足の向くまま、気の向くまま

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久しぶりの関空

2009年08月03日 22時12分49秒 | Weblog
昨夜の官僚たちの夏、IDNコンピュータ上陸にまつわる話でしたね。
ご存じの方も多いと思いますが、所得倍増計画を打ち出したのは池田首相。IDNは勿論IBM。国産電子計算機の開発を進めていた6つ会社は確か、
日立製作所(HIPAC→HITAC)、富士通(FACOM)、この2社はIBM互換機に。
他は、日本電気(NEAC→ACOS)、東芝(TOSBAC→ACOS)、三菱(MELCOM→COSMO)、沖電気(OKITAC→COSMO)の4社で、後に、前2社後2社が共同開発します。
IDNを使いたいと陳情に来た日本航空機設計は、もしかして、YS11を作った日本航空機製造かもですね。実際には、日本大理工学部に納入されたFACOM128Bを使用。現在は富士通沼津工場に生体保存されていて、1980(昭和55)年に見学したことのある、あれです。

これから5年後1965(昭和40)年秋、入社1年目のわたしが、電子計算機と初めて向き合ったことになります。その1年前の東京五輪ではIBMの新鋭計算機360が競技記録の集計に大活躍します。それまでは設計方法が事務系と技術系に別れていた電算機を、1台で全方位の処理が出来るものと云う意味で360と名付けられたものでした。
そして、1970(昭和45)年の大阪万博に出展、この年に360の後継の370を発表し、まだまだ国産機が太刀打ちできるような状態ではありませんでした。

玄関に大きな氷柱が置いてある場面もありましたね。百貨店など、夏の風物詩のひとつでした。

また、太平洋ベルトライン構想発表の地図には、近江・丹波・播磨・和泉など旧藩の名前が。現在、JRの駅名で、大阪府に摂津富田(摂津市)、兵庫県に摂津本山(神戸市東灘区)があります。明治まで続いた長い長い歴史を持つ生活圏が、廃藩置県で分断されました。道州制導入に絡み、旧藩を再考してみるのもよいのではと思います。


7月の伊丹での航空教室の返信はがきに、落選ですが、関空の教室には出席出来ますとあったので、なぎさウォーク(H20.4.27)以来、足を運びました。
管制塔のある関西空港事務所1階には、夏休みとあってお子さんやお孫さん連れの姿が多く見かけられました。

はじめに、空港長から航空の安全に関わる人たちのお話でした。その中で、操縦士、副操縦士、機関士、整備士・・・と書かれた画面は、それはそれは数多くの職種が示されていて、書ききれていない状態でした。
一度、ご自身で、書き上げられては如何でしょう。


      管制官のお話、お子さまに分かるような内容でした


     飛行場の天気予報については、関空気象台の予報官が
先ず、一般のお天気は、全天雲量が0~1が快晴、2~8は晴れ、9~10が曇、降雨が予想されれば雨で、全世界共通であるとの説明がありました。
一方、航空関係の予報は、アルファベットと数字で、風向風速、雲量などを
知らせるものであることを例で示されました。
現在の関空のお天気は、こちらです。そして、予報は、こちらです。
興味のある方は、こちらの解説をご覧下さい。

ドプラーレーダーが設置されていることは以前から知っていましたが、その映像を見るのは初めてでした。


             関西空港の飛行経路
人と自然にやさしい関西空港と題するお話では、伊丹の騒音が大問題になり関空が作られ、陸上部には騒音が及ばないような飛行経路が設定されていると説明されました。また、環境面では、護岸の藻場づくりによって多種多様な魚介類の生息地になったことを示されました。


              "Sea & Air輸送"
昨年5月、横浜港から貨物船で運ばれてきた特大貨物を搭載するために到着したアントノフ。貨物満載のアントノフ、離陸は当然、4000mのB滑走路からでした。


     南地区西側のスポット 貨物地区には3発のMD11が
    PTB付近で航空機を間近に見ることが出来るのはここだけ


            間もなく発車するはるか


             到着したラピート


             引上線のラピート


            関西空港駅の引上線側構内
    PTBなど人の目に付くところでは、カーバーが取り付けられ
    ている柱と基礎の接合部は、ここではむき出しになっています


不等沈下のため、定期的に建物が水平になるように、柱をジャッキアップし基礎部との間に鉄板をはめ込んでいます。ここは修正量が少ないですね。



KALDホールから見た24Rのエンド この遥か向こうに神戸があります 


        サークリングで24Lに進入するANA機
教室では、着陸は原則、B滑走路使用ですが、パイロットからのA使用の要請があり、離陸機に支障を与えない場合は、許可しているとの管制官の説明がありました。

24Lエンドにある展望ホールには、もう長い間行っていません。以前は、24使用時は、ほんの目の前を着陸寸前の飛行機が通り過ぎて行きました。しかし現在は、殆どの着陸機がB滑走路を使うため、展望台に行っても以前のような迫力ある姿を見ることが出来ないからです。
PTBの何処かに、新展望ホールを作ってくれないでしょうか。