気まぐれ徒然かすみ草ex

京都に生きて短歌と遊ぶ  近藤かすみの短歌日記
あけぼのの鮭缶ひとつある家に帰らむ鮭の顔ひだり向く 

造りの強い傘 奥村晃作 

2014-10-04 19:28:05 | 歌集
些事(さじ)詠んで確かなワザが伴えばそれでいいんだ短歌と言うは

津波禍の人らの死体一体も見ていない東京住まいのわれは

白い花ほんとに白く 赤い花ほんとに赤い 球根ベゴニア

廃炉まで四十年の原発は四十年の雇用生み出す

信号の〈緑の人〉は自らは歩かず人を歩き出させる

デパチカがデパート地階、シブチカは渋谷地下街、シブチカを行く

山笑ふ、と思って見れば取りめぐる山みなホカホカ笑っています

ホームランそれも場外ホームランのようなドデカイ歌が詠みたい

〈原発の汚染水制御されてる〉と啖呵切るごと総理は言えり

鉄板の上なる白き骨の嵩、子雀ほどぞ そこまで生きた

(奥村晃作 造りの強い傘 青磁社)

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奥村晃作の第十四歌集、『造りの強い傘』を読む。

まず、装丁がシンプルで力強い。「造りの強い歌集」と呼びたくなる。集題のコンセプトにぴったりだ。中身は、四つのブロックに分かれ、2012年から2013年にかけての二年間を、半年ごとに区切っている。作者77歳、78歳の作品。
奥村さんの歌は、とにかくわかりやすい。謎めいた表現で、読者を迷わせることはない。そこが好ましい点であるが「ただごと歌」と呼び、「軽い」と言う人もいる。

一首目。奥村晃作の短歌観を端的に表している。「ワザ」とカタカナ表記にしたところに「ワザ」があり、些事にルビを打つところに親切心が感じられる。「それでいいんだ」は本音であるが、長い間短歌に関わっていると、この素直なことばが出なくなるものだ。八首目も、短歌観を詠っている。ここでも「ドデカイ」のカタカナ表記が読みどころ。
二首目、四首目、九首目は、東日本大震災とそれに伴う原発事故を詠っている。二首目は、作者の気づきの歌。被災地には何度も足を運んでいるものの、そこまで早い時期から行かなかったこと、死体を見るところまでは関わらなかったへの恥じらいを感じる。四首目は、ものの見方を変えたことで、雇用を生み出すと、別の面を捉えている。この視点を変える考えは、五首目にもある。私自身は、この五首目が歌集全体で一番すきな歌だ。〈緑の人〉という表現が魅力的だ。八首目の総理の発言は、私もしっかり見て覚えている。国民皆が覚えている。
三首目のベゴニアの歌。たしかにベゴニアの赤も白もくっきりした色彩で、曖昧さがない。感動を同じ文体を重ねることで強調している。一字あけもそのためのワザ。
六首目は、短縮した言葉の面白さを掬いあげている。助詞「が」と「は」の使い分けに、間違わないぞという思いの強さが感じられる。
七首目は季語の「山笑ふ」に触発された歌だろう。下句の「ホカホカ笑っています」のやさしい言い方が、のどかさを醸し出す。山笑ふにぴったりだ。
十首目は、妹さんが亡くなられたときの歌。一字あけのあとの結句「そこまで生きた」の口語が、本心を言った感じがして、血縁を失った悲しみがストレートに伝わる。ほかにも、挙げたい歌がたくさんあった。

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