ツァラトゥストラがなかなか読み進まず、自分で自分にしびれをきらして、気分転換に小林秀雄の「モオツアルト・無常といふこと」に挑戦。
「言葉のチカラ」関連で気になった部分
(99ページ)―― 文学には文学の真相というものが、自ら現れるもので、それが、史家の詮索とは関係なく、事実の忠実な記録が誇示する(いわゆる)真相なるものを貫き、もっと深いところに行こうとする傾向があるのはどうも致し方ない事なのである。――
ほんとにまあ読みにくい文体だけれど、どこか惹かれる。
「文学には文学の真相が自ら現れる」
言葉の力について言っているようにも思えるし、フィクションの価値について言っているともとれる。
しかし、そういったものを見てとれるというのは、どんな感覚なのだろうか。
そういう境地になるまで、文献をあさってみたいものだ。
「言葉のチカラ」関連で気になった部分
(99ページ)―― 文学には文学の真相というものが、自ら現れるもので、それが、史家の詮索とは関係なく、事実の忠実な記録が誇示する(いわゆる)真相なるものを貫き、もっと深いところに行こうとする傾向があるのはどうも致し方ない事なのである。――
ほんとにまあ読みにくい文体だけれど、どこか惹かれる。
「文学には文学の真相が自ら現れる」
言葉の力について言っているようにも思えるし、フィクションの価値について言っているともとれる。
しかし、そういったものを見てとれるというのは、どんな感覚なのだろうか。
そういう境地になるまで、文献をあさってみたいものだ。
ウチの嫁は新聞もロクに読まないので閉口しております。BLOG FRIENDS も読ませようとしているのですが功なく。納得できんところです。
「文学には文学の……」という一節、私は文学とは文学をあらわすためだけに存在するもので、それであるが故に史実よりも深い思索を含んでいる、ということが言いたいのでは?と考えました。
一言でいうと「小説は事実より奇なり」でしょうか。異論はあると思いますが。
私は……あんま同意しないですね。
実は昨日携帯でコメレス書いてて、そして途中で操作ミスで消えて、化石になるというアクシデントがあり、遅くなってしまいました。(泣
ほんと、携帯で長文コメは書けませんね~
読書は好きなんですけども、私の場合、
幼い頃から本に夢中になりすぎて現実世界の生活が
オロソカになってしまう事があまりにも多くて
あまり褒められたものでもないんデスw
どこか、現実逃避しがちな性格なのですよねー。
私の夫は、その影響をモロにかぶる状況で生きてるので、ちょとカワイソウだったりしますヨ
「文学には文学の…」は源実朝暗殺の事件を『吾妻鏡』の作者が事実を歪曲して書いている(らしい)ことについて
小林秀雄が「真実が透けて見える」と書いているのですが(知ってたらゴメンなさい)
理系文系でいうと、文系の考え方ですよね。
ちょと、非科学的なかんじがしますよね。
ただ、これのおかげで吾妻鏡を精読してみたいな~という気になりましたね。
もともと、実朝は気になる人物で…
それでもし、本当に真実が透けてみえたら、「文」の力を再評価できるんじゃないかな、なんて思ってます。
(結局長文になってしまいますた orz)