エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

白鵬の“猫だまし”はいいか悪いか

2015年11月18日 | 雑感

2015年11月18日

 

 昨日の大相撲、白鵬が栃煌山相手に猫だましの奇手で勝った。

家内とテレビを見ていた私が、これ問題になるだろうなと言ったら、家内が「なぜ?」と聞いてきたので、“横綱のやる手ではない、前のやぐら投げ(めったに出ない大技)は皆が弱いから遊んでいるのだ”と答えた。

                   

案の定、北の湖理事長が苦言を呈した。

すると彼は、“また変な質問をするね”と言ったらしい。言葉の不自由さはあるだろう。しかし今のところ白鵬は傍若無人で協会の面目は丸つぶれだ。

 こういうふうに彼を暴言野放しにしてしまったのは、相撲協会の失態だ。

 去年の九州場所で、稀勢の里との一番でとり直しになった時に記者団を前に白鵬は暴言をはいた。“自分が勝っていた、子供でもわかる、(審判部は)もとお相撲さんでしょ”。

相撲協会全体を侮辱した発言だ。

その後のことだが、白鵬は反省し、宮城野親方が伊勢ケ浜審判部長を訪れ謝罪し、北の湖理事長へも電話で謝罪した、これをうけて協会は白鵬への責任追及はしない方針となった、ということだった。

 噴飯ものの結末だった。

 まず白鵬自身の謝罪がない。善悪の判断ができる子供が悪いことをしているのに、親だけが謝っている。そしてこれだけの侮辱に対して協会があまりにも弱腰で、これが今の白鵬・傍若無人の言動の原因だ。

あの時もっと相撲協会が毅然とした態度、白鵬引退も覚悟のうえで、まともに謝らせていればこういう事態にはならなかっただろう。

八百長事件で大打撃を受けた協会が、白鵬一人におぶさってなんとか切り抜けてきたという弱みがあったのだろうが。

 

ところで、白鵬はいま相撲を遊んでいるような気がする。これはいい。

負けるときもあるが、それはたまには負けてやろう、あぶなく見える相撲は、そのように見せたほうが面白いと思ってやっているのではないかとさえ私には思えるほどだ。

いずれ彼も弱くなっていくのは避けられないが、彼と対等に勝負できる力士がこれほど長い間出てこなかった時代はめずらしい。過去の横綱にはほとんど必ずライバルがいた。朝青龍が去っていなかったらどうなっていたのだろう。

いま負傷の照ノ富士が回復して成長するのを待つしかないのだろうか。

こういった事態をつくったのも、今の軟弱な相撲協会の責任だ。

猫だましもいい、やぐら投げでもいい。小錦は“相撲はケンカだ”と云って問題になったが私は何とも思わなかった。ケンカでも何でもいいが、なんとなくの品格が横綱にはほしい。

 

今日も一見危なく見える相撲で白鵬は稀勢の里に勝った。