家族の応援歌

相談活動・短歌・シャンソン

学校の改革

2021-06-22 20:18:57 | つっちーの国語授業

めだか~の学校ならぬ、潮溜まりだからボラの学校かな。

前回の続きで担任の話。

24の瞳の世界じゃないけど、日本の担任って、学校のお母さんみたいな?食事から掃除、何から何までめんどうみてる感が強いです。

学級は宝、学級を持つってほんとうに嬉しい、自分の居場所。生徒にも所属感いっぱいのシステム。

皆で燃える🔥運動会、コンクール、仲間と行く宿泊行事。

それらの中にいたワタシだから、宝のような思い出がいっぱいです。

それがわかっていながらあえて言うけれど、
コロナを機に日本の学級と担任制を変えたらよいのでは。

これからも気の抜けない感染症と、目の当たりにしてきた学校の多忙の解消を一気に解消するために、
欧米式の教科担任制を提言します。

担任・副担制でなく、全ての先生が15人の担当をし、校内生活のアドバイスをする。

15人は教科の部屋へ行き、各自単位を取る。

行事はほぼ無くし、サマースクールやツアーやスポーツ活動は郊外のシステムに帰属する。

戦前戦後続いてきた修学旅行、運動会、部活などを見直す絶好の機会が今なのかもしれないと思うのです。

9月始まりにして、夏休み中の生活指導というものも教員の背から下ろし家庭や社会にしっかりした受け皿を作る。

少人数で密にならず対面で学べる保証をずっと続けられるように。
大きな提言です。







誰もが演出家

2021-04-11 16:18:15 | つっちーの国語授業

河童と蛙 草野心平
新学期最初の中1の授業はここからだったような。
詩の授業はいいですね。春らしくって。

みんなで声合わせて群読できたら。
あ、今、声だしだめなのかなあ🆖

つっちーの群読授業の展開アイデア紹介。
この詩をクラスでどう声だして読むかを各自が演出家になって考えようとまず提案する。

朗読するには詩の意味がわかっていないと。
だから、まず詩の意味を理解する。
演出がかかっているから、内容理解も真剣だ。

[月がじゃぼじゃぼ沸いている]ってどういうことかとか。[うさぎの休火山]ってなにかとか。
河童はなぜ、どう踊っているのか、沈んでいったのかとか。

意味がわかると声だしが決まる。

それから、みんな演出家になって演出を考え、キャストも考え、プロデューサーにもなって友だちに読んでくれるか交渉する。

いろいろな演出案の中からクラス代表作品を選ぶ。

読みをオッケーしてくれた友だちは演出の指示通り練習して、授業で録音だ。いろいろな演出とキャストで詩の赴きが違い、クラスは大盛り上がり。

たちまち新しい友だちの個性を知る。

他のクラスの採録も聞くと、小学校の友だちが隣のクラスで人気になっているのがわかって楽しい。

授業って楽しいなあ。

あの授業を思い出し、シャンソンもしっかり詩を理解しないと、だめよーと、今さら自分に言い聞かせる。


旅の報告は

2021-03-22 17:31:11 | つっちーの国語授業

働くばっかりで、旅したことがほとんど無かったときは長く、

教科書に出ているところぐらいは行くべきではないかと、思い始めました。

なんていったって実感主義ですもの、教えるひとが行ってないなんて………

いつも平和教材が載っているのに原爆ドームにも行ってないなんて。

ただ、それは怖かったというのもあります。

先生になったばかりのころ、友だちと沖縄に行ったのですが、

ただ、るんるん気分で行ったワタシは、激戦地のあとを見て、ただただ悲しく、

帰りの飛行機が舞い上がって足下に美しい海が広がったとき、

ここで多くの犠牲者がと、
しばし、海が赤く見える錯覚に陥りました。

けれどその旅は大いに役に立ち、教室で姫百合部隊の外科病棟(掘穴)の話をしてあげることができた。

意を決して行った広島は、半世紀ですでに美しい街に復興していましたが、

市電や川を見るとき、教科書の文が思い出されることでした。

できれば、教える側のひとは、なるべく現地に行っておく方がよいと思い、それからはコツコツと、教材の地を訪ねることにしました。

そこで見たもの、木々さえも写真に収め、教室に持ち帰りました。

もうしばらくどこへも旅に行ってません、語る場所もありませんが、

土筆が街の片隅に出ていたよと、ここに報告できるのは楽しいです。





春休みはチャンス

2021-03-20 15:26:10 | つっちーの国語授業

春休みはいいですねえ、唯一宿題のない休みです。
とくに卒業生にとっては。

今年の卒業生は修学旅行もなく、コロナとのめぐり会わせを恨んだことでしょう。

積み立てた費用を貯めておいて二十歳になったらみんなで旅行なんていいですね。
幹事を決めておかなくちゃ。

高校によっては、新入生に勉強しておく課題が出たりして、しっかりしています。

高校時代は楽しいものです。初めて地元の子ではない子と知り合うので、今まで会ったこともないタイプの友だちがいたりするからです。

得意な学科で入った科には自分よりもっと得意な子がいて落ち込むこともあるので、覚悟しておいたほうが(笑)
推薦より一般受験の子が目覚ましい実力を持っていたり。

中にはびっくりするほどの読書量のある友だちがいて、会話についていけないとか。

そこで、

せめて小中学時代に読んでおくべきだった
物語くらい、春休み中に読んでおくことをお勧めします。

世界少年少女文学全集の中から片っ端にでいいのです。

ワタシは最後の授業で一人一人に、その子にぴったりの本を1冊ずつ紹介したこともあります。

今の自分にぴったりの本が自分を救い育ててくれるものです。それを自分で探すのも楽しみです。

探して探して、読んで読んで、それでもぴったりくるもが無かったときは、読みたいものを自分で書いてみましょう。






その気になって

2021-03-11 16:09:13 | つっちーの国語授業


おざなりでなく、というのはとても好きで、
実感を持ってということです。

文の表面だけ読んでふーんでなく、説明文とかあると、何でもやらずにすまないのでした。

バナナとエチレンの関係があればバナナを買い込み観察。中でも凝ってしまったのはヤドカリでした。

ほんとうに教科書どおりなのか、ついに夏の伊豆の海から捕まえてきて、家でも教室でも飼いました。

生徒が海水の元というのを見つけてきたお陰だったかも。
発泡スチロールの水辺を作り岩を置き、ワカメのエサをやり日々観察しました。

どうやって新しい宿(貝殻)を得るのかの争奪戦は涙ぐましいものがありました。

ヤドカリについてはあまり研究が進んでないらしく、教科書より詳しくなってしまいました!

だって枕元に水槽があって、夜中に貝殻をぶつけあってより良い貝殻をゲットするのがカチカチと聞こえてくるのだから。

負けた方は貝殻から出されるので岩影にヌードになって隠れ、相手が残していった小さい貝殻に我慢して入るのです。

ある日玄関先に出して置いた水槽に雨水がポツポツと入り、ほぼ全滅したときは、酸性雨の恐ろしさや、真水の不適応を目の当たりにしました。

小さな雌だけになってしまったのでこれ以上飼ってはかわいそうと、車で運び、正月に伊豆の海に返しました。半年飼ったことになります。

そうそう、今の季節海苔がびっしりのこの場所です。1匹ずつ海へ戻すとき、なんか涙がでました。

今頃はあの子孫が海の中に栄えているかもしれません。

今、シャンソンも、よく詩を理解してと師匠に言われるのですが、あの[その気になる]勢いを思い出して頑張りたいです。

ヤドカリと言えば、南の島出身の先生がオカヤドカリという、紫色の子供の拳くらいのを持ってきてくれて、教室で飼い、夜は職員室に置いておいたら、日々脱走して探し回ったことがありました。
でも大丈夫、砂が点々としているので見つかるのでした。

こんな変な国語授業でしたが、これこそ授業という有難いコメント頂きました。
ありがとうございます。