あたらしい仏像怖し牛乳のやうに生なまとなめらかな皮膚
ずつとゐる妻の機嫌の満ち引きの潮目がわかる今日は小満
“ぽえむ・ぱろうる”何かのふくろ池袋そもそも池は何かのふくろ
風聞のなかに重篤患者は居てのうぜんかづら赤い息する
雨で死ぬ風で死ぬデモで死ぬおそらく死ぬと思はずに死ぬ
あんたかて殺されたことあるやろと鵺は言ふ鵺は人肌をして
能面の裏は人体のうちがはのひりつく夜に抵触してゐる
あの夜ふつとあなたが言ひかけたこといまならわかる晩霜(おそじも)の道
元号の終りにおもふ天六(てんろく)の夜道を灯る酒場「きのどく」
京都人の底意地の底がわたしにはないのださんざ散るはさざんくわ
(林和清 朱雀の聲 砂子屋書房)
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林和清の第五歌集。林さんらしい「濃さ」に満ちている。杉原一司、能、崇徳院など独自のテーマが連作になっている。血みどろの描写の気持ち悪さは不条理の死を遂げざるを得なかった人への心寄せと読みたい。それにしても京都人はそんなに底意地が悪いのか。わたしが鈍感で気づいていないだけかもしれない。碁盤の目の中に住む人たちはこわいのだろうか。。。第一部のコロナ詠は、去年の今頃を思い出しながら読むと面白い。