「いらち」という表現が4年くらい前に流行ったとおもう。
「イライラしやすい人」とか「イライラしている人」とかいう意味なのだが、私はこの語を聞いたとき、実はちょっと嬉しかったのだ。
私自身、イライラすることがよくあるし、逆にイライラしている人をみて「あ~、イライラしちゃってるな」と思うこともよくあるので、この語を使えると結構べんりだと思うのだ。
例えば、何だかイライラしてしまう日(最低月に一回はある…)に、イライラさせられる人と接しなければならないとき
「ごめん、今日私 いらちだから」
と言い訳すれば、語気が荒くなってしまってもクッションになるだろう。
ああ、いらちが死語になってしまって残念。
ところで「イライラさせられる人」の像は人によって変わるだろう。
私の場合、
「名詞を正しく言わない人」
「主語や、事柄を限定する副詞節を省きまくって会話する人」なのだ。
あと、質問を投げかけておきながら相手が返答を考える時間を待たずに、さらに別の質問を投げる人にも困ってしまう。
その質問がABまったく別のものならむしろ楽だが、Aのセリフ自体が主語などを省いたものだったりして、それをこちらから問い質そうとした瞬間にAの半ひねり形のような質問を言われてしまうとPCのようにフリーズしたくなる。
イライラしてしまう日に限ってまたこれらの人々によく接するハメになるものだ。
ああ「いらち宣言」をしたかった。
「イライラしやすい人」とか「イライラしている人」とかいう意味なのだが、私はこの語を聞いたとき、実はちょっと嬉しかったのだ。
私自身、イライラすることがよくあるし、逆にイライラしている人をみて「あ~、イライラしちゃってるな」と思うこともよくあるので、この語を使えると結構べんりだと思うのだ。
例えば、何だかイライラしてしまう日(最低月に一回はある…)に、イライラさせられる人と接しなければならないとき
「ごめん、今日私 いらちだから」
と言い訳すれば、語気が荒くなってしまってもクッションになるだろう。
ああ、いらちが死語になってしまって残念。
ところで「イライラさせられる人」の像は人によって変わるだろう。
私の場合、
「名詞を正しく言わない人」
「主語や、事柄を限定する副詞節を省きまくって会話する人」なのだ。
あと、質問を投げかけておきながら相手が返答を考える時間を待たずに、さらに別の質問を投げる人にも困ってしまう。
その質問がABまったく別のものならむしろ楽だが、Aのセリフ自体が主語などを省いたものだったりして、それをこちらから問い質そうとした瞬間にAの半ひねり形のような質問を言われてしまうとPCのようにフリーズしたくなる。
イライラしてしまう日に限ってまたこれらの人々によく接するハメになるものだ。
ああ「いらち宣言」をしたかった。