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「海賊と呼ばれた男」 出光佐三の生き様に学ぶ!

2015年08月08日 01時44分39秒 | ⑮読書&映画(所感)

「海賊と呼ばれた男」  出光 佐三  (百田尚樹:著) 上下2巻

  著者の百田尚樹氏は、今のマスコミ界でも持て囃され、一方で国会の「安全保障法案」で政権を支持養護する発言等で物議を醸している人物である。
なんとなく毛嫌いしていたが・・・図書館でフト目に止まり手にする。

  寝る前の一時を読書時間としているが、今回は夢中になって夜中3時頃迄・・・お陰で寝不足気味となる。
凡そ5日間程で上下2巻を一気に読了。

  宗像郡赤間村の出身で、しかも門司で若き創業時に奮闘。 
此の時の神出鬼没の海上における船での燃料販売活動がまるで“海賊”だと言われたとか。
幾多の倒産の危機にも合い、理不尽な他事業者や官僚・権力機構と闘いながら、会社社員を家族の如く支え続けた、其の人生と生き様に、何度も感動し涙した。

  日田重太郎(資産家)から別荘を売却した資金8,000円を渡され、満25歳で独立。
その条件が「ただやるのだから返さなくていい。利子もいらない。また、事業の報告もしなくてよい。君が好きに使え。ただ、独立を貫徹すること。そうして兄弟仲よくやってくれ。」というものであったとか。
そして幾度かの試練の後、愈々待った無しで倒産が決定的になり、最後のお詫びに伺った折りの言葉が又、凄い。
「後幾らあればいいんだ? 再度、家を売って資金を渡すから其れを使うてくれ。」「それでも失敗したら、そん時は、二人して乞食でもしようやないか。」 ・・・ 全幅の信頼感とその人間にかける熱き思いに、この様な人が実際に存在していたという明治・大正・昭和初期の人間の人生観・人物の肝っ魂の太さにビックリ。

  殆どの大手石油関連会社が外資系に乗っ取られる中、民族独立派とも言える企業として、外資も入れず、官僚からの人材も拒否し続けた男。
終戦後、売るべき商品「石油」がそもそもないという現実が襲いかかる。
当時、多くの企業が人員を整理する中、出光佐三は約1千名の従業員の首を切らないことを宣言した。

「店主、このままでは、国岡商店は潰れます。涙を呑んで人員整理を」という進言に、鐡造は「馘首はならん!」と解雇を断固拒否する。   戦後、住処も食糧事情もままならない情勢下、凄まじい程の困難と立ち向かう闘う男たちの物語である。

   生き様や考え方、主義主張には、相容れない部分もあるが、こんなん先輩の姿と歴史を学ぶと本当に凄いなぁ~と思える。 今、個人的に、団体的にも、現実として立ち塞がる厳しい状況と困難さえも、まだまだ甘チョロイなぁ~とさえ思えてくる。 よぉ~し、頑張ろうぉ~との勇気さえ湧き出てくる感じの戦う男たちの物語であった。

「愚痴をやめよ、愚痴は泣きごとである。亡国の声である」
「社員は家族であり、私が全財産を失っても、私には最高最大の財産と言える社員がいる。」

「出光佐三逝く 三月七日 国のため ひとよつらぬき 尽くしたる きみまた去りぬ さびしと思ふ」
 死去したおりの昭和天皇の歌だそうである。



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