妙法蓮華經如來壽量品第十六(法華経)
みょうほうれんげきょう にょらいじゅりょうほんだいじゅうろく ほけきょう
読み方、対訳
>お釈迦様の説かれた膨大な一切経で、法華経以外のお経は随他意のお経といって、相手の機根に合わせて説かれたお経で、法華経のみが随自意のお経として、つまり釈尊のお悟りそのものを相手に合わせるのではなく、釈尊の御心のままに説かれました。
>法華経は、本来言葉では言い表せない悟りとはいかなるものであるかを巧みな譬え話を用いながら壮大なスケールで説き明かします。その中でも上記の妙法蓮華経如来寿量品第十六が法華経の最大のテーマの部分になります。
>いままで人間として生まれられたお釈迦様が悟りを開かれて仏になったと思っていたのが、実は久遠実成の釈迦牟尼佛であったといわれるのです。つまりもともと永遠の仏であるといわれたのです。そして、我々も釈尊と同じ仏性(仏としての本性)をもっており、衆生も本来悟っている仏であるといわれます。一般的にいうと、釈尊も我々も大いなるもの、宇宙のもともとの実在の絶対者(慈悲の当体である神的な存在)と本来同じということです。
ぅんぅん.....φ【・ω・】【・∀・】【・ω・】【・∀・】
みょうほうれんげきょう にょらいじゅりょうほんだいじゅうろく ほけきょう
読み方、対訳
>お釈迦様の説かれた膨大な一切経で、法華経以外のお経は随他意のお経といって、相手の機根に合わせて説かれたお経で、法華経のみが随自意のお経として、つまり釈尊のお悟りそのものを相手に合わせるのではなく、釈尊の御心のままに説かれました。
>法華経は、本来言葉では言い表せない悟りとはいかなるものであるかを巧みな譬え話を用いながら壮大なスケールで説き明かします。その中でも上記の妙法蓮華経如来寿量品第十六が法華経の最大のテーマの部分になります。
>いままで人間として生まれられたお釈迦様が悟りを開かれて仏になったと思っていたのが、実は久遠実成の釈迦牟尼佛であったといわれるのです。つまりもともと永遠の仏であるといわれたのです。そして、我々も釈尊と同じ仏性(仏としての本性)をもっており、衆生も本来悟っている仏であるといわれます。一般的にいうと、釈尊も我々も大いなるもの、宇宙のもともとの実在の絶対者(慈悲の当体である神的な存在)と本来同じということです。
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