久し振りにラーメンが食べたくなって、山小屋ラーメンに行った。
いつもならただのラーメンを一杯だけ頼むことが多いが、今回は腹いっぱい食べて満腹感に浸ろうと、から揚げセット(1,100円)を頼んだ。
これだけ食べると食べ過ぎで、カロリーの取り過ぎだが幸せ気分に浸れるぞ。
さすがに全部食べたら、もう何も入らない。
山小屋ラーメンはもう50年以上前、ボクが高校生の頃からのファンである。
今は国内100店舗、海外40店舗とかなりの数に成長して店舗もきれいになったが、その頃は創業店の一店舗だけだった。
高校生の頃は学校まで6kmの距離を自転車で通学した。
山小屋は高校よりもまだかなり先にあったので、ラーメンが食べたい時には学校に内緒でバイクで通学した。
補習をサボって友人と山小屋のラーメンを食べに行く。
国道201号線の仲哀トンネルを抜けたところにラーメン屋はあった。
これがそのころの山小屋で、店はさほど広くはなく焼肉のテーブルも少なかった。
しかし、国道沿いということもあって客は比較的に多かった。
山小屋の店主と女将さん。
ラーメンヤの親父というには若くて、どちらかというと兄ちゃんという感じだった。
女将さんは一緒に厨房に立っていたが、旦那の後ろに立って無口で時々笑う程度だった。
その頃のラーメンは煮卵とノリがのって塩、胡椒が効いて油コッテリというもの。
ラーメン一杯が380円くらいだったと思う。
数年経って建物がきれいに建て替わって焼肉テーブルがかなり増えた。
工事期間が長く感じて、いつになったらラーメンが食べれるのかとブツブツ言ったものだ。
山小屋で焼肉が食べれるのは昔から。
学生のころはラーメンばかりだったが、社会人になって小遣いが増えて、焼肉を食べてから締めにラーメンを食べるようになった。
山小屋が大きくなったのは平成に入ってから。
フランチャイズであれよあれよという間にどんどん増えた。
スープが少しあっさりして油が少なくなって万人向きの味になったのはこのころ。
九州のどこに行っても山小屋ラーメンの名前を聞くようになったが、店によっては味はかなりひどいものだった。
やはりフランチャイズでもそんな店は長続きしない。
店舗数は今では一時期に比べてかなり少なくなった。
しかし、どこに行っても味があまり変わらなくなって山小屋ファンとしては安心できるようになった。
50年経って、今はラーメン屋のおやじというよりワイエスフードの会長の顔になった。