 清朝末期の政治家・李鴻章がアメリカに渡ったとき、毎日、西洋料理ばかりで飽きてきたので、ある者(同行した清国人か)に中国料理店を開かせて、そこで自分の料理を作らせたという。 これを食べているのを見たアメリカ人が2,3の質問をしたら、李鴻章はただ「雜碎」とだけ答え、それ以来、雜碎の名はおおいに宣伝され、ニューヨークだけでも雜碎館が300~400軒もできたそうだ。 その後、アメリカ各地に同様のお店が出現し、李鴻章雜碎として広がっていったというのだ。 これと日本への伝播との関係は書かれていないが、詳しく知りたい方はいその爺さんの記事をお読みくださいね。 ![]() |
フグ料理店ということになっちゃったようですが
いいですよねえ、いわし!
いつか私も誘っていただきたいです。
先日、村田屋でイワシ刺身のランチを食べてきました。
美味しかったけど量がちょっと少なかったです…
昨日は自分でイワシのハンバーグを作りました。
上手くできました。
歴史好きの方々を誘って、一杯やりましょうね。
先日野毛パリ一で食べたイワシも美味しくて最近はまっています。(笑
李鴻章雜碎はその後 詳しい書籍を教えて頂き読んでみると紀元前があるようです。後日またそんな所を肴に一杯。。。(^_^;
「パリ一」は20年ぐらい行ってないです。
李鴻章雜碎のその後の話を楽しみにしています。