最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●ワンポイント(2)

2010-01-03 23:21:30 | 日記

●子どもの意欲
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子どもは、親、とくに母親の意欲を見ながら、自分の意欲を育てる。一般論として、意欲的な母親の子どもは、意欲的になる。そうでない母親の子どもは、そうでない。ただし、母親が意欲的過ぎるのも、よくない。昔から、『ハリキリママのションボリ息子』と言われる。とくに子どもに対しては、ほどよい親であることが望ましい。任すところは子どもに任せ、一歩退きながら、暖かい無視を繰りかえす。それが子育てのコツということになる。

●ほどよい目標
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過負担、過剰期待ほど、子どもを苦しめるものはない。そればかりではない。自信喪失から、やる気をなくしてしまうこともある。仮に一時的にうまくいっても、オーバーヒート現象(燃え尽き症候群、荷卸し症候群)に襲われることもある。子どもにとって重要なことは、達成感。ある程度がんばったところで、「できた!」という喜びが、子どもを伸ばす。子どもには、ほどよい目標をもたせるようにする。

●子どもの恐怖症
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恐怖症といっても、内容は、さまざま。対人恐怖症、赤面恐怖症、視線恐怖症、体臭恐怖症、醜形恐怖症、吃音恐怖症、動物恐怖症、広場恐怖症、不潔恐怖症、高所恐怖症、暗所恐怖症、閉所恐怖症、仮面恐怖症、先端恐怖症、水恐怖症、火恐怖症、被毒恐怖症、食事恐怖症などがある。子どもの立場になって、子どもの視線で考えること。「気のせいだ」式の強引な押しつけは、かえって症状を悪くするので注意。

●子どもの肥満度
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児童期の肥満度は、(実測体重Kg)÷(実測身長cmの3乗)×10の7乗で計算する。この計算式で、値が160以上を、肥満児という(ローレル指数計算法)。もっと簡単に見る方法としては、手の甲を上にして、指先を、ぐいと上にそらせてみる。そのとき、指のつけねに腱が現れるが、この腱の部分にくぼみが現れるようになったら、肥満の初期症状とみる。この方法は、満5歳児~の肥満度をみるには、たいへん便利。

●チック
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欲求不満など、慢性的にストレスが蓄積すると、子どもは、さまざまな神経症的症状を示す。たとえば爪かみ、指しゃぶり、夜尿、潔癖症、手洗いグセなど。チックもその一つ。こうした症状を総称して、神経性習癖という。このチックは、首から上に出ることが多く、「おかしな行動をする」と感じたら、このチックをうたがってみる。原因の多くは、神経質で、気が抜けない家庭環境にあるとみて、猛省する。

●子どもの姿は正確に
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あなたの子どもに、あなたはどのようなイメージをもっているだろうか。中には、問題があるのに、「問題はない」と思いこんでいる親がいる。反対に、問題がないのに、「問題がある」と思いこんでいる親もいる。子どもの姿を正確にとらえるのは、たいへんむずかしい。子どもの概念と、現実の子どもの間のギャップが大きければ大きいほど、親子の関係はギクシャクしたものになりやすい。

●聞きじょうずになる
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子どもの姿を正確にとらえるためには、聞きじょうずになること。自分の子どもでも、他人の子どもと思い、一歩退いて見るようにする。教師でも話しにくい親というのは、子どものことになると、すぐカリカリするタイプ。何か言おうとすると、「うちでは問題はありません」「塾では、しかkりとやっています」と反論する。しかしそう反論されると、「どうぞ、ご勝手に」となる。

●自己愛者は、注意
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自己中心性が肥大化すると、自己愛者になる。完ぺき主義で、他人の批判を許さない。すべてを自分(あるいは自分の子ども)中心に考えるようになる。こうなると、子育ては、独善化する。他人の批評に耳を傾けなくなるからである。子育てじょうずな親というのは、ものごとに謙虚である。その謙虚さが、心に風穴をあける。まずいのは、「自分は正しい」と思いこんで、他人の意見を聞かないこと。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

●非行を防ぐ鉄則
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(したいこと)と(していること)が一致しているとき、子どもの心は、安定する。しかし(したいこと)と(していること)が一致していないと、子どもの心は、急速に不安定化する。非行の多くは、こうして始まる。そこで重要なことは、いつも、(子どものしたいこと)に静かに耳を傾けて、それを(していること)に結びつけていく。これを心理学の世界でも、自我の同一性(アイデンテンティ)と呼ぶ。

●善行は日常から
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あなたの子どもを善人にしたいなら、日常的な、ごくささいなことから、約束やルールを守る姿を、子どもに見せておく。そういう積み重ねが、あなたの子どもを善人にする。つまり日々の積み重ねが、月々の積み重ねとなり、それが年々、積もって、その人の人格となる。あなたが、平気で空き缶をポイ捨てしていおいて、あなたの子どもに「いい子になれ」は、ない。

●シャドウをつくらない
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あなたが仮面をかぶればかぶるほど、あなたの背後に、その正反対のシャドウ(影)ができる。子どもというのは、そのシャドウをそのまま受けついでしまう。よく例に出されるのが、佐木隆三の『復讐するは、我にあり』である。敬虔な牧師の息子が、殺人鬼になるという小説である。緒方拳の主演で、映画にもなった。父親は牧師をしながら、息子の嫁と不倫関係になる。そうしたシャドウが、その息子を殺人鬼にしたとも考えられなくはない。

●子どもには、ウソをつかない
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子どもには、ウソをつかない。これは親子関係を守るための、最後の砦(とりで)と考えてよい。もしウソをつきたくなかったら、だまっていればよい。飾ったり、見栄をはったりしてもいけない。ありのままを、すなおに見せておく。あとの判断は、子どもに任せればよい。

●ウソはていねいにつぶす
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子どもは、よくウソをつく。いろいろなウソがあるが、その中でも、空想したことを、あたかも本当のことのように話す子どもがいる。空想的虚言(妄想的虚言)というのが、それ。はげしい親の過干渉が日常化すると、子どもは、この空想的虚言を口にするようになる。そういうとき親は、子どもをはげしく叱ったりするが、反省すべきは、むしろ親のほうである。こうしたウソは、ていねいに、つぶす。言うべきことは言いながら、あとは時間を待つ。

○計算力と「数」の力
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子どもにとって、計算力と、「数」の力は、別のものと考えてよい。たとえば(3+4=7)は、計算力があればできる。しかし「7は、5と□」という問題は、計算力だけでは、カバーできない。ほかに「3と□で、6」「□は、3と4」など。小学1年生の問題だが、それができる子どもは、スラスラとできる。しかしできない子どもは、何度説明しても、できない。それがここでいう「数」の力ということになる。

○「遊び」を大切に
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自動車のハンドルでも、「遊び」があるから、運転できる。その「遊び」がなく、ギスギスだったら、運転できない。子どもの勉強も、その運転に似ている。多くの親たちは、「勉強」というと、机に向かって黙々とするものだという偏見と誤解をもっている。しかしそれは大学の研究者のような人がする勉強であって、少なくとも、子どもの勉強ではない。小学校の低学年児だったら、30分机に向かって座って、10分、勉強らしきことをすれば、よしとする。

○リズムをつかむ
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子ども自身がもつ、学習のリズムは、みな、ちがう。数分きざみに、騒いだり、しゃべったりする子どももいれば、5分くらい静かに作業したあと、1~2分、休んだりする。勉強にとりかかるまでに、10分以上かかる子どももいれば、すぐ、勉強に入れる子どもいる。大切なことは、それぞれのリズムに合わせて、指導するということ。とくに子どもが小さいうちは、そうする。

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○ミスは、大目に
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たとえば20問、計算問題をする。そのとき、1、2問くらいなら、まちがっていても、何も言わない。「よくがんばったね」と、ねぎらう。そして大きな丸を描いてすます。とくに子どもが、懸命にしたときは、そうする。正解よりも、この時期大切なのは、達成感。その達成感が、子どもを伸ばす。こまごまとした神経質な指導は、一見、親切に見えるが、かえって子どもの伸びる芽をつんでしまうこともあるので注意する。

○テーマは、ひとつ
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子どもに何かを教えようとするときは、いつも、テーマは、一つにする。あれこれ、同時に指示を与えても、意味がないばかりか、かえって、「二兎を追うもの、一兎……」ということになりかねない。たとえば作文練習のときは、作文の内容だけを見て、文字のまちがいなどは、無視する。作文の内容だけを見て、判断する。

●ワンポイント(2)

2010-01-03 23:17:12 | 日記
○子どもを伸ばすのは、子ども
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子どもを伸ばすのは、子ども。しかしその子どもをつぶすのも、これまた子ども。とても残念なことだが、「質」のよい子どももいれば、そうでない子どももいる。質がよいというのは、おだやかで、知性的。自己管理能力もしっかりしていて、もの静か。そういう子どもは、そういう子どもどうし集まる傾向がある。で、もしあなたの子どもが、そういう子どもであれば、努力して、そういう子どもどうしが集まれるような環境をつくってやるとよい。あなたの子どもは、さらに伸びる。

○サエをのばす
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子どもが、「アレッ」と思うようなヒラメキを示したときは、すかさず、それをほめて、伸ばす。この時期、あとあと子どもほど、思考が柔軟で、臨機応変に、ものごとに対処できる。趣味も多く、多芸多才。興味の範囲は広く、何か新しいことを見せると、「やる!」「やりたい!」と食いついてくる。この時期、することと言えば、テレビゲームだけ。友だちも少ないというのは、子どもにとっては、望ましいことではない。

○一歩手前で、やめる
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子どもが30分ほど、勉強しそうだったら、20分くらいのところで、やめる。ワークを10ページくらいしそうだったら、7~8ページくらいのところで、やめる。子どもを伸ばすコツは、無理をしない。強制をしない。もしあなたが、「子どもというのは、しぼればしぼるほど伸びる」とか、「子どもの勉強には、きびしさが必要」と考えているなら、それは、とんでもない誤解。どこかの総本山での、小僧教育ならともかくも、今は、そういう時代ではない。

○バカなフリをして伸ばす
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おとなは、決して、おとなの優位性を子どもに、見せつけてはいけない。押しつけてはいけない。子どもにとって、最大の喜びは、父親や、母親を、何かのことで、負かすことである。親の立場でいえば、子どもに負けることを、恥じることはない。反対に、ときには、バカな親のフリをして、子どもに自信をもたせる。「こんな親では、アテにできない」と子どもが思うようになったら、しめたもの。

○集中力も力のうち
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よく、「うちの子は、集中力がありません。集中力をつけるには、どうしたらいいでしょうか」という質問をもらう。しかし集中力も、「力」のうち。頭をよくする方法が、そんなにないように、集中力をつける方法というのも、それほど、ない。あれば、私が知りたいくらいである。ただ指導のし方によって、子どもを、ぐいぐいとこちらのペースに引きこんでいくことはできる。しかし集中力のある・なしは、子どもの問題ではなく、指導する側の問題ということになる。

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○一貫性
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内容がどうであれ、よき親と、そうでない親のちがいといえば、一貫性のある、なしで、決まる。権威主義的なら権威主義的でもかまわない。(本当は、そうでないほうがよいが……。)親にその一貫性があれば、やがて子どものほうが、それに合わせる。私の叔父の中には、権威主義のかたまりのような人がいた。しかし私は、その叔父は叔父として、認めることで、良好な人間関係をつくることができた。それなりに尊敬もしている。子どもの前では、いつも、同じ親であること。それが子どもの心に、大きな安定感を与える。

☆上下意識は、親子にキレツを入れる
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「親が上、子ガ下」という上下意識は、親子の間に、キレツを入れる。「上」の者にとっては、居心地のよい世界かもしれないが、「下」の者にとっては、そうでない。言いたいことも言えない、したいこともできないというのは、親子の間では、あってはならないこと。親はいつも子どもの友として、横に立つ。そういう姿勢が、良好な親子関係を育てる。

☆「ダカラ論」は、論理にあらず
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「親だから……」「子だから……」「長男だから……」「夫だから……」というのを、『ダカラ論』という。このダカラ論は、論理ではない。えてして、問答無用式に相手をしばる道具として、利用される。使い方をまちがえると、相手を苦しめる道具にもなりかねない。先日もテレビを見ていたら、妻が、夫に、「あなたは一家の大黒柱なんだからね」と言っているのを見かけた。それを見ていて、そういうふうに言われる夫は、つらいだろうなと、私は、ふと、そう思った。

☆親の恩着せ、子どもの足かせ
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「産んでやった」「育ててやった」「大学まで出してやった」と親が、子どもに恩を着せれば着せるほど、子どもの心は親から遠ざかる。そればかりか、子どもが伸びる芽を摘んでしまうこともある。たとえ親がそう思ったとしても、それを口にしたら、おしまい。親に恩を押しつけられ、苦しんでいる子どもは、いくらでもいる。

☆家族主義は、親の手本から
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まず子どもを幸福な家庭で包んでやる。「幸福な家庭というのは、こういうものですよ」と。それが家族主義の原点。見せるだけでは足りない。子どもの体の中にしみこませておく。その(しみこみ)があってはじめて、子どもは、今度は、自分が親になったとき、自然な形で、幸福な家庭を築くことができる。夫婦が助けあい、いたわりあい、励ましあう姿は、遠慮なく、子どもに見せておく。

☆離婚は淡々と、さわやかに
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親が離婚するとき、離婚そのものは、大きな問題ではない。離婚にいたる家庭内騒動が、子どもの心に暗い影を落とす。ばあいによっては、それがトラウマになることもある。だから離婚するにしても、子どもの前では淡々と。子どものいない世界で、問題を解決する。子どもを巻きこんでの離婚劇、それにいたる激しい夫婦げんかは、タブー中のタブー。夫婦げんかは、子どもへの「間接虐待」と心得ること。

☆よい聞き役が、子どもの思考力を育てる
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親は、子どもの前では、よき聞き役であること。ある人は、『沈黙の価値を知るものだけが、しゃべれ』というが、この格言をもじると、『沈黙の価値を知る親だけが、しゃべれ』となる。子どもの意見だから、不完全で未熟であるのは、当たり前。決して頭ごなしに、「お前の考え方はおかしい」とか、「まちがっている」とかは、言ってはいけない。「それはおもしろい考え方だ」と言って、いつも前向きに、子どもの意見を引き出す。そういう姿勢が、子どもの思考力を育てる。

☆子どもの前では、いつも天下国家を論じる
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子どもに話すテーマは、いつも大きいほうがよい。できれば、天下国家を論ずる。宇宙の話でも、歴史の話でもよい。親が小さくなればなるほど、子どもは小さくなる。隣や近所の人たちの悪口や批判は、タブー。見栄、体裁、世間体は、気にしない。こうした生き様は、子どものものの考え方を卑屈にする。「日本はねえ……」「世界はねえ……」という語りかけが、子どもを大きくする。

☆仮面をはずし、子どもには本音で生きる
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あなたが悪人なら、悪人でもかまわない。大切なことは、子どもの前では、仮面をはずし、本音で生きること。あるがままのあなたを、正直にさらけ出しながら生きる。かっこつけたり、飾ったりする必要はない。そういうあなたの中に、子どもは、いつか(一人の人間)を見る。ただし一言。子育てといっても、あなたはいつも一人の人間として、自分を伸ばしていかねばならない。それが結局は、真の子育て法ということになる。

●ワンポイント(2)

2010-01-03 23:12:25 | 日記
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☆優越感の押しつけは、子どもをつぶす
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おとなや親の優越性を、子どもに押しつけてはいけない。賢い親は、(教師もそうだが……)、バカなフリをしながら、子どもに自信をもたせ、そして子どもを伸ばす。相手は子ども。本気で相手にしてはいけない。ゲームをしても、運動をしても、ときにはわざと子どもに負けてみる。子どもが、「うちの父(母)は、アテにならない」と思うようなったら、しめたもの。勉強について言うなら、「こんな先生に習うくらいなら、自分でしたほうがマシ」と思うようになったら、しめたもの。

☆親の動揺、子どもを不安にする
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たとえば子どもが不登校的な拒否症状を示すと、たいていの親は、狂乱状態になる。そして親が感ずる不安や心配を、そのまま子どもにぶつけてしまう。が、この一撃が、さらに子どもの心に、大きなキズをつける。数か月ですんだはずの不登校が、1年、2年とのびてしまう。子どもの心の問題を感じたら、一喜一憂は、厳禁。半年単位でものを考える。「半年前はどうだったか?」「1年前はどうだったか?」と。

☆言うべきことは言っても、あとは時を待つ
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親は言うべきことは言っても、そこで一歩引き下がる。すぐわからせようとか、実行させようと考えてはいけない。子どもの耳は、そういう意味で長い。脳に届いてから、それを理解するまでに、時間がかかる。実行するまでには、さらに時間がかかる。まずいのは、その場で、とことん子どもを追いつめてしまうような行為。子どもはかえってそれに反発し、その反対のことをするようになる。

☆質素が子どもの心を豊かにする
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子どもには、質素な生活は、どんどん見せる。しかしぜいたくは、するとしても、子どものいないところで、また子どもの見えないところでする。子どもというのは、一度、ぜいたくを覚えると、あともどりできない。だから、子どもにはぜいたくを、経験させない。
なお質素とケチは、よく誤解される。質素であることイコール、貧乏ということでもない。質素というのは、つつましく生活をすることをいう。身のまわりにあるものを大切に使いながら、ムダをできるだけはぶく。要するに、こまやかな心が通いあう生活を、質素な生活という。

☆うしろ姿を押し売りは、子どもを卑屈にする
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 生活のためや、子育てのために苦労している姿を、「親のうしろ姿」という。日本では、うしろ姿を子どもに見せることを美徳のように考えている人がいるが、これは美徳でも何でもない。子どもというのは、親が見せるつもりはなくても、親のうしろ姿を見てしまうかもしれないが、しかしそれでも、親は親として、子どもの前では、毅然(きぜん)として生きる。そういう前向きの姿が、子どもに安心感を与え、子どもを伸ばす。

☆生きる力は、死を厳粛に扱うことから
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 死があるから、生の大切さがわかる。死の恐怖があるから、生きる喜びがわかる。人の死の悲しみがあるから、人が生きていることを喜ぶ。どんな宗教でも、死を教えの柱におく。その反射的効果として、「生」を大切にするためである。子どもの教育においても、またそうで、子どもに生きることの大切さを教えたかったら、それがたとえペットの死であっても、死は厳粛にあつかう。

☆度量の大きさは、立方体で計算する
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子育ての度量の大きさは、(たて)X(横)X(高さ)で決まる。(たて)というのは、その人の住む世界の大きさ。(横)というのは、人間的なハバ。(高さ)というのは、どこまで子どもを許し、忘れるかという、その深さのこと。もちろんだからといって、子どもに好き勝手なことをさせろということではない。要するに、あるがままの子どもを、どこまで受け入れることができるかということ。

☆「今」を大切に、「今」を懸命に生きる
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 過去なんてものは、どこにもない。未来なんてものも、どこにもない。あるのは、「今」という現実。だからいつまでも過去を引きずるのも、また未来のために、「今」を犠牲にするのも、正しくない。「今」を大切に、「今」という時の中で、最大限、自分のできることを、懸命にがんばる。明日は、その結果として、必ずやってくる。だからといって、過去を否定するものではない。また何かの目標に向かって努力することを否定するものでもない。しかし大切なのは、「今」という現実の中で、自分を光り輝かせて生きていくこと。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

☆『休息を求めて疲れる』は、愚かな生き方
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 イギリスの格言である。愚かな生き方の代名詞のようにもなっている格言である。つまり「いつか楽になろう、楽になろうとがんばっているうちに、疲れてしまい、結局は何もできなくなる」ということ。しかしほんの少し考え方を変えれば、あなたの生活はみちがえるほど、豊かになる。方法は簡単。あなたも1呼吸だけ、今までのリズムを遅くすればよい。

☆行きづまったら、生きる源流に視点を
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 「子どもがここに生きている」という源流に視点をおくと、そのとたん、子育てにまつわるあらゆる問題は、解決する。「この子は生きているだけでいい」と思いなおすことで、すべての問題は解決する。あなたももし、子育てをしていて、行きづまりを感じたら、この源流から、子どもを見てみるとよい。それですべての問題は解決する。

☆モノより思い出
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 イギリスの格言に、『子どもには、釣りザオを買ってあげるより、いっしょに魚釣りに行け』というのがある。子どもの心をつかみたかったら、そうする。親は、よく、「高価なものを買い与えたから、子どもは感謝しているはず」とか、「子どもがほしいものを買い与えたから、親子のパイプは太くなったはず」と考える。しかしこれはまったくの誤解。あるいは逆効果。子どもは一時的には、親に感謝するかもしれないが、あくまでも一時的。物欲をモノで満たすことになれた子どもは、さらにその物欲をエスカレートさせる。

☆子育てじょうずは、よき先輩をもつことから
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あなたの近くに、あなたの子どもより、1~3歳年上の子どもをもつ人がいたら、多少、無理をしてでも、その人と仲よくする。その人に相談することで、たいてい「うちも、こんなことがありましたよ」というような話で、あなたの悩みは、解消する。「無理をしてでも」というのは、「月謝を払うつもりで」ということ。相手にとっては、あまりメリットはないのだから、これは当然といえば、当然。が、それだけではない。あなたの子どもも、その人の子どもの影響を受けて、伸びる。

☆子どもの先生は、子ども
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あなたの近くに、あなたの子どもより1~3歳年上の子どもをもつ人がいたら、その人と仲よくしたらよい。あなたの子どもは、その子どもと遊ぶことにより、すばらしく伸びる。この世界には、『子どもの先生は、子ども』という、大鉄則がある。子ども自身も、同じ仲間という意識で見るため、抵抗がない。また、こと「勉強」ということになると、1、2年、先を見ながら、勉強するということは、それなりに重要である。

☆指示は具体的に
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子どもに与える指示は、具体的に。たとえば「あと片づけしなさい」と言っても、子どもには、あまり意味がない。そういうときは、「おもちゃは、一つですよ」と言う。「友だちと仲よくするのですよ」というのも、そうだ。そういうときは、「これを、○○君に渡してね。きっと、○○君は喜ぶわよ」と言う。学校で先生の話をよく聞いてほしいときは、「先生の話をよく聞くのですよ」ではなく、「学校から帰ってきたら、先生がどんな話をしたか、あとでママに話してね」と言う。

●汝自身を知れ
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古代ギリシアの7賢人の1人のターレスは、『汝自身を知れ』という言葉を残した。その言葉が、アポロン神殿の柱に書かれているのを見て、ソクラテスが、『無知の知』という言葉を導いた。「私たちは、自分のことを知っているようで、実は何も知らない」と。この言葉を子育てにあてはめてみると、こうなる。「自分の子どものことは、自分がいちばんよく知っていると思いこんでいる親ほど、自分の子どものことがわかっていない」と。

●約束(ルール)を守る,
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日々の積み重ねが月となり、その月が積み重なって、年となる。その年が、10年、20年と積み重なって、その人の人格となる。その日々の積み重ねは、身の回りのほんのささいなことから始まる。子どもが見ているとか、見ていないとか、そういうことには関係なく、約束(ルール)を守る。ウソをつかない。そういう親の姿を、子どもは、うしろから見る。自分の人格とする。

●子どもは使う
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子どもは使えば使うほど、よい子になる。忍耐力(=いやなことをする力)も、それで身につく。社会性も身につく。が、それ以上に、他人の苦しみや悲しみを理解できるようになる。言うまでもなく、子どもにかぎらず人は、自分で苦労をしてみてはじめて、他人の苦労が理解できるようになる。その心のポケットができる。あなたが重い荷物をもって歩いているとき、「もってあげる!」と子どもが助けてくれれば、それでよし。そうでなければ、家庭教育のあり方を、猛省する。

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●夢と希望、そして目的
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目的(目標)をもった子どもは、強い。多少の誘惑くらいなら、自らはねのけてしまう。心の抵抗力ができていると考える。その心の抵抗力をつける第一。それが夢と希望。その先に目標(目的)ができる。そのため、子どもの夢や希望は、大切にする。親の価値観を、けっして、押しつけてはいけない。子どもが「花屋さんになりたい」と言ったら、すかさず、「そうね、それはすてきね」と言い返してやる。そういう親の姿勢が、子どもの夢や希望を育てる。

●子どもの横に立つ
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子育てには、3つの役目がある。ガイドとして、子どもの前に立つ。保護者として、子どものうしろに立つ。そして友として、子どもの横に立つ。日本人は、伝統的に、子どもの前やうしろに立つのは得意だが、横に立つのが苦手。そのため多くのばあい、子どもが親離れを始めるころから、親子の間にキレツが入るようになり、さらに多くのばあい、そのキレツは、断絶へとつながっていく。

●忍耐力は、いやなことをする力
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試しに、台所のシンクにたまった生ごみを、始末させてみればよい。あるいは風呂場の排水口にたまった毛玉でもよい。そのとき、「ハ~イ」と言って、あなたの子どもがそれを始末したとしたら、あなたの子どもは、すばらしい子どもとみてよい。またこのタイプの子どもは、学習面でも、伸びる。なぜなら、勉強というのは、もともと(イヤなもの)。そのイヤなことを乗り切る力が、ここでいう忍耐力ということになる。その忍耐力を育てるためには、子どもは、使う。

●ワンポイント(2)

2010-01-03 23:07:00 | 日記
●思考回路というレール
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夢や希望をもち、さらには目標(目的)をもち、その目標に向かって努力する。その道筋を、思考回路という。大切なのは、その思考回路。というのも、夢や希望というのは、そのつど変化する。変化して当然。幼児のころは、「お花屋さんになりたい」と言っていた子どもでも、小学生になると、「パン屋さんになりたい」「ケーキ屋さんになりたい」と言うかもしれない。中身は何であれ、思考回路にできている子どもは、その思考回路の上に夢や希望を乗せて、前向きに進んでいくことができる。 ※

●子どもに育てられる
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親は、子育てをしながら、子どもに否応(いやおう)なしに育てられる。はじめて子どもを幼稚園へ連れてきたような母親は、たしかに若くて美しいが、中身がない。そんな母親でも、子育てで苦労をするうち、やがて姿勢が低くなる。幼稚園を卒園するころになると、みなに、深々と頭をさげるようになる。中身ができてくる。つまり親が子どもを育てるのではない。子どもが親を育てる。子どもに育てられることを、恐れてはいけない。

●熟成される「善」
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西洋では、「善と悪は、神の左手と右手である」という。しかし善と悪は、決して、平等ではない。善人ぶることは簡単なこと。しかし自分の体の中から、悪を抜くのは、容易なことではない。しかもその善と悪は、長い時間をかけて、心の中で熟成される。とくに善は、10年とか、20年とか、長い年月を経て熟成される。いつか、あなたも、親ではなく、1人の人間として、子どもに評価されるときがやってくる。その評価に耐えうる人間になれるかどうか。それは子育てにおける、大きなテーマのひとつと考えてよい。

●すなおな子ども
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親や教師の言うことに従順で、それに静かに従う子どもを、すなおな子どもというのではない。すなおな子どもというときは、(1)心の状態(=情意)が、そのまま表情となって表れる子ども、(2)心のゆがみ(いじける、つっぱる、ひねくれるなど)のない子どもをいう。イヤだったら、「イヤ!」と言う。何でもないことかもしれないが、それが自然な形でできる子どもを、すなおな子どもという。

●至上の愛
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ある母親は、自分の子どもが死ぬか、生きるかの大病を繰りかえしたとき、天に向かって、こう言って祈ったという。「私の命は、どうなってもいい。私の命と交換してでもいいから、子どもの命を救ってエ!」と。こうした(自分の命すら惜しくない)という、まさに至上の愛は、人は、子どもをもってはじめて知る。子どもを、ただの子どもと思ってはいけない。あなたの子どもは、あなたに何かを教えるために、そこにいる。

●シャドウに警戒する
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人は善人ぶることによって、自分の中に潜む(邪悪な部分)を、どこかへ押し込める。これをユングという学者は、「シャドウ」と呼んだ。そのシャドウを、子どもはうしろから見ていて、そっくりそのまま、引き継いでしまう。ときとして、牧師や僧侶など、聖職者と呼ばれる人の子どもが、凶悪犯罪人になるプロセスは、こうして説明される。善人ぶるとしても、それを仮面(ペルソナ)として、意識すること。仮面を脱ぎ忘れてはいけない。

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●自立したよき家庭人
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アメリカでもオーストラリアでも、そしてドイツでもフランスでも、親や教師たちはみな、こう言う。「子育ての目標は、よき家庭人として、子どもを自立させること」と。が、一方、この日本では、いまだに、出世主義、名誉主義、さらには権威主義が、大手を振って、まかり通っている。封建時代の亡霊たちが、いまだに、のさばっている。そしてそれが教育について言えば、諸悪の根源になっている。

●「偉い」という言葉を、廃語にしよう
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日本では、地位や肩書のある人を、「偉い人」という。一方、英語には、「偉い人」にあたる言葉すらない。あえて言うなら、「respected man」ということになる。「尊敬される人」という意味である。地位や肩書は、関係ない。だから子どもには、「偉い人になれ」ではなく、「尊敬される人になれ」と言う。それが子どもの心をまっすぐ伸ばす。

●「家族」という重圧
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家族は、それ自体、美徳であり、個々の人の心をいやす、心のより所である。が、その家族も、ひとたびリズムが狂うと、今度は、重圧感となって、その人を苦しめることもある。事実、その重圧感(=家族自我群)の中で、もがき苦しんでいる人も多い。反対に、自分の子どもを、安易な親意識で、縛りつける親も少なくない。「産んでやった」「育ててやった」と。こうした言葉は、親子の間では、使うとしても、心して最小限にする。

●恩の押し売り
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日本の親たちは、無意識のうちにも、子どもに対して、恩の押し売りをする。「産んでやった」「育ててやった」と。その代表的なものが、窪田聡という人が作詞した、『かあさんの歌』。「♪せっせと手袋編んでやった」「♪おとうは土間で、藁打ち仕事」と。あれほどまでに恩着せがましい歌はない。言うとしたら、「♪春になれば、温泉へ行ってくるよ」「♪家のことは心配しなくていいからね」だ。

●悪玉親意識
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親意識にも、2種類ある。善玉親意識(=私は親としての責任を果たすという親意識)と、悪玉親意識(=親風を吹かし、自分の子どもを自分の支配下に置こうとする親意識)。悪玉親意識が強い親は、「産んでいやった」「育ててやった」「大学まで出してやった」と、そのつど、親の恩を子どもに押しつける。そしてあげくの果てには、「大学まで出してやったのに、何だ、その態度は!」と言うようになる。悪玉親意識に、注意!

●親の統合性
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子どもは、自分のしたいこと(=自己概念)を、現実にすること(=現実自己)によって、自分を確立することができる。これを「自己の同一性」という。一方、親は、それでは満足できない。親は、自分がすべきことを、現実にすることによって、自分を確立する。これを「自己の統合性」という。その(すべきこと)には、多くのばあい、苦労や苦痛がともなう。親は子育てをしながらも、自己の統合性をめざす。

●人生の正午
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満40歳前後を、「人生の正午」と呼ぶ。このころから、人は、老後の準備を始める。つまり「死」という限界状況の中で、自分のすべきことを模索するようになる。(したいこと)ではない。(すべきこと)を、だ。その準備を怠ると、その人の老後は、あわれで、みじめなものになる。孫の世話、庭木の手入れ、旅行ざんまいの生活が、けっしてあるべき(老後の生活)ではない。

●「だから、それがどうしたの?」
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(したいこと)と、(すべきこと)の間には、大きな距離がある。それがわからなければ、自分にこう問うてみればよい。何か、おいしいものを食べた……だから、それがどうしたの?、と。あるいは何か、ぜいたくなものを買った……だから、それがどうしたの?、と。(したいこと)をしても、その答は返ってこない。(すべきこと)をしたときのみ、その答が返ってくる。

●子育ては、子離れ
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心のどこかで子育てを意識したら、すかさず、子離れを考える。もっと言えば、いかに子どもの親離れをじょうずにさせるかを、考える。でないと、未熟な親のまま、いつまでも子離れできなくなってしまう。そのよい例が、野口英世の母である。外国で懸命に研究生活をしている自分の息子に向かって、「帰ってきておくれ」は、ない。言うとしたら、「私のことは心配しなくていい」「研究が終わるまで、帰ってくるな」である。未熟な親を、けっして美化してはいけない。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

●「釣りバカ日誌」論
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浜ちゃんとスーさんは、いつもいっしょに釣りに行く。しかし自分の妻は連れていかない。日本人には何でもない光景だが、欧米では、考えられない。会社の同僚たちとの飲み食い(=パーティ)するときでも、夫婦同伴が原則。もし欧米で、男どうしが、2人でいそいそと旅行に行こうものなら、同性愛者とまちがえられる。見なれた光景だが、日本の常識は、けっして世界の常識ではない。

■子はかすがい論
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たしかに子どもがいることで、夫婦が力を合わせるということはよくある。夫婦のきずなも、それで太くなる。しかしその前提として、夫婦は夫婦でなくてはならない。夫婦関係がこわれかかっているか、あるいはすでにこわれてしまったようなばあいには、子はまさに「足かせ」でしかない。日本には「子は三界の足かせ」という格言もある。

■親のうしろ姿
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生活や子育てで苦労している姿を、「親のうしろ姿」という。日本では「子は親のうしろ姿を見て育つ」というが、中には、そのうしろ姿を子どもに見せつける親がいる。「親のうしろ姿は見せろ」と説く評論家もいる。しかしうしろ姿など見せるものではない。(見せたくなくても、子どもは見てしまうかもしれないが、それでもできるだけ見せてはいけない。)恩着せがましい子育て、お涙ちょうだい式の子育てをする人ほど、このうしろ姿を見せようとする。

■親の威厳
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「親は威厳があることこそ大切」と説く人は多い。たしかに「上」の立場にいるものには、居心地のよい世界かもしれないが、「下」の立場にいるものは、そうではない。その分だけ上のものの前では仮面をかぶる。かぶった分だけ、心を閉じる。威厳などというものは、百害あって一利なし。心をたがいに全幅に開きあってはじめて、「家族」という。「親の権威」などというのは、封建時代の遺物と考えてよい。

■育自論
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よく、「育児は育自」と説く人がいる。「自分を育てることが育児だ」と。まちがってはいないが、子育てはそんな甘いものではない。親は子どもを育てながら、幾多の山を越え、谷を越えている間に、いやおうなしに育てられる。育自などしているヒマなどない。もちろん人間として、外の世界に大きく伸びていくことは大切なことだが、それは本来、子育てとは関係のないこと。子育てにかこつける必要はない。

■親孝行論
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安易な孝行論で、子どもをしばってはいけない。いわんや犠牲的、献身的な「孝行」を子どもに求めてはいけない。強要してはいけない。孝行するかどうかは、あくまでも子どもの問題。子どもの勝手。親子といえども、その関係は、一対一の人間関係で決まる。たがいにやさしい、思いやりのある言葉をかけあうことこそ、大切。親が子どものために犠牲になるのも、子どもが親のために犠牲になるのも、決して美徳ではない。親子は、あくまでも「尊敬する」「尊敬される」という関係をめざす。

■「産んでいただきました」論
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● よく、「私は親に産んでいただきました」「育てていただきました」「言葉を教えていただきました」と言う人がいる。それはその人自身の責任というより、そういうふうに思わせてしまったその人の周囲の、親たちの責任である。日本人は昔から、こうして恩着せがましい子育てをしながら、無意識のうちにも、子どもにそう思わせてしまう。いわゆる依存型子育てというのが、それ。

■水戸黄門論
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日本型権威主義の象徴が、あの「水戸黄門」。あの時代、何がまちがっているかといっても、身分制度(封建制度)ほどまちがっているものはない。その身分制度(=巨悪)にどっぷりとつかりながら、正義を説くほうがおかしい。日本人は、その「おかしさ」がわからないほどまで、この権威主義的なものの考え方を好む。葵の紋章を見せつけて、人をひれ伏せさせる前に、その矛盾に、水戸黄門は気づくべきではないのか。仮に水戸黄門が悪いことをしようとしたら、どんなことでもできる。ご注意!

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■「釣りバカ日誌」論
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男どうしで休日を過ごす。それがあのドラマの基本になっている。その背景にあるのが、「男は仕事、女は家庭」。その延長線上で、「遊ぶときも、女は関係なし」と。しかしこれこそまさに、世界の非常識。オーストラリアでも、夫たちが仕事の同僚と飲み食い(パーティ)をするときは、妻の同伴が原則である。いわんや休日を、夫たちだけで過ごすということは、ありえない。そんなことをすれば、即、離婚事由。「仕事第一主義社会」が生んだ、ゆがんだ男性観が、その基本にあるとみる。

●ワンポイント(2)

2010-01-03 23:01:57 | 日記
■「かあさんの歌」論
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K田聡氏作詞の原詩のほうでは、歌の中央部(三行目と四行目)は、かっこ(「」)つきになっている。「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」「♪と。しかしこれほど、恩着せがましく、お涙ちょうだいの歌はない。親が子どもに手紙を書くとしたら、「♪村の祭に行ったら、手袋を売っていたよ。あんたに似合うと思ったから、買っておいたよ」「♪おとうは居間で俳句づくり。新聞にもときどき載るよ」「♪だ。

■内助の功論
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封建時代の出世主義社会では、「内助の功」という言葉が好んで用いられた。しかしこの言葉ほど、女性を蔑視した言葉もない。どう蔑視しているかは、もう論ずるまでもない。しかし問題は、女性自身がそれを受け入れているケースが多いということ。約二三%の女性が、「それでいい」と答えている※。決して男性だけの問題ではないようだ。
※……全国家庭動向調査(厚生省九八)によれば、「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」という考えに反対した人が、23・3%もいることがわかった。

●同一性の危機
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万引き、自転車盗、薬物濫用、暴走、家庭内暴力、校内暴力、性非行、無断外泊、いじめを、非行という(会津若松警察書)。子どもは、(自分のしたいこと)と、(現実にしていること)の間に遊離感を覚えたとき、無意識のうちにも、その距離を、縮めようとする。子どもの耐性にもよるが、それが一定の限界(個人差は当然ある)を超えたとき、子どもの自我の同一性は、危機に立たされる。

●夢・希望・目的
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夢・希望・目的は、子どもを伸ばす、三種の神器。これら夢・希望・目的は、(自分のしたいこと)と、(現実にしていること)が一致しているとき、あるいは、そこに一体感があるとき、そこから生まれる。「ぼくはサッカー選手になる」「私はケーキ屋さんになる」と。そしてサッカーの練習をしたり、ケーキを自分で焼いてみたりする。「プロの選手になる」とか、「パン屋さんになる」とかいう目的は、そこから生まれる。

●子どもの忍耐力
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同一性が危機に立たされると、子どもは、それを修復しようとする。(自分のしたいこと)を、別のものに置きかえたり、(現実にしていること)を、修正しようとしたりする。あるいは「したくないが、がんばってやってみよう」と考えたりする。ここで登場するのが、忍耐力ということになる。子どもにとって、忍耐力とは、(いやなことをする力)をいう。この忍耐力は、幼児期までに、ほぼ完成される。

●同一性の崩壊
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同一性を支えきれなくなると、そこで同一性の崩壊が始まる。子ども自身、自分が何をしたいか、わからなくなってしまう。また何をしてよいのか、わからなくなってしまう。「私は何だ」「私はだれだ」と。「私はどこへ行けばよいのか」「何をすればよいのか」と。それは「混乱」というような、なまやさしいものではない。まさに「自己の崩壊」とも言うべきもの。当然、子どもは、目的を見失う。

●顔のない自分
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同一性が崩壊すると、いわゆる(顔のない自分)になる。で、このとき、子どもは、大きく分けて、二つの道へと進む。(1)自分の顔をつくるため、攻撃的かつ暴力的になる(攻撃型)。(2)顔のない自分のまま、引きこもったり、カラに閉じこもったりする(逃避型)。ほかに、同情型、依存型、服従型をとる子どももいる。顔のない自分は、最悪のケースでは、そのまま自己否定(=自殺)へとつながってしまう。

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●校内暴力
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暴力的な子どもに向かって、「そんなことをすれば、君がみなに嫌われるだけだよ」と諭(さと)しても、意味はない。その子どもは、みなに嫌われ、怖れられることで、(自分の顔)をつくろうとする。(顔のない自分)よりは、(顔のある自分)を選ぶ、。だからみなが、恐れれば、怖れるほど、その子どもにとっては、居心地のよい世界となる。攻撃型の子どもの心理的のメカニズムは、こうして説明される。

●子どもの自殺
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おとなは、生きるのがいやになって、その結果として、自殺を選ぶ。しかし子どものばあいは、(顔のない自分)に耐えきれず、自殺を選ぶ。自殺することによって、(自分の顔)を主張する。近年ふえているリストカットも、同じように説明できる。リストカットすることで、自分を主張し、他人からの注目(同情、あわれみなど)を得ようとする。「贖罪(しょくざい)のために、リストカットする」と説く学者もいる(稲富正治氏ほか)。

●自虐的攻撃性
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攻撃型といっても、2つのタイプがある。外に向って攻撃的になる(校内暴力)と、内に向って攻撃的になる(ガリ勉、猛練習)タイプ。「勉強しかしない」「勉強しかできない」「朝から寝るまで勉強」というタイプは、後者ということになる。決して、勉強を楽しんでいるのではない。「勉強」という場で、(自分の顔)をつくろうとしていると考えるとわかりやすい。近年、有名になったスポーツ選手の中には、このタイプの人は少なくない。

●自我の同一性
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(子どもがしたがっている)ことに、静かに耳を傾ける。そしてそれができるように、子どもの環境を整えていく。そうすることで、子どもは、(自分のしたいこと)と、(自分がしていること)を一致させることができる。これを「自我の同一性」という。この両者が一致している子どもは、夢や希望もあり、当然、目的もあるから、見た目にも、落ちついていて、どっしりとしている。抵抗力もあるから、誘惑にも強い。

●心の抵抗力
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「私は~~をしたい」「ぼくは~~する」と、目的と方向性をしっかりともっている子どもは、心の抵抗力も強い。外部からの誘惑があっても、それをはねのける。小学校の高学年から中学校にかけては、その誘惑が、激増する。そうした誘惑をはね返していく。が、同一性が崩壊している子どもは、生きザマが、せつな的、享楽的になるため、悪からの誘いがあると、スーッとその世界に入ってしまう。

●夢や希望を育てる
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たとえば子どもが、「花屋さんになりたい」と言ったとする。そのとき重要なことは、親は、それに答えて、「そうね、花屋さんはすてきね」「明日、球根を買ってきて、育ててみましょうか」「お花の図鑑を買ってきましょうか」と、子どもの夢や希望を、育ててやること。が、たいていの親は、この段階で、子どもの夢や希望を、つぶしてしまう。そしてこう言う。「花屋さんも、いいけど、ちゃんと漢字も覚えてね」と。

●子どもを伸ばす三種の神器
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子どもを伸ばす、三種の神器が、夢、目的、希望。しかし今、夢のない子どもがふえた。中学生だと、ほとんどが、夢をもっていない。また「明日は、きっといいことがある」と思って、一日を終える子どもは、男子30%、女子35%にすぎない(「日本社会子ども学会」、全国の小学生3226人を対象に、04年度調査)。子どもの夢を大切に、それを伸ばすのは、親の義務と、心得る。

●役割混乱
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子どもは、成長するにつれて、心の充実をはかる。これを内面化というが、そのとき同時に、「自分らしさ」を形成していく。「花屋さんになりたい」と言った子どもは、いつの間にか、自分の周囲に、それらしさを作っていく。これを「役割形成」という。子どもを伸ばすコツは、その役割形成を、じょうずに育てていく。それを破壊すると、子どもは、「役割混乱」を起こし、精神的にも、情緒的にも、たいへん不安定になり、混乱する。

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●思考プロセス(回路)
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しかし重要なのは、「思考プロセス」。幼いときは、「花屋さんになりたい」と思ってがんばっていた子どもが、年齢とともに、今度は、「看護婦さんになりたい」と言うかもしれない。しかし幼いときに、花屋さんになりたいと思ってがんばっていた道筋、あるいは思考プロセスは、そのまま残る。その道筋に、花屋さんにかわって、今度は、看護婦が、そこへ入る。中身はかわるかもしれないが、今度は、子どもは、看護婦さんになるために、がんばり始める。

●進学校と受験勉強
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たいへんよく誤解されるが、「いい高校」「いい大学」へ入ることは、一昔前までは、目的になりえたが、今は、そういう時代ではない。学歴の権威を支える、権威主義社会そのものが崩壊してしまった。親は、旧態依然の考え方で、「いい大学へ入ることが目的」と考えやすいが、子どもにとっては、それは、ここでいう目的ではない。「受験が近いから、(好きな)サッカーをやめて、受験塾へ行きなさい」と子どもを追うことで、親は子どもの夢をつぶす。「つぶしている」という意識すらないまま……。

●これからはプロの時代
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これからはプロが生き残る時代。オールマイティなジェネラリストより、一芸にひいでたプロのほうが、尊重される。大手のT自動車の面接試験でも、学歴不問。そのかわり、「君は何ができるか?」と聞かれる時代になってきている。大切なことは、子どもが、生き生きと、自分の人生を歩んでいくこと。そのためにも、子どもの一芸を大切にする。「これだけは、だれにも負けない」というものを、子どもの中につくる。それが将来、子どもを伸ばす

●大学生の問題
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現在、ほとんどの高校生は、入れる大学の入れる学部という視点で、大学や学部を選んでいる。もともと、勉強する目的すらもっていない。そのため、入学すると同時に、無気力になってしまったり、遊びに夢中になってしまう大学生が多い。燃え尽きてしまったり、荷おろし症候群といって、いわゆる心が宙ぶらりんになってしまう子どもも多い。当然、誘惑にも弱くなる。

●自我の同一性と役割形成
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子どもをまっすぐ伸ばすためには、(子どもがしたがっていること)を、(現在していること)に一致させていく。そしてそれを励まし、伸ばす。親の価値観だけで、「それはつまらない仕事」「そんなことは意味がない」などと、言ってはいけない。繰りかえすが、子どもが、「お花屋さんになりたい」と言ったら、すかさず、「それはすてきね」と言ってあげる。こういう育児姿勢が、子どもを、まっすぐ伸ばす基礎をつくる。

●結果はあとからついてくるよ!
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大切なことは、今できることを、懸命にすることだよ。結果は、あとからついてくる。またその結果がたとえ悪くても、気にしてはいけないよ。ぼくたちの目的は、失敗にめげず、前に進むことだよ。あの「宝島」を書いたスティーブンソンは、そう言っているよ。

●子育ては工夫
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 子育ては工夫に始まって、工夫に終わる。わかりやすく言えば、知恵比べ。この知恵比べによって、子どもは、伸びる。が、それだけではない。何か問題が起きたときも、同じ。家庭環境は千差万別。状態も状況も、みなちがう。子どもについて言うなら、性格も性質も、みなちがう。能力もちがう。そんなわけで、「子育ては知恵くらべ」と心得る。この知恵比べが、前向きにできる人を、賢い親という。

●内政不干渉
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たとえ親類でも、兄弟でも、内政については、干渉しない。相手が相談をもちかけてきたときは別として、こちらからあれこれアドバイスしたり、口を出したりしてはいけない。相手を説教するなどということは、タブー中のタブー。ばあいによっては、それだけで、人間関係は、破壊される。それぞれの家庭には、人には言うに言われぬ事情というものがある。その事情も知らないで、つまり自分の頭の中だけで考えてものを言うのは、たいへん危険なことである。

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●受験家族は病人家族
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 「受験家族は、病人家族」と心得るべし。受験生をもつ親に向かって、「どこを受験するの?」「合格したの?」と聞くことは、病人に向かって、「病名は何?」「寿命はどれくらい?」と聞くのと同じくらい、失礼なこと。相手のほうから話題にするばあいは、べつとして、そうでなければ、それについて触れるのは、タブー。出身校、学歴についても、同じ

●乳幼児にも記憶がある
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乳幼児にも記憶が残る! ワシントン大学のメルツオフは、それを証明した。しかもその記憶は、おとなの私たちとは比較にならないほど、まさに怒涛のように脳の中に記憶される。まわりの空気、匂い、音、母親の肌のぬくもり、息づかいなどなど。そしてそれがやがてその子供の心の基礎となる。目を閉じてやすらかに眠る乳児。けっして、軽く考えてはいけない。