文責:名無しさん 投稿日: 02/04/08 03:02 ID:g530DcQi
(陳絢暉さんは、台湾に美しい日本語を残そうと8年前に結成された
「友愛グループ」の中心人物で、関東日華親善協会の常務理事を努められている。)
昭和10(1935)年4月21日の早朝6時すぎ、台湾新竹州南部から
台中州北部にかけて、突然強烈な大地震が起きた。
その規模は、明治39年3月17日の嘉義地方の烈震と同程度で、震源は浅いが、
有感覚区域は殆ど全島を被い、さらに対岸の廈門、福州方面まで広がった。
今ふうに言えば、マグニチュード7.5くらいではなかろうか?
震央近くの新竹、台中両州下では、死者3,276人、重軽傷者12,187人、
全壊家屋20,709戸、半壊及び破損家屋62,314戸という甚大な災害を醸した。
のみならず断層、陥没など顕著な地殻変動を生じた点で、
全島民はすっかりパニックに落ち込んでしまった。
この烈震に、当時公館公学校3年生だった
セン(澹のさんずいなし)徳根(とっこん)が、たまたま外に出ていたところ、
付近にあった廟宇の下敷きになった。瀕死の重傷を受けた彼は、
生死の境を彷徨いながらも終始国語(日本語)を常用し、恩師の名を呼びつづけた。
人づてに聞いて駆けつけた先生は、彼が臨終にさいし、
あえかな声ではっきりと「君が代」を奉唱してから事切れたのを見て感涙にむせんだ。
故に当時の人呼んで「君が代少年」と称賛し、記念に銅像を建てて校庭に飾ったが、
今次大戦後はすっかり取り払われてしまった。
岡山国民文化懇談会・倉敷文化懇談会発行
機関紙「まほろば」第160号(平成12年3月1日)から
(陳絢暉さんは、台湾に美しい日本語を残そうと8年前に結成された
「友愛グループ」の中心人物で、関東日華親善協会の常務理事を努められている。)
昭和10(1935)年4月21日の早朝6時すぎ、台湾新竹州南部から
台中州北部にかけて、突然強烈な大地震が起きた。
その規模は、明治39年3月17日の嘉義地方の烈震と同程度で、震源は浅いが、
有感覚区域は殆ど全島を被い、さらに対岸の廈門、福州方面まで広がった。
今ふうに言えば、マグニチュード7.5くらいではなかろうか?
震央近くの新竹、台中両州下では、死者3,276人、重軽傷者12,187人、
全壊家屋20,709戸、半壊及び破損家屋62,314戸という甚大な災害を醸した。
のみならず断層、陥没など顕著な地殻変動を生じた点で、
全島民はすっかりパニックに落ち込んでしまった。
この烈震に、当時公館公学校3年生だった
セン(澹のさんずいなし)徳根(とっこん)が、たまたま外に出ていたところ、
付近にあった廟宇の下敷きになった。瀕死の重傷を受けた彼は、
生死の境を彷徨いながらも終始国語(日本語)を常用し、恩師の名を呼びつづけた。
人づてに聞いて駆けつけた先生は、彼が臨終にさいし、
あえかな声ではっきりと「君が代」を奉唱してから事切れたのを見て感涙にむせんだ。
故に当時の人呼んで「君が代少年」と称賛し、記念に銅像を建てて校庭に飾ったが、
今次大戦後はすっかり取り払われてしまった。
岡山国民文化懇談会・倉敷文化懇談会発行
機関紙「まほろば」第160号(平成12年3月1日)から