窓に映った部屋 

小さい頃、叱られては、窓に映った部屋に逃げたいと思っていました。同じ部屋なのに別世界に見えて。

実朝

2006-03-11 08:32:13 | ことば系
ツァラトゥストラがなかなか読み進まず、自分で自分にしびれをきらして、気分転換に小林秀雄の「モオツアルト・無常といふこと」に挑戦。

「言葉のチカラ」関連で気になった部分
(99ページ)―― 文学には文学の真相というものが、自ら現れるもので、それが、史家の詮索とは関係なく、事実の忠実な記録が誇示する(いわゆる)真相なるものを貫き、もっと深いところに行こうとする傾向があるのはどうも致し方ない事なのである。――

ほんとにまあ読みにくい文体だけれど、どこか惹かれる。


「文学には文学の真相が自ら現れる」
言葉の力について言っているようにも思えるし、フィクションの価値について言っているともとれる。

しかし、そういったものを見てとれるというのは、どんな感覚なのだろうか。

そういう境地になるまで、文献をあさってみたいものだ。

「感情的」と「理性的」 ― 気になるブログ

2005-09-06 18:15:59 | ことば系
「議論」に関する議論を追ってみた。
追ううちに、なんともモヤモヤした気分が胸に充満していったが、この記事を見つけて心が晴れた。

seesaaのブログ『兵法 -primitive-』の「相手が感情的になると言うが…。」

さて問題の会話文だが、これを追うのがどうも簡単にいかない。
はてなグループ「モヒカン族」というもののキーワード「ムラ社会」
の例として挙げられているものらしい。

ちなみに、ここに挙げられている他の例で

  ・既存の手作業処理をプログラムで効率化して一瞬で出来るようにしたら
   「そんな楽をしたらダメだ。心が入っていない」
とか
  ・トラブルの根本的な原因に気が付いたので報告したら
  「その担当者に角が立つから……」と黙殺された

という記述があって、そういう事象を招く守旧的な人物像にイライラする気持ちが共感できるのだが、例の会話文を同じ文脈で笑えるかとなると微妙だ。

「宣伝先行のクソ映画」この言葉のチョイスとタイミングが、ちょっとどうかというのがあるからだ。先に愚かな言動をとってしまっているのはどっちだ、と。


まあ、この会話文を創作して掲載した人の真意の中に、
「自分の中では既定となっている事を、無駄な時間をとらずに言ってしまう癖のある人が、結局そのために無駄な科白を消費するハメになる状況」を描出するというのがあったのかもしれない。
だが、このサイトの位置づけが、わかるようでわからない。

ともあれ「議論」に関する議論を追って感じたことは、「感情的」⇔「理性的」は直線上の対極にあるものではないということ。

理性的な姿勢で対象を分析し論理的に記事を書いているように見える人の文でも、
よおく見ると、論理の展開に感情による穴があいていたり、文意の読み違えをしていたりする。

それに気づき私は、少しほっとしている。

【TB】好きな漢字を1つだけ

2004-10-03 23:24:11 | ことば系
卍(まんじ-万字)同好会というものがあることを
もけさんのブログで知った。

みんなに好きな漢字を1字ずつ挙げてもらい
一万字を目指そうというもの。
発起人はDoblogの「とりささみ」さん

漢字は好きなので、参加させてもらった。
いろいろ好きな漢字があってなかなか選べなかったが、
とりあえず、今一番気に入っていて、他の人が挙げていなかった「嬉」(うれ‐しい)にした。

小さい頃は漢字をおぼえられずに泣いていたが、今ではすっかり漢字好きだ。
表意文字というところがいいし、抽象語が(読むときは)わかりやすいし、かなと使いわけて文字数の加減ができたり。。多く使いすぎると不合理だけど、バランスよく使えば、なかなか素晴らしい文字だと思う。

ところで、1万という数は、ちょっと聞くと多いと思ってしまうが、実際どうなのだろう。
私はもともと数の感覚があまり発達していないので、こういうときいつもピンとこないのだが、言葉というものはある程度まとまった量がないと表現しにくいものだから、けっこうケタ数はあるはずだ。

試しにいろいろ調べてみよう。
「学年別漢字配当表」で6学年合計するとおよそ千。
常用漢字の数はおよそ2千。

ウィキペディアで調べてみると
JISの第一水準が2965字
〃  第二水準が3390字 計6879字('97年)

ウィキペディアの JIS X 0208 の項

このJISの約6千字は漢字検定の1級の目安にもなっている

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せっかくここまで書いたからもう少し調べてみよう

よく中学校や高校で配られる「便覧」(国語の資料集)に書かれているのだが、
漢字の作られ方(造字法)は象形・指示・会意・形成の4つに分類されている。
象形はすぐに意味がわかるし、指示と会意はどうでもいいのだが、
「形成」
これが全漢字の8割を占めると書かれている。


形成文字とは「航」のように、意味を表す字(舟)と発音を表す字(亢)を組み合わせた文字。
この仕組みがわかってくると、(かつ、一定量の漢字の音読みをおぼえてくると)漢字攻略が
面白くなってくると思うのだが、中学生にあまり知られていない。


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ところで、ところで、
あまり知られていないことと言えば、上に挙げた「航」の字の部首は何かと漢字検定で出題されたら「舟」であって「亢」ではない理由。

その理由のカギは「康煕字典(普段書かないのに一発で変換された・・・汗)」にある。
明治以降の日本の漢和辞典のほとんどが「康煕字典」の部首と配列にしたがってきたらしい。


では康煕字典はどのように部首を決めているか。

まず、ものすごく古い「説文解字」は字義(漢字の意味)を重視して部首を決めている。

その後の「五経文字」は字形を重視している。

そして清に編纂される「康煕字典」は、なんとその折衷案。
(明の「字彙」も折衷案。こちらの方が先。)

そのため、字形で部首がわかるものの中にぽつぽつと字義で部首が決まっているものが混じってしまった。
 
  ex.「字」の部首はウカンムリではなく「子」
    「化」の部首はニンベンではなく「ヒ」

(ちなみに「康煕字典」には47,035字が収録されているらしい。)
超漢字というソフト(?)を作ってる会社の用語解説

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最後に、卍同好会の趣旨とはズレてしまうようなメモを。
「漢字廃止論」というものについての言及をウィキペディアで見つけた。「漢字をめぐる政策」の項(ページの下の方にあります。)
私はこの論を支持するわけではないが、日本語の「表現力」や「学習のしやすさ」、「経済性」などなどの観点から、この論の視点を忘れずにいたいと思う。


◇あとでいろいろ手直しします。
(TB元:もけさんのブログの記事

呼びかたのあれこれ

2004-08-19 19:23:29 | ことば系
市場   職場で「いや~、そんな質問を市場から受けたものですから、同様の質問が他にどれくらいきてるのかなと思いまして・・」と言われた。

市場。

お客様、ではなく 市場。そこに、市場の感覚から離れたものを感じた。
よくいわれることだけど。

そういう私も、なぜか慣れない職場ではとっさに「顧客が」と言う癖がある。企画を立てる立場でもないのにそう言ってしまうのは・・・虚勢からか。

雑誌のサブタイトルで「僕らの~」という言い方もいつも気になる。日常で「僕ら」と言う人はどれだけいるのだろう。「俺ら」「俺たち」「私ら」「私たち」の方が多いと思う。さらに、「僕らの世代の年金がウンヌン」という表現も、書き手が「僕ら」に入るのか、疑わしいような気分になる。

そういえば、我々という語を口語としてまだ使っている人はどれくらいだろう。

我 と 私 の語源の違いも気になる。



2004-08-03 18:19:30 | ことば系
よみかけだった「幸福論」をとりあえず最後まで読んだ。蝉の声につられて少し眠って、その後、もう一度問題のblogを開いて、昨夜は気付かなかった他の人とのコメントのやりとりを見てさらに頭がこんぐらがった。
 
そしていま、この白い入力欄を前にして、フリーズしかかったPCで、慣れないアキュポイントによる操作を余儀なくされた状態で、いったい何が書けるのかというかんじだが、とにもかくにも今書けるだけのものを書いてみよう。

最近すごく引力を感じているblog『嘘の吐き方』で、「欲望が嫌いなんだよ」と「囁くゴーストに言葉なんか要らないんだよ」と「魔法の言葉を探そうよ」の3つの記事(特に3つめの記事)に、なぜかかなり触発を受けて、いろいろ思いが浮かぶのに言葉にならないという状況になった。

ひとつめの記事「欲望が嫌いなんだよ」は、私も自分自身の欲を嫌う気持ちを強く感じるときがあるのでタイトルに惹かれた。本文も、特に救いはなく、最後は『何も要らないよ』で終わってしまっている。

たしかに、何も要らない。
「どうするの」とか「どうしたいの」とか「何が欲しいの」という質問自体が意地悪に思えるときがある。まあ実際はこの記事を読んだ直後に、アイスココアをひと口飲んだけども。

ふたつめの記事では、―世界よ、飽きないのか?―のひとことにやられた。
最近モヤモヤとぶり返してきたこの気分を端的に表してくれたかんじだった。
―人間が居て世界が見えて それだけで恐ろしくなる人は 一体どうしたらいい―
この部分も。

この記事で死という言葉が書かれているために、生を肯定する人が励ましや説教をしていて、そのやりとりについても考えさせられるところはあるが、それを今書くのはやめておこうかと思う。次に行けない。
今すぐに書けるのは、blog筆者(はにゃさん)がコメントレスで「不可解なコメントが多い たぶん(コメント、理解、リアクションの)限界なんだろうな」と推測してたことについて、ホント限界だよと思ったことぐらいだ。

みっつめの記事は、ものすごく凹んでいたときに読んで、その呼びかけ形式の、ちょっとだけ光りが見えるような文体に少しほっとした。

タイトルの「魔法の言葉を探そうよ」の魔法という言葉はどうもピンとこないかんじだが、本文の大部分が共感しっぱなしで、とくに
―諦めたくは無い あきらめたくはないんだよ―
のところが好きだ。

―ただありとあらゆる虚像が目の前を通りすぎて だったらここで立ってる意味はなんなんだと―
ここの言葉にも触発を受けて、いろいろ思いめぐらせたのだが自分の言葉にならない。

ヘッセの幸福論をたまたま開いて、どうも希求しているものが重なるような感じを受けた。この短編は、前半が随筆で後半が小説なのだが、以下のような内容で書き出される。

―人間が生活の苦難や危険のただ中にあっても、芸術や自然の美しさや世界の全体としての姿を感じとることができるかぎり、自分というものにまつわる疑問を繰返し処理して、自分の存在に繰返し意味を認めることができるだろう。「意味」こそ多様なものの統一であるから―
 
 実はその瞬間よりもだいぶ時間が経過してしまって、今となってはこの2つの文のどの点が重なるように思えたのか、自分に説明することすらできなくなってしまっているのだが、推理してみると3つめの記事単品でというよりは、このblog『嘘の吐き方』に繰返し書かれていた命題と、この文との重なりをみたのだと思う。
 いや、もっと厳密に言うならば、私が『嘘の吐き方』を通して自分を見つづけてきたなかで、自然に欲し、自然に意識を強めるようになったテーマと同じことについて書いてあるように思えたのだ。

 今プレビューを見て、あまりの字の量に呆れてしまった。もうこれ以上は書けそうにない。書き足りないけども、一旦切り上げる。

・・・すごい・・・・世界が注目しちゃうわけだ

2004-06-09 22:08:08 | ことば系
gooアニメというカテゴリのところで押井守監督特集があり、そこで「攻殻機動隊」を見て、圧倒されたまま「機動警察パトレイバー」の1と2を見て、もうもう本当に唸ってしまうほどにすごくて、圧倒されっぱなし、びっくりびっくりした。

何だあれは、実写の映画を上回る映画ではないか。
タイトルだけで「どうせ婦警さんフェチな人向けの、パトカーがロボットに変形して宇宙人から街を守る的な話だろ」と思ってたのが悔やまれる

「どうしてそんな名前にしちゃったんだよ!だから避ける人々が出てきちゃうんじゃないかっ」と、見てたときは本気で思った。

3つとも、ふつーに社会サスペンスとして見ることができるのだ。ていうかむしろパトレイバーの2なんかテーマも舞台も深すぎて脳みそが疲れているときは見ることができないと思われるくらいだ。

言葉の限りをつくして上記の作品を誉めたいけれども、言おうとすればするほど自分の文章表現のレベルの低さに呆れて、何も言葉が出てこなくなってしまう。上記の作品の中の長いセリフの数々が、膨大な語彙と修辞に彩られており、構成やプロットを通しても高い文章力が感じられるからだ。

しかし、しかし、ひと言だけ書きたいと思うのだが、現代の日本の若者層に、そんだけ漢字熟語を連発されて通じる人が、何人いるだろう。


「攻殻機動隊」は、テーマ曲の歌詞も聞き取ろうとしたらよけい大変だ。「麗女(くわしめ)」「鵺(ぬえ)」などといった単語を聞き取った耳で、「光学迷彩」とか「生命体」といった単語を聞き取るのも、微妙な難しさがあった。


ブログ祭の企画(追加版1)

2004-05-16 22:51:40 | ことば系
昨夜書いた記事で、ちょっとわかりにくい書き方になって
しまっていた部分を修正します。


評価方法について
○評価者は点数で評価するのではなく、各賞への推薦というか
 「自分的にはこの人の作品が■■■賞です。」というのを
 お互いにコメントなどをつけていけば、お互いホクホク感が
 得られるのではないかと思います。

○賞は日記系、写真系にもあげられるように、
 「ベストぼけ賞」とか「ベスト風味賞」とか
 「ビジュアル賞」などなどいろいろ設定しておけば
 推薦される人(推薦者的には授与)も多くて楽しいかなと。

○上記のやりかたでは、それぞれ勝手に個人的に受賞して
 いるだけでつまらないと思いますので、何らかの方法で
 受賞数(推薦人の数)を集計できるといいなあと思います。
   ↓
  その方策の一つとして、賞推薦の定型文(もしくは記号)の
  設定を考えました。
  定型文ならなんらかの形で集計しやすいかなと思い…。
  サイトごとに集計する方法があればいいのですが。
  難しくなってしまいそうな予感が。
 
 出品者が10人くらいだったら、集計なんて簡単なのでしょうが
 たくさんの人が参加してくださった方が面白いのでしょうし…


 ここまで書いてなんですが、賞はなくてもいいかも知れません。
TBやコメントなどで、作者がいちばん感触を実感できそうです。


同時公開について
○出品の開始時刻はそろえられると面白いだろうなと思います。 

○昨日、メーラーの送信時刻設定の機能を使えばいいなんて
 書きましたが、んな機能PCのメーラではあまりついてない 
 っていうか携帯でも最近は稀ということがわかりました。
 すみません。

○ならば、その時刻に仕事の人は、やはり携帯から一斉に
 みんなコソコソっと送るのが素敵なのでは。
 少しのフライングも愛嬌です♪
携帯メールからブログを更新しよう!

 
トラックバック元: 
砂蜥蜴さんの16日の記事

しようよ。

2004-05-15 19:57:56 | ことば系
勇気を出して言ってみました。(赤)

砂蜥蜴さんのブログの5月8日の記事
みんなで同じテーマで記事を書いてみようよという話が
出ています。

雑文祭はいくつか見たことがありますが、
ブログでやると違った面白さがきっとあると思います。

企画名は「みんなでブログ」略して「みブロ」→「新撰組」
てことでどうでしょう。…わかるかって。

じゃあ「みんブロ」とか「ブログ祭」とか。

評価方法
○コメント
○自分のブログにリンク付きの推薦記事書いてトラックバック
(ちょっと手間だけど、そんな手間も惜しくないと思うほどの
 作品にひとつは出会えると思います。)
○pv数を自己申告
○各賞への推薦意志を示す符牒を決めておいて、
 一定期間経過後に、その符牒でgoogle検索をかけて
 上位にヒットしたサイトが受賞。

出品方法
○タイトルのしばり
○砂蜥蜴さんのところへトラックバック(>砂蜥蜴さん ヒトハダ
 脱いでくださいな☆)

どうでしょう。

あ、あと同時公開の方法について、
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