ホスピス、緩和ケア看護覚書*カナダ編

ホスピス看護をカナダから。2013年大学院を卒業しました。カナダ人の夫とは14年たっても熱愛中。

3週間

2011年06月06日 | ホスピス
のCRNの仕事が終わりました。は~よくがんばった、と自分をほめたいぐらい目まぐるしい3週間だった。この仕事の忙しさはアップダウンがあるけれど、今回の3週間はノンストップでとても難しいケースのオンパレード。身体的症状の難しさではなくて家族関係や信頼関係の難しさ。一筋縄ではいかないケースばかりだった。

中でも印象強かったのはセナのケース。以前にも書いたが患者に正確な情報を伝えるのは医療者の義務で患者に「私ではなくて家族に言ってください」と言われない限り、一番初めに情報が行くのは患者だ。患者が病名や予後を知らずにいるということはまずない。で、このセナのケース家族がとても強い希望で本人に伝えてほしくない、と言う。こういう家族は多い。しかし患者の権利や情報を隠すことから患者が孤独感疎外感を味わうことなどを話すと、ほとんどの家族が納得をする。しかしセナのケースは違った。そんなことを言えば、それから生きる希望をなくして予後が早まるから言わないで、と。頼むだけではなかった脅しにまで至ったのだ。もし私がセナに伝えたら、ただではおかないと。子供が6人いるが一人がリーダー格でまくし立てるといったらありゃしない。もちろん私は他のチームメイトに助けを求めた。誰もが患者の知る権利を主張するが娘はまったく聞こうとしなかった。

娘の計画はホスピスへ行くと言わず「他の病院へ移る」だった。ホスピスへ行けばサインも名札もどこもかしこもホスピスと書いてあるに隠し通すことはできない。しかしその娘妙に自信を持っている。セナは目が悪いからめがねを隠せば良いと。そういう問題ではない。で、もちろん受け入れ先のホスピスからは拒否された。患者本人の承諾なしには受け入れられませんと。頑として考えを変えない娘。いつもミーティングは嫌気がするぐらいネガティブなエネルギーに包まれていた。彼女の態度も強暴的だからだ。他のチームメイトもうんざりしていた。娘として母を守らなければならない、と言うのが彼女の口癖だった。いったい過去に何があったのか、なんだか根深い何かを感じるのだが、オープンになろうとしないし、助けは要らないと拒絶するし、で八方塞がりだった。セナもセナではっきり返答してくれれば私たちもやりやすかったのに「私も知りたいけど、娘だけにも話してほしいし、半分半分なんてできますか?」ってケーキを半分こにするのとは違うのに、、、、。結局最後には患者に伝えることを決心した娘。セナはあっけらかんと受け入れた。拍子抜けするぐらいのリアクションだった。

いつも思うのだが、家族は患者を守ろうとする。しかし本人が一番知っている。自分の体だもの当たり前だ。私たちは患者を守るために(知る権利を守る)患者の代弁者となる。同時に家族も患者を守ろうとして(情報から守る)私たちに対抗する。両サイドが患者を思ってなのに反対側に立つというへんてこりんな図形だった。

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