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家族の応援歌

相談活動・短歌・シャンソン

おれはトムだ -3

2015-08-07 02:15:20 | 作品

オレはトムだ。
正式な名はファントム・ジ・オピラ

今日からタイトルの番号にはマイナスをつける。
つまりあとになればなるほど、数字が小さくなるわけで、
それが始まりというわけだ。

ブログに即した苦肉の策だと思いたまえ。

オレは前回死ぬときだったから、今日は死ぬ直前だ。

オレはもう何にも飲まない食べないことにした。
それをやってもう三日になる。

しろみさんが水を口までもってきてくれても呑まん!
牛乳も飲まん!

この間まで柔らかい鶏肉はうまかったがもう食べなくて
よい。

オレの体は痩せ、すっかり乾いてカラカラだ。
水分もありゃしない。これでいいのだ。

オレは死ぬ準備をしている。昨日まではいくらでも尿を
出した。出して出して飲まないのだ。

そうやってオレは自分の体をカラカラにし、あとに生身
を残さない。

「見て、トムにゃんは自分で死ぬ準備してるんだねえ。
 偉いねえ。」しろみさんはわかってくれた。

オレは胸をはってこの世を去って行く。これがオレたち
猫族の、寿命まで生きたまっとうな死に方だ。

ああ、乾ききって気持ちがよい。
     
      
    

オレはトムだ -2

2015-07-27 22:06:10 | 作品
オレはトムだ。
正式な名はファントム・ジ・オピラ

若い頃の白黒はっきりした、もっといい男の
写真はなかったものか。

それでも、これもまだ、昇天の今日の姿より
ずっと矍鑠としている写真なのだ。

オレの名のいわれとなったかのミュージカル
が始まったのは16年前。オレはもうすっかり
老いぼれとなってしまった。

この小説の始まりはオレの終焉だ。なにしろ
ブログに書き下ろしの小説であるからにして、
オレの話は終わりから始まるのだ。

ブログとは更新されるとかで、いつも新しい文
が上に載るらしい。だからにして、オレの話の
最後にオレが生まれたときの話になるようにし
たいものだ。

よく、猫は死ぬときはどこかへ行き、姿を見せ
ないと言われている。
それは嘘だ。オレは16年暮らしたオレの領分
であるこの家の前で死ぬつもりだ。

2014年5月31日。今日がオレの命日だ。
死ぬ日はオレが決めたのだ。今午前4時。

さっきハエが1匹オレの傷口に留って卵をうみ
つけていった。オレが埋められたあとオレを分
解してくれる使者をよこしてさっと飛びさって
行った。

ハエとはきたないやつらと思っていたが、星の
ついた棒をもった天使のようなものだったのだ
なあ。今わかった。

半野良のオレは16年間かわいがってくれた家
の玄関前を死に場所選んだのだ。

5月だから暑くも寒くもなく、まだ蚊もいない。
ああ、なんていい気持ちなんだ。

玄関が開いてこんな時間にご主人の奥さんの
しろみさんが出てきた。さっきも出てきてオレ
の耳元で歌ってくれたのだ。

午前4時。オレは今一生を閉じることとする。
ああ、なんていい気持ちだ。しっぽの傷ももう
痛くない。







ブログ書き下ろし小説 『オレはトムだ』 -1   

2015-07-24 22:36:15 | 作品
オレはトムだ。
正式な名はフアントム・ジ・オピラ。

なんでも、そんな名のミュージカルが始まったとき
生まれたのだが、白黒の顔が仮面の男に似ていたとか。

ご主人の奥さんのしろみさんがつけてくれた名だが、
けっこう気にいってはいる。もっとも、ほとんどは
トムと呼ばれ、爺になる頃にはトムニャンとまで呼ばれ
こそばゆい限りだ。

ところで、なぜブログの写真はオレでなく、プラムの花
かというと、オレはもう、この花になってしまったからだ。

オレは生まれて16年も生きた。猫・しかも半野良猫と
しては異例の長寿だ。

オレは去年の5月に死んだ。そうしてプラムの木の下に
眠った。1年たち、オレのプラムが咲いたわけだ。・・が、
今年は妙に花が少ない。これではろくに実もならない。
あんなに可愛がってくれたご主人に面目ない次第である。

16年も生きたから、人間で言うと八十にはなるだろう。
写真もないわけではない。いずれ写真も見てもらうが、
この1年あまりはよぼよぼだ。

しろみさんは、ブログ書き下ろし小説として『嬢ちゃん』
を始めた。なかなかの小説だ。ブログに下ろす前に全編
完成している。

かの漱石先生の向こうを張ったわけではないが、いわば
『坊ちゃん』の女版とも言える。ひとりの娘が学校という
狭い社会で闘い、島という窮屈な世界で生きていくことを
痛快にも描いた。真摯な作品である。

ただ、ブログに下ろしていくには、いろいろ困難があり
中断した。そのあとでオレのことを書いてくれようとした
わけだが、『嬢ちゃん』掲載の中断はブログ読者の皆様に
申し訳ないということで、オレのことは、ほんとの書き下
ろしでここにスタートした次第である。

そんなわけでこれからよろしくおつきあいをお願いする。
にゃん。

桜を詠む

2015-04-03 17:43:54 | 作品



友がみな病に臥せり一人見る桜並木は幹数へゆく 



日頃なら土手行く人もこのときは人家に並ぶ桜愛でゆく




三百の桜木それぞれ家々は我が家の木とて慈しむらむ



花もようソメイヨシノに違ふ木も数に加へて並木行くなり



河口から二百九十八本目幹佳き桜夕陽に立てり



ブログ書き下ろし小説

2015-03-19 23:37:15 | 作品
ブログ書き下ろし歌小説『嬢ちゃん』を始めさせて
いただいて、はたと困ったことがあります。

それは、
  ・縦書きにできないこと。
  ・行変えを早くしないと読みにくいこと。
文体を重んじる作者としましては、まことに不本意で
しかも手間がかかること。

  ・更新のため、いつも記事が新しくなってしまい
   さかさ読みになりがちなこと。
初めて読んで下さる方が小説の冒頭から読んで下さる
にはどうしたらいいのかしらん。
また、ブログだけで、小説はめんどうな方にも目に飛
び込んでしまうこと。

   などなど、他にもいろいろ欠点が見つかり
   全文完成していますが、下ろすのにためらいがあり
   滞っておりまする。
 
 やってみないとわからないものです。うーーん。

ブログ書き下ろし歌小説『嬢ちゃん』3 (2/27が冒頭です。遡ってお読みください)

    吉田先生の続き

家の周りには子どもたちがいっぱいいたね。石蹴りや缶蹴りをして
遊ぶ仲間に入れてもらっていたね。中に太郎といういじめっ子がい
て、おまえのうちのおかずがコロッケだけだとかいいふらしていじ
めた。

お母さんはそのたびにしゃもじを持ったまま、はだしで駆け出して
太郎を追っかけていた。

お母さんは思いあまって吉田先生に「来年は太郎と別の組にしてや
って下さい」と、頼みに行ってくれた。

そうして帰ってくると、「別の組にするかどうかはわからないって。
それに先生はね、合わない子と一緒にいるのも勉強の一つですって言
ったよ」と、妙に吉田先生に素直になって帰ってきた。

結局次の年は太郎とは別の組だった。

おまえたちの小学校時代といえば、日本が民主主義になって十年、新
しい教育が盛んに行われるようになった。学級会がその最たるものだ
ったかな。父の育った学校とは全く違う教育だった。一日の帰りに、
反省会なるものがあって

「今日、田中君がわたしの悪口をいいました。」と女子が言う。
「田中君ほんとうですか」と、司会の子がとりあげる。
「はい」
「あやまってもらいたいです」
「すみませんでした」と田中君。

先生は横の机で会の運びを見ているという具合だった。長い学級会で
は緊急動議とか、修正案とかいっぱしの会議の仕組みも教えてもらっ
ていた。

女の子が強くなっていたなあ。おまえも五、六年になる頃には先頭き
って発言するようになっていた。通信簿には「読解力抜群」とか、
「正義感に満ち」とか書いてもらえるようになっていたね。評価5とい
う科目もあるようになったけれど、あいかわらず大縄跳びは入れず、
ドッジボールは逃げるの専門だったかな。かえって逃げ方がうまくて
最後のひとりになってみんなに狙われるというくちだ。

ボールをバシッととってビューンと投げられるのは叶わぬ夢だった。

お母さんとの二人暮らしが始まり、おまえはしっかり勉強して、大き
くなったらしっかり働いて母にお金の苦労させたくないと思うように
なったね。寒さの冬にコートがなくても、かえってその寒さが好きだ
った。

横浜の街は坂が多い。銀杏並木の坂を登って下校するとき、未来はそ
の坂の向こうの薄青い空に延々と続くとおまえには思われた。

 足もとに 銀杏の枯葉からころと 冬の底冷え 吾子育てたり

               (この小説はフィクションです。
                 無断転載は禁じます。)