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家族の応援歌

相談活動・短歌・シャンソン

ブログ書き下ろし歌小説『嬢ちゃん』 2

2015-02-28 18:44:32 | 作品

この物語は冒頭からお読みいただかないと意味がわかりませんので
            2015年2月27日から順にお読み下さい。

            

ブログ書き下ろし歌小説『嬢ちゃん』2
 
    吉田先生
 
「襄」の字がまちがって、いつのまにかみんなに「嬢ちゃん」と呼ばれる
ならまだいい。おまえが今も覚えているのは小学校一年生の時のこわーい
先生だ。学校中の生徒が恐れている、そのこわーい「おじいちゃん先生」
がある日教室へやってきた。いつもの吉田先生がお休みだった。

「おじいちゃん先生」は細い体に細い顔で、いつも灰色の上っ張りをき
ていた。教卓につくなり、生徒をぐるーっと見回した。そうして「おい、
そこのぼけなす」と言っておまえたちの一角を見た。おまえはびっくりし
て後ろを見た。ぼけなすとはどこにいるのだろうと。

「おまえだよ、おまえ」と「おじいちゃん先生」はおまえを指差した。
 みんなは笑った。おまえは笑えなかった。不器用なおまえは、きっと、
ぼーっとして見えたのだろう。だが、このことばは種のようにおまえの中
に埋められた。
 
 おまえは担任の吉田先生が大好きだった。
 入学式の日、吉田先生が一年三組五十五人の前に黒いスーツですっくと
立ったときを忘れられない。そのとき自分が着ていた水玉のワンピースも
横にぼんぼりを一つつけていた髪型も昨日のことのように覚えている。
 
 昭和三十一年、男子三十人、女子二十五人。一クラス五十五人もいた子
どもたちを先生はよくめんどうみられたものだ。
 
 学校には裕福な家の子も貧しい家の子もいた。おまえは幼稚園というもの
にも行ってなかったから、初めて大勢の中に入った。だから「引っ込み思案」
になり物もいわなかった。けれど、じっと物を見ていたんだな。長じておま
えも先生というものになったけれど、おとなしい子が「ぼけなす」とは断じて
思わなかった。黙っている分、その子はじっと見ているものなのだ。
 
 吉田先生はだれにも平等だった。
 家の前の路地で石蹴りをしていたとき、吉田先生が通った。うれしくて、
にこりとした。ああ、この先生は路地裏にも来てくくださるんだなと、おまえ
は子ども心にも思ったのだ。
 
 吉田先生はおまえたちを正月五日は必ず家に招いてくれた。そうしてお汁粉
をふるまってくれ、百人一首をしてくれた。先生の娘さんもいた。卒業生もいた。
犬もいた。正月にどこに行く場所もない子たちに訪問先を作ってくれていた。
おまえはともだちとお年玉を出し合って先生へのプレゼントを買って行ったね。
それは白いスピッツのぬいぐるみだった。

 恒例のお汁粉うれし正月に招いてくださる担任の家 
 
それなのに、おまえはよく吉田先生に嘘をついたな。
 なにしろ不器用だから、跳び箱もできなかった。体育のある日の憂鬱といっ
たらなかった。おまえはおなかが痛くなることにした。
 そうして体育の前の休み時間に教卓にいる先生のもとへ行き、言う。

 「先生、おなかが痛いので体育休みます」
 すると先生は「あたたかい毛糸のパンツをはきなさい」と言った。毛糸のパ
ンツは伯母さんが毎年編んでくれてはいていた。「襄さんはおなかがいたいこ
とが多いので、あたたかくするようお母さんに手紙を書くから渡しなさい」と
おっしゃって、さらさらと書いて下さった。
 
 おまえは先生はなんでもわかっているんだな、わかっていて責めないんだな
と思った。
 
 世の中には、良い先生になれる条件が一つあるという。
 それは、よい先生に習ったことだという。おまえは先生になりたかったわけ
ではなかったが、良い先生になれる素質には恵まれていたんだね。(つづく)  
                                  
(この小説はフィクションです。
                     無断転載は禁じます)
 





ついに全編完成ブログ書き下ろし歌小説 『嬢ちゃん』・ 冒頭

2015-02-27 18:04:46 | 作品
これから少しずつ掲載させていただきます。2月27日記念

ブログ書き下ろし歌小説 『嬢ちゃん』 冒頭           作者 しろみ    

 親譲りの不器用で子どもの頃から損ばかりさせている。
 小学校に入った時分、初めての朝礼で行進しているとき右手右足
左手左足が一緒に動き、先生がすっとんできて直されていた。
父も運動は得意ではなかったが、おまえがあそこまで不器用とは、
先行き心配になった。
 
もっとも昔の武士はそのように手足を揃えて走ったそうであるから、
今にして思えば先生もよけいな世話をやいたものだ。意見をしように
もこの父は墓に入っているから何もしてやれぬ。ただ見守るばかりで
ある。
 小学校の帰り道、久しぶりに訪ねてきた伯母さん夫婦がおまえの下
校を出迎えようと路にしゃがんで待っていたが、おまえは見かけても
すーつと通りすぎていった。好きな伯母さんであったが外では恥ずか
しくてあいさつもできなかった。

「襄ちゃん、にこりともせずあれよあれよというまに行っちゃうのよ」
と伯母さんはお母さんに言ったね。
 このとき伯母さんのくれたぺこちゃんの刺繍のついた毛糸のネッカ
チーフがうれしくておまえはずっと大事にしていた。

 こんなわけで、通信簿には必ず「引っ込み思案」と書かれていて、
その文言を見るのがきらいだった。なんでこんなことばがあるのだろう
とおまえは思った。見ればみるほどかえって「引っ込み思案」というも
のになっていくのではないかと。
 
 けれど三年生のとき、先生がクラス替え前に下さった言葉はおまえを
ずっと大きくしてくれた。先生はひとりひとりに手紙を書き、最後の通
信簿にはさんで下さったのだ。そののびのびした美しい文字がいまでも
おまえの目に焼きついている。

 この頃はすこうし勇気が出はじめて発言するねと 師のメッセージ
 ぼんぼりに灯りつけましょ にんがつに父は歌ひて逝ってしまへり

 父はおまえに雛人形を買ってやることもできず、お母さんに抱かれて
見舞ってくれたおまえに、ひな祭りの歌を歌ってやるだけであった。正
直言ってその頃はもうおまえを残して逝く辛さより、自分が生きている
ことの辛さに耐えるのが精一杯だったとも言える。歌も弱弱しいものだ
ったなあ。 
 
 父がいればこそ、女の子だって活発な遊びもでき、運動能力もに育っ
たろうに。
父は墓に入ってしまい、おまえは一歳からおばあちゃんに預かってもら
ったから、用心深いおばあちゃんにいつも部屋に囲われておとなしくし
ていたね。

 働きに行くお母さんとも離れてがんばってくれていたね。おばあちゃ
んの家は急な石段の上、どこかに遊びに出るとか、外を駆け回るとかな
かったね。これではおまえの運動神経も方向感覚も育つはずがない。ま
ことにすまん。

 小学校の休み時間がきらいだったね。なぜなら、みんな大縄跳びをし
ていたからだ。おまえはどういうわけか大縄跳びができなかった。一人
の縄跳びは二重跳びこそできなくとも普通に跳べるのに、大縄となると
どこで飛び込んだらよいかとんとわからない。そんな子は他にいなかっ
た。中庭のポプラの大木によりかかって、休み時間が終わるのを待って
いた。
 
 休み時間はなぜかしら、なんとか委員という腕章つけてるのがい
て、「天気が良いから外で遊びましょう」とおせっかいに校内を廻って
くるのだ。いっそのこと、そのなんとか委員にしてもらえたらよかった。
父が先生ならそうしただろうかって?おまえはおまえで困難を切り抜け
るしかない。

 縄跳びといえばあの頃「お嬢さんお入り」と言われ「はあい」と言っ
て友だちの縄跳びに入り二人で跳ぶのがあった。おまえは名前が「襄」
であったから、この遊びをどう切り抜けていたのだろうか。
 
 「襄」というのはわたしの母方の祖母の名の響きをとり、わたしがつ
けた名であった。祖母はわたしをとても可愛がってくれたが、恩返しも
できなかった。せめて娘にその名の響きを残してやれただけだ。わたし
が墓に入ってしまったからには、おまえと祖母をつなぐものはもはや何
も伝えることもできない。おまえが祖母と同じく教師の資格を取ったこ
とは何かうれしいものを感ずる。が、妙な名のためにその後、おまえに
よけいな苦労をさせたらしい。

 おまえのお母さんはわたし亡きあと、よく一人でおまえを十二歳まで
育ててくれた。おとなしい女性だったが、おまえが近所の子にいじめら
れでもすると、裸足で玄関を飛び出して追いかけていた。あれにはびっ
くりだ。
 お母さんが、再婚することになって、経済的にも気持ちも頼る人がで
きたことは、おまえのためにもほっとすることであった。
 
 新しく父になってくれる人は島に住む人だった。その父のいる島に渡
る。地方の土地は固有の文化があるところが多いらしいからお母さんと
おまえがなじめるか懸念はあるが、新しく父となり、妻と娘を引き受け
て下さった方には感謝に堪えない。いずれわたしの方に来られたときは
充分に御礼を述べたい。しかしそれはもちろん、そうとう先であること
を願うものである。 (つづく)
(この小説はフィクションです。無断転載を禁
            じます。作者) 




2015-02-11 20:03:33 | 作品
この浜を出でたきままに石になれば肩寄せあひて波に洗わる

波打ち際に寄りかたまっている石たちがまるでひとたちの
  後姿のようにみえました。肩寄せ合っているかのように見え
  ました。浪の向こうに行きたくて行けなかった人生をかかえて
  いるうちに石になってしまった群像のように見えました。 

おうちの童話

2013-12-14 00:57:09 | 作品
今日はコー君入学後の授業参観日です。
おかあさんはお仕事の休暇をとって参観
します。

授業の様子をみながら教室の後ろに展示
してある作品なども見ます。

今回は粘土細工がならんでいます。
それぞれ面白い作品が並んでいます。

テーマは「好きなもの」だそうです。

動物やら、車やら、力作の怪獣やら、
サッカーーボールもあります。

コー君のは、と見ると、もとのねずみ色の
粘土の直方体のままでおいてあります。

(あれ?作らなかったのかしら・・)

しかしよくみると、その直方体はほんの
すこうしねじってあり、ぶつぶつがうって
あります。そうして、題が

「こんにゃく」

と書いてありました。たしかにこんにゃく
です。

なんじゃこれ オチョクッテ るのか、
たしかにコー君にはそんな一面もあるか
とも思います。マイペースだし、めんどく
さがりやだし・・・。

けれど、たしかにコー君はこんにゃくが
大好物なのでした。「好きなもの」かあ。
納得してもいいかも。

保育園の遠足のとき、好きなものでお弁当
をいっぱいにしたら、おべんとばこの中が
まっくろになってしまったのでした。

こんにゃく・いかの足・ごぼう・こんぶ
しいたけ。

みんなの唐揚げやウインナや玉子焼きの
カラフルなのとは段違い!

ギャクタイかと思われそうでした。

当人はご機嫌でたいらげてきましたけど。

先生がこんなコー君をわかってくれます
ように。ついでにおかあさんのことも。