結論から先に書くと、私はマイナーチェンジ後の新しいC5のデザインが大好きである。
なぜかというと、以下は言葉の羅列になるが、
「無機質」「幾何学的」→「繊細かつ精緻な印象」
「有機的」「流麗な線」→「柔和かつ温厚な印象」
この相反する2つの要素が、見事なバランスで混在しているからである。
あえて「昇華」とか「融合」とせず「混在」としたのは、まさにそこにC5のデザインに関する魅力が集約されていると考えるからだ。
旧C5のデザインは、分類すればモノフォルムの一種で、セダンというより日本でいう所謂「ミニバン」の空間構成に近いものがある。しかし外観はかろうじて「セダン」の範疇に文法的に収めている、という代物である。これはロジックとしては、当時としてオリジナリティのある方向性だったが、実際には多くの人々の認識においては、極論すれば「不格好なデブセダン」という評価すらなされていた。
広大な室内空間を確保しながら破綻のない全体フォルム、フロント&サイドウインドーの独特かつヘッドライトユニットと対称をなす曲線によるグラフィックなど、見るべきところはあるのだが、それがヒット作「ピカソ」に短絡的に相似したフロントマスクデザイン、いまいち高級感の薄い内外装のディテールにより決定的にスポイルされてしまっていた。これは今だから言っているのではなく、旧C5のユーザーだった時から思っていたことである。
その点が、今回のマイナーチェンジでは奇跡的に払拭されていた。旧C5の長所、魅力はそのままに、欠点だけが丁寧に補われ、デザイン面だけを見ても商品性が著しく向上していた。デザイナーの手腕といえばそれまでだが、ジャン・ピエール・プルーエ氏は単に「新しい車をつくりあげる」だけではなく、既に出来ていたものを「より良く仕上げる」という仕事においても素晴らしいセンスと、プロデュース力を発揮したということだろう。
その結果、新しいC5は新世代のビッグシトロエンつまり「C6」と、ミドルサイズ「C4」のどちらとも明確に異なる個性を持つに至ったと思う。これは半ば偶然の産物であり、純粋にその成り立ちからいえばC5が異なるデザインの「混合物」であるという事実には変わりはないのだが。
そこをこれだけの完成度(=情熱)をもって仕上げたところに、プルーエ氏の真の魅力と実力がある。つまりそれは、彼の「シトロエン」に対する愛情の深さである。他人が手掛けたものの魅力を認め、欠点を補い、オリジナリティーを持たせてまとめ上げるという作業は、おそらくそう簡単に出来ることではない。特にデザイナーやアーチストの世界では。私はそういう認識の元に、新しいC5のデザインを高く評価する。
(納車が長引く→思い入れが深くなる一方 ということかも知れませんが)

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