お釈迦様は 解脱 された 後に
足に 大怪我を します。
『ブッダ 悪魔との対話』「砕かれた破片」
また ある時は
お釈迦様が 頭痛に なった
という 話が あり
( 記憶が おぼろげで 恐縮ですが )
その 頭痛になった 場所は
かつて( 前世? ) お釈迦様 が
亀に 石を ぶつけた 場所で
その 痛みは
その時の 石を 投げつけられた 亀の
痛みと 同じ モノ
業 ( カルマ )の ためだから と
お釈迦様を 心配する お弟子さん に
大丈夫 ほっておいて
と いう エピソード を
『ブッダ 悪魔との対話』中村元訳(岩波文庫)
『ブッダ 神々との対話』中村元訳(岩波文庫)
の どちらか だったかしら ? で
読んだ ように 思います。
つまり
解脱を すると
新しい 業 ( カルマ )は
生まれなく なるけれど
古い 業 ( カルマ )は
なお 昇華 しつづける
という こと。
癌に なった 理由が 現世に あると
考えて みても
実は 何かの 問題 ( 例えば 癌 ) は
前世の 業 ( カルマ )の 昇華
かも しれない と
お釈迦様 の お話から 推測されます。
σ(・∇・ ) 私 の 乳がん の主治医
昭和大学(東京都品川区旗の台1-5-8)
ブレストセンター長 中村清吾先生 も
癌 に なった からと いって
悪者 ( 原因 ) 捜しを しないこと (。◕‿-)
って 以前には おっしゃって いました。
そして
人づて ながら
聖人 も 癌で 亡くなっていると 聞きます。
私たちに 出来ることは
ただ ただ
その 起きている 現象に
良し悪しの 判断を 下さず
目の前に 起きている ことは
自分の 心の 内に 思い描いている 映像 だから
現象 や 相手の人など は
自分の 心を 映し出している 映像 ( 鏡 ) で
それは
実態が ないもの
色即是空
ゆえに
その 虚像に
飲み込まれて しまわぬよう
取りつかれて しまわぬよう
手放し
委ね て
昇華する こと。
たた 捨て去り
手放す
という 方法も 聞きますが
自分の 中に ある その 状況 (考え) を
『 愛をもって 癒しなさい 』
( 愛しなさい )( 光を当てなさい )
とも 聞きます。
私たちは 人間 のみならず
石 や 草 も 含め
八百万の神 で あり
色即是空 で その 実態は なく
光 ( 愛 ) で 出来ている。
自分の 思い込み ( 信じ込み ) によって
映し出された 世界観 ( 現世 ) を
映画を 見る かの ごとく
つかの間 の
実体験 と 勘違い して 私たちは 生きている
と いう お話です。
足に 大怪我を します。
『ブッダ 悪魔との対話』「砕かれた破片」
また ある時は
お釈迦様が 頭痛に なった
という 話が あり
( 記憶が おぼろげで 恐縮ですが )
その 頭痛になった 場所は
かつて( 前世? ) お釈迦様 が
亀に 石を ぶつけた 場所で
その 痛みは
その時の 石を 投げつけられた 亀の
痛みと 同じ モノ
業 ( カルマ )の ためだから と
お釈迦様を 心配する お弟子さん に
大丈夫 ほっておいて
と いう エピソード を
『ブッダ 悪魔との対話』中村元訳(岩波文庫)
『ブッダ 神々との対話』中村元訳(岩波文庫)
の どちらか だったかしら ? で
読んだ ように 思います。
つまり
解脱を すると
新しい 業 ( カルマ )は
生まれなく なるけれど
古い 業 ( カルマ )は
なお 昇華 しつづける
という こと。
癌に なった 理由が 現世に あると
考えて みても
実は 何かの 問題 ( 例えば 癌 ) は
前世の 業 ( カルマ )の 昇華
かも しれない と
お釈迦様 の お話から 推測されます。
σ(・∇・ ) 私 の 乳がん の主治医
昭和大学(東京都品川区旗の台1-5-8)
ブレストセンター長 中村清吾先生 も
癌 に なった からと いって
悪者 ( 原因 ) 捜しを しないこと (。◕‿-)
って 以前には おっしゃって いました。
そして
人づて ながら
聖人 も 癌で 亡くなっていると 聞きます。
私たちに 出来ることは
ただ ただ
その 起きている 現象に
良し悪しの 判断を 下さず
目の前に 起きている ことは
自分の 心の 内に 思い描いている 映像 だから
現象 や 相手の人など は
自分の 心を 映し出している 映像 ( 鏡 ) で
それは
実態が ないもの
色即是空
ゆえに
その 虚像に
飲み込まれて しまわぬよう
取りつかれて しまわぬよう
手放し
委ね て
昇華する こと。
たた 捨て去り
手放す
という 方法も 聞きますが
自分の 中に ある その 状況 (考え) を
『 愛をもって 癒しなさい 』
( 愛しなさい )( 光を当てなさい )
とも 聞きます。
私たちは 人間 のみならず
石 や 草 も 含め
八百万の神 で あり
色即是空 で その 実態は なく
光 ( 愛 ) で 出来ている。
自分の 思い込み ( 信じ込み ) によって
映し出された 世界観 ( 現世 ) を
映画を 見る かの ごとく
つかの間 の
実体験 と 勘違い して 私たちは 生きている
と いう お話です。
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