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「神様になった日本人巡査」

2006-04-21 20:11:04 | 良い話(台湾)
森川巡査は明治30年(1897)37歳で台南州東石郷副瀬村に赴任した。
当時はまだ日本領有から2年しか経っていない。
職務に忠実な森川巡査は遅れていた村のようすを見て、
寺子屋を設けて教育に当たったり、収穫が上がるように耕作に指導したり、
病人が出れば薬や医者を求めたり、ひたすら住民の為に働いた。
住民たちは「滅私暴行」で働く警察官に始めはびっくりしたが、
そのひたむきさに感動し、心から慕うようになった。

しかし、あととき総督府から漁業税を納めるようにとの通達があった。
漁業で生計を立てている寒村に税金が課せられることは死活に関わる。
そこで森川巡査は住民の窮状をかんがみ、東石支庁に税金の減額を嘆願しに行った。
ところが、支庁長は巡査が住民を扇動したと受け取り懲戒免職にしてしまったのである。
この処分にショックと受けた巡査は、明治35年(1902)4月7日、
村内の廟の中で拳銃自殺した。

その日はちょうど旧暦3月の祭りの日だったが、巡査の死を知って
村中が悲しみに包まれた。森川巡査が抗議の自決したと思った支庁長は
懲戒免職処分を取り消したが、亡くなった森川巡査は戻らない。

それから20年余り後、大正12年(1923)村一帯に伝染病が流行った。
そのとき村長の夢枕に制服姿の警察官が立ち、伝染病の方法を教えたという。
これは村に伝わる森川巡査に違いないというので巡査に似せて像を作り、
義愛公と名づけ廟に安置した。それが富安宮である。

富安宮は現在も同じ場所にあり、不治の病を治してくれる霊験あらたかな神様として
大勢の信者を集めている。

「『NO』と言える台湾」黄文雄 著
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