エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

偽物づくし - 竹光よりもっと偽物 

2017年06月23日 | 雑感

 2017年6月17日

  この一振りの懐剣を持って父の祖母ミツは嫁いで来た。 嫁いですぐに西南戦争が起こり、西郷軍として参戦した

ミツの夫は熊本の小川で戦死した。当時身ごもっていたミツは懐剣をふところに村の裏山を逃げ廻ったという。

                                       

 

                                        

ミツが生んだただ一人の男の子が私の祖父だった。この祖父には10人の子供がいた。しかし、そのうちの

4人は結核のために早くして亡くなった。長男だった私の父は次々と生まれる弟・妹のために手がまわらなくなった

母親に代わって、祖母ミツに育てられた。祖母ミツは人格的に優れ、父は生きていくうえでこの祖母から

大いなる影響を受けた。

                                                              ―中略―

ところで昔、この懐剣を父は研ぎに出した。研師が言うには「いいお刀でございますな、そんじょそこらにあるもの

では御座いません。これで銘さえなければよろしいんですが」その銘は“来(らい)國次”だ。

しかし、銘が来國次であろうとなかろうとみつばあさんの大事な守り刀、それは父にとっても大切な宝だった。

と、これは『みつばあさんの守り刀』という題で以前作ったもので、“銘さえなければ”云々が“おち”と考えたのだ。

 

 ところが我が家の刀についてはさらに”おち”があった。わかったのはごく最近のことだ。

銘があるために不当な評価を受けている、まともな(偽物だからまともなという表現はおかしいかな)刀はほかに

二振りあるが、その他に、私が見てもこれはちょっと?という刀が四、五本はある。

いずれも銘はなく、ずいぶん錆びている。

 

最近、私は比較的さびの少ない刃渡り28センチの脇差を山刀にしようと思いたち、Nに研ぎを頼んだ。

Nは山仲間の後輩だ、靴修理のほかに包丁研ぎを専門としている。

年末に高校時代の山岳部の山小屋に薪を補充しに行った時のことだ。 そのときYから、

「あの刀、ハガネがないからN、苦労してまっせ」と聞いた。

 「えっ!」と思って、帰ってすぐにNに電話を入れた。

「いったいどうなってる?」

「いえ、ハガネが入ってへんから、刃が立ちません」

「刃が立たない?」

「そう、そやから刀の波紋が出ませんのや、 あの刃先とみねの間に普通ありますやろ、あの波模様・・」

「ということは、竹光とおんなじか?」

「まあ、そんなもんです」

「それやったらもう柄を付けるのはやめてくれ」

「いや、もうできあがってます、近いうちに持っていきます」

 ということで、わが脇差は一応きれいに研ぎあがって、柄もつけられ、地酒一本と引き換えに私の手に帰ってきた。

 

 しかし、大根など、切るのは切れるがすぱっとというわけにはいかない。これでは山に持って行っても

木を切るのはしんどい。

 ちょうどそのとき親戚から大型タラバガニが一匹送られてきた。それを鍋と焼きカニにするために、太い足を

ぶった切ることになった。するとこの刀、鈍いながらその重さで出刃包丁よりもよく切れる。

研ぎもハガネがないだけに簡単だ。ということで、山刀としてではなくて、太ものぶった切り用料理包丁として

使うことになった。

 ハガネがあっても銘があるためにその本物の刀の偽物といわれる本当の刀があり、一方偽物の刀の代表は

竹光だが、ハガネがない刀をなんと言うのだろう。

 いずれにしても、わが祖先のサムライ度を明確に示すものだ。

ところで後日談。

 

大学の恩師の奥さんにこの話をしたら、大笑いされた。

そして、刀に関してはウチにも同じような話がある、長船だったか、銘があるためにダメだった、でもハガネが

入っていない刀なんてはじめて聞くとおっしゃる。

 

「それと他にもあるのよ。楽何某の箱書きがある朱色の、けっこういい楽焼のお薄茶碗があったの。3代くらい

前からのもので、楽さんのところに持ち込んで鑑定してもらったの」

その“楽さん”というのは、京都の西の方で陶芸関係の仕事をやってる楽一門の人らしい。 

「そしたらね、楽さん、じっと箱書きと茶碗を見て、『教科書通りの立派な偽者です。いや、いいものを見せて

いただいた。でも先祖代々のいい茶碗だから、大事になさってください』 とのことやったの」

箱書きには銘が二つあった。銘は一つのはずで、二つあるのも決定的ダメ理由の一つらしかった。

 

楽さんの最後の言葉は、“何でも鑑定団”が贋物を持ち込んだ依頼客に言う慰めのセリフそのものだ。