(一)1日千日回峰
二十数年前、家内は比叡山の1日千日回峰に参加した。
導師は内海大阿闍梨だった。
朝日カルチャーセンター第一回目のこころみだった。20名ほどの参加者のなか、女性は4名。
山頂に近い居士林に集まり昼食。午後からは、写経や釈迦堂での座禅。翌午前2時出発で阿闍梨さんの行程を辿って
約20数キロほど歩く。
「ナーマク サーマンダバー サラナン・・・、」真っ暗な山道に各々が持った懐中電灯の灯が点々と続く。
途中、「石車に乗らないように!」と注意が飛ぶ。小石にのるとひっくりかえるというわけだ。
「ここは滑りますから注意してください」と朝日カルチャーの人が云ったとたん、
「ハイッ」、 ズデン!
見ていて、ちょっとあのひと、あぶないーと思っていたら・・・やはり歳というものは争えない。
最年長の70をちょっと越えた男性がひっくりかえった、と面白そうに話していた家内は、今やその年齢に近づき、
私はその男性の年齢を越している。
ところで真っ暗な山道が夜明けとともに次第に明るくなって、眼下には琵琶湖のうみがくっきり見えてくる。
その感動は長い間 家内の頭から消えなかった。
しばらくのあいだ比叡山を仰ぎ見るとき彼女の頭はじーんと熱くなったらしい。 内海大阿闍梨から頭の上に数珠を
載せてもらった感触が残っているからだ。
千日回峰で、家内はいかに食べ物というものが尊いものであるかを教えられた。
正午から始まった食事は厳格そのものだった。
彼女ら1日行者が食事をする後ろを、僧侶が静かに歩く。そして厳かに云う。
“ご飯を頂くときは音をたててはいけない”“箸の音をさせてはならない”、“だされたものを残してはならない”。
緊張から、味噌汁というもの、つまり液体が喉をスムースに通ることは固形物よりははるかに困難なのだということを、
このときはじめて家内は経験をしたという。
そして、食事のまえには、自分の椀からごはんを数つぶとって、小鳥など、施餓鬼するために小さな皿にいれて
窓際に置く。それほど食べものは大事なのだと教わる。
“いい経験をしてきたな”、とその時わたしは昂揚している家内の気持ちに拍手した。
この話は、次の話でぶちこわしになる。
(二)落慶式
私達は一時期、ある座禅会に参加していた。有名ではない寺だが和尚さんを含めてみんないい人たちだった。
週日曜日6時から1時間の参禅のあとは般若心経をとなえ、塩コブと漬物だけがついたおかゆをいただく。
本当においしい! そしていつもすがすがしい気持ちで帰宅するものだった。
私らが参禅を始めたころは新しい本堂がほぼ完成に近づいていて、大本山から多数の僧侶に来て頂いて落慶式を
とりおこなうことになった。その時に手伝いがいる。そこで家内は頼まれて手伝いに行った。
帰って来た彼女の話を聞いて唖然とした。
法要のあと、○○寺御用達の仕出し屋の料理が出された。みな席に着き、お坊様のあいさつのあと食事となった。
さあ食べようと家内らが箸をとった。すると、お坊様たちは、蓋をあけてほんの一口、二口手を付けただけで
ザッと立ち上がった。これで食事完了らしい、そして帰っていった。
残った料理はそのまま○○寺御用達の料亭のポリバケツに全部ほり込まれ、その料亭のワゴン車へと運びこまれた。
家内たちはといえば、その料理をバケツにほり込む手伝いをしたという。
あの回峰行で、小鳥たちのために自分の椀から米を数粒づつ残した行為はいったいなんだったのだろう!、と
彼女は云った。
食事をこんなに粗末にして胸が痛んだ坊さんはいなかったのだろうか。