窓に映った部屋 

小さい頃、叱られては、窓に映った部屋に逃げたいと思っていました。同じ部屋なのに別世界に見えて。

「感情的」と「理性的」 ― 気になるブログ

2005-09-06 18:15:59 | ことば系
「議論」に関する議論を追ってみた。
追ううちに、なんともモヤモヤした気分が胸に充満していったが、この記事を見つけて心が晴れた。

seesaaのブログ『兵法 -primitive-』の「相手が感情的になると言うが…。」

さて問題の会話文だが、これを追うのがどうも簡単にいかない。
はてなグループ「モヒカン族」というもののキーワード「ムラ社会」
の例として挙げられているものらしい。

ちなみに、ここに挙げられている他の例で

  ・既存の手作業処理をプログラムで効率化して一瞬で出来るようにしたら
   「そんな楽をしたらダメだ。心が入っていない」
とか
  ・トラブルの根本的な原因に気が付いたので報告したら
  「その担当者に角が立つから……」と黙殺された

という記述があって、そういう事象を招く守旧的な人物像にイライラする気持ちが共感できるのだが、例の会話文を同じ文脈で笑えるかとなると微妙だ。

「宣伝先行のクソ映画」この言葉のチョイスとタイミングが、ちょっとどうかというのがあるからだ。先に愚かな言動をとってしまっているのはどっちだ、と。


まあ、この会話文を創作して掲載した人の真意の中に、
「自分の中では既定となっている事を、無駄な時間をとらずに言ってしまう癖のある人が、結局そのために無駄な科白を消費するハメになる状況」を描出するというのがあったのかもしれない。
だが、このサイトの位置づけが、わかるようでわからない。

ともあれ「議論」に関する議論を追って感じたことは、「感情的」⇔「理性的」は直線上の対極にあるものではないということ。

理性的な姿勢で対象を分析し論理的に記事を書いているように見える人の文でも、
よおく見ると、論理の展開に感情による穴があいていたり、文意の読み違えをしていたりする。

それに気づき私は、少しほっとしている。

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