この物語は冒頭からお読みいただかないと意味がわかりませんので
2015年2月27日から順にお読み下さい。
ブログ書き下ろし歌小説『嬢ちゃん』2
吉田先生
「襄」の字がまちがって、いつのまにかみんなに「嬢ちゃん」と呼ばれる
ならまだいい。おまえが今も覚えているのは小学校一年生の時のこわーい
先生だ。学校中の生徒が恐れている、そのこわーい「おじいちゃん先生」
がある日教室へやってきた。いつもの吉田先生がお休みだった。
「おじいちゃん先生」は細い体に細い顔で、いつも灰色の上っ張りをき
ていた。教卓につくなり、生徒をぐるーっと見回した。そうして「おい、
そこのぼけなす」と言っておまえたちの一角を見た。おまえはびっくりし
て後ろを見た。ぼけなすとはどこにいるのだろうと。
「おまえだよ、おまえ」と「おじいちゃん先生」はおまえを指差した。
みんなは笑った。おまえは笑えなかった。不器用なおまえは、きっと、
ぼーっとして見えたのだろう。だが、このことばは種のようにおまえの中
に埋められた。
おまえは担任の吉田先生が大好きだった。
入学式の日、吉田先生が一年三組五十五人の前に黒いスーツですっくと
立ったときを忘れられない。そのとき自分が着ていた水玉のワンピースも
横にぼんぼりを一つつけていた髪型も昨日のことのように覚えている。
昭和三十一年、男子三十人、女子二十五人。一クラス五十五人もいた子
どもたちを先生はよくめんどうみられたものだ。
学校には裕福な家の子も貧しい家の子もいた。おまえは幼稚園というもの
にも行ってなかったから、初めて大勢の中に入った。だから「引っ込み思案」
になり物もいわなかった。けれど、じっと物を見ていたんだな。長じておま
えも先生というものになったけれど、おとなしい子が「ぼけなす」とは断じて
思わなかった。黙っている分、その子はじっと見ているものなのだ。
吉田先生はだれにも平等だった。
家の前の路地で石蹴りをしていたとき、吉田先生が通った。うれしくて、
にこりとした。ああ、この先生は路地裏にも来てくくださるんだなと、おまえ
は子ども心にも思ったのだ。
吉田先生はおまえたちを正月五日は必ず家に招いてくれた。そうしてお汁粉
をふるまってくれ、百人一首をしてくれた。先生の娘さんもいた。卒業生もいた。
犬もいた。正月にどこに行く場所もない子たちに訪問先を作ってくれていた。
おまえはともだちとお年玉を出し合って先生へのプレゼントを買って行ったね。
それは白いスピッツのぬいぐるみだった。
恒例のお汁粉うれし正月に招いてくださる担任の家
それなのに、おまえはよく吉田先生に嘘をついたな。
なにしろ不器用だから、跳び箱もできなかった。体育のある日の憂鬱といっ
たらなかった。おまえはおなかが痛くなることにした。
そうして体育の前の休み時間に教卓にいる先生のもとへ行き、言う。
「先生、おなかが痛いので体育休みます」
すると先生は「あたたかい毛糸のパンツをはきなさい」と言った。毛糸のパ
ンツは伯母さんが毎年編んでくれてはいていた。「襄さんはおなかがいたいこ
とが多いので、あたたかくするようお母さんに手紙を書くから渡しなさい」と
おっしゃって、さらさらと書いて下さった。
おまえは先生はなんでもわかっているんだな、わかっていて責めないんだな
と思った。
世の中には、良い先生になれる条件が一つあるという。
それは、よい先生に習ったことだという。おまえは先生になりたかったわけ
ではなかったが、良い先生になれる素質には恵まれていたんだね。(つづく)
(この小説はフィクションです。
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