エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

  Hのこと

2015年11月15日 | 雑感

2015年5月22日

 

先週、大学のクラス会があった。30名の同窓生のうち24名が残っている。

みな自分の近況報告のはずが、3年前に亡くなったHの話で盛り上がった。

会社に入ると自分の力ではどうしようもない道にはまり込むことがある。この点Hは運の悪いとしか言えない道に相次いでほり込まれた。

場を与えられたなら、豪胆で人に好かれた彼はちがった道を歩んだだろう。むろん、彼の甲斐性不足もあったろう。


このH、“皆様に大変ご迷惑をおかけいたしました”というか、皆に世話をしなければいけないような気にさせた。

勤めの場を転々と変わったから、その土地、土地の同級生が彼とつきあった。福井、岡山、名古屋、東京(本拠地)、大阪、その他。


関西地区ではNが彼をケアした。Hが来る度にNから連絡が入る。

“Hがくるから、集まるか”とミニ同窓会が開かれる。

彼は酒が好きで、いろいろ病気をわずらったがそれにもかかわらず飲む。

あるとき、Hがハイキングにくるというので、NがJをさそって待っていると、Hは二日酔いで現れた。ハイキングどころでない。2人はとぼとぼ1キロほどHのあとについて歩き、ハイキングは終わり。  NもJも六甲縦走などで一日50キロほどは歩ける強者だ。


“別になにもケアしてない”と謙遜するが、東京のTもよくつきあった。あるとき、一緒に食事した。Hは自転車で来た。彼らの家はお互い近くにある。十分に飲み食いしたつもりで別れたが、Hは途中自動販売機でさらにワンカップ一本を買って飲んで、自転車で電柱に激突、入院。 翌日連絡をうけたTはカンカンに怒って病院に行った。


今回の同窓会幹事役のEもけっこうな目にあっている。Hに言われたので東京での同窓会を企画した。

同窓会があと3週間というとき、Hから“オレ、マチュピチにいくから、欠席する”という連絡が入った。結局Hは体調を崩してマチュピチどころか同窓会にも行けなかった。

してやられたEは、このことを笑い話にしておさめている。

なぜわれわれの学年はこれほどHにやさしいのだろう。彼はなにか特別の雰囲気を持っている。むろん、Hのオーラがきかない仲間もいる。


彼は、昔から日本百名山に挑戦していた。

ところが、先日の同窓会で、百名山を変更させた仲間がいると知った。

“百名山はなんとか登れるやろ、そやけど、外国の山は体力があるうちやないとあかん“、ということでニュージーランド、その他の外国の山に変更したそうだ。

                                                     

それが、最後のマチュピチ願望につながったのだろうか。

だから百名山は、結局達成していない。

 

彼の生活、特に退職後は破格だった。調子がいいと、山に登り、酒をくらう。そして、調子が悪くなるとじっと病をえた獣のように横たわる。

大阪のNが心配して電話をかけてもかからない。

私も彼を携帯で探す。

 

ある日の朝、Nから電話がかかった、

“Hの娘さんから、お父さんがあぶないので!”という電話があったという。

Nは奥さんから“今までのことがあるから、後悔しないように”と云われて私に電話してきたのだ。

二人で東京に向かった。

 

病院で見たNには、もう意識はあるとは思えなかった、看護婦さんに溜まったのどの痰をスポイドで吸いとってもらっている。

 

「お前、マチュピチに行くはずやなかったんか!ここで、なにしてるのや!」と私は呼びかけた。

Nも声をかける。やがてEとMが来た。

 

奥さんは、“もう意識はない”というが、娘さんは必死だった。

“聴こえてますよ、絶対、お父さん。Nさんが来てるのよ、わかってるね!、ちゃんと聞こえてますよ、Nさん!”

これは、すごかった。家庭的にはHは随分いい加減な男だったから、奥さんの冷静な対応は納得できたが、これだけ娘に好かれていたとは感動的だった。

娘さんは、特殊な分野だがそこそこ名の通ったシンガーソングライターだ。

 

その日、Nと私が新幹線に乗って帰る途中に彼は亡くなった。

 

 娘さんは、父親のために、できるだけ沢山の友達に来てもらおうと、彼の携帯を調べて頻繁に連絡のある人物に片っ端から連絡した、それにNがひっかかった。

彼女は、我々が大阪、京都から来たと知って恐縮したが、どこの人、などと考える余裕はなかったようだ。

 

さて、私はこれほど娘に慕われるだろうか。