最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

(2)

2009-12-17 08:12:55 | 日記



アメリカには、家庭で教えるホームスクール、親たちが教師を雇って開くチャータースクール、さらには学校券で運営するバウチャースクールなどもある。行き過ぎた自由化が、問題になっている部分もあるが、こうした「自由さ」が、アメリカの教育をダイナミックなものにしている。


 ドイツでは、中学生にしても、たいていは午前中だけで授業を終え、そのまま、それぞれのクラブに通っている。


 運動クラブだけではない。科学クラブもあれば、それぞれの趣味に合わせたクラブもある。そしてそうした費用は、「チャイルドマネー」と呼ばれている補助金によって、まかなわれている。


【後書き】


内閣府の調査でも、「教育は悪い方向に向かっている」と答えた人は、二六%もいる(二〇〇〇年)。九八年の調査よりも八%もふえた。むべなるかな、である。


 もう補習をするとかしなとかいうレベルの話ではない。日本の教育改革は、三〇年は遅れた。しかも今、改革(?)しても、その結果が出るのは、さらに二〇年後。そのころ世界はどこまで進んでいることやら! 


日本の文部科学省は、いまだに大本営発表よろしく、「日本の教育レベルはそれほど低くはない」(※1)と言っているが、そういう話は鵜呑みにしないほうがよい。今では分数の足し算、引き算ができない大学生など、珍しくも何ともない。


「小学生レベルの問題で、正解率は五九%」(国立文系大学院生について調査、京都大学西
村和雄氏)(※2)だそうだ。


 あるいはこんなショッキングな報告もある。世界的な標準にもなっている、TOEFL(国際英語検定試験)で、日本人の成績は、一六五か国中、一五〇位(九九年)。「アジアで日本より成績が悪い国は、モンゴルぐらい。北朝鮮とブービーを争うレベル」(週刊新潮)だそうだ。


オーストラリアあたりでも、どの大学にも、ノーベル賞受賞者がゴロゴロしている。しかし日本には数えるほどしかいない。あの天下の東大でも、たったの二人。ちなみにアメリカだけでも、二五〇人もの受賞者がいる。ヨーロッパ全体では、もっと多い(田丸謙二氏指摘)。


 「構造改革(官僚主導型の政治手法からの脱却)」という言葉がよく聞かれる。しかし今、この日本でもっとも構造改革が遅れ、もっとも構造改革が求められているのが、文部行政である。私はその改革について、つぎのように提案する。


(1) 中学校、高校では、無学年制の単位履修制度にする。(アメリカ)
(2)中学校、高校では、授業は原則として午前中で終了する。(ドイツ、イタリアなど)
(3)有料だが、低価格の、各種無数のクラブをたちあげる。(ドイツ、カナダ)
(4)クラブ費用の補助。(ドイツ……チャイルドマネー、アメリカ……バウチャ券)
(5)大学入学後の学部変更、学科変更、転籍を自由化する。(欧米各国)
(6)教科書の検定制度の廃止。(各国共通)
(7)官僚主導型の教育体制を是正し、権限を大幅に市町村レベルに委譲する。
(8)学校法人の設立を、許認可制度から、届け出制度にし、自由化をはかる。


 が、何よりも先決させるべき重大な課題は、日本の社会のすみずみにまではびこる、不公平である。


この日本、公的な保護を受ける人は徹底的に受け、そうでない人は、まったくといってよいほど、受けない。わかりやすく言えば、官僚社会の是正。官僚社会そのものが、不公平社会の温床になっている。この問題を放置すれば、これらの改革は、すべて水泡に帰す。今の状態で教育を自由化すれば、一部の受験産業だけがその恩恵をこうむり、またぞろ復活することになる。


 ざっと思いついたまま書いたので、細部では議論もあるかと思うが、ここまでしてはじめて「改革」と言うにふさわしい。



(※1)
 国際教育到達度評価学会(IEA、本部オランダ・99年)の調査によると、日本の中学生の学力は、数学については、シンガポール、韓国、台湾、香港についで、第五位。以下、オーストラリア、マレーシア、アメリカ、イギリスと続くそうだ。理科については、台湾、シンガポールに次いで第三位。以下韓国、オーストラリア、イギリス、香港、アメリカ、マレーシア、と。


この結果をみて、文部科学省の徳久治彦中学校課長は、「順位はさがったが、(日本の教育
は)引き続き国際的にみてトップクラスを維持していると言える」(中日新聞)とコメントを寄せている。東京大学大学院教授の苅谷剛彦氏が、「今の改革でだいじょうぶというメッセージを与えるのは問題が残る」と述べていることとは、対照的である。


ちなみに、「数学が好き」と答えた割合は、日本の中学生が最低(四八%)。「理科が好き」と答えた割合は、韓国についでビリ二であった(韓国五二%、日本五五%)。学校の外で勉強する学外学習も、韓国に次いでビリ二。一方、その分、前回(九五年)と比べて、テレビやビデオを見る時間が、二・六時間から三・一時間にふえている。


で、実際にはどうなのか。東京理科大学理学部の澤田利夫教授が、興味ある調査結果を公表している。教授が調べた「学力調査の問題例と正答率」によると、つぎのような結果だそうだ。


この二〇年間(一九八二年から二〇〇〇年)だけで、簡単な分数の足し算の正解率は、小学六年生で、八〇・八%から、六一・七%に低下。分数の割り算は、九〇・七%から六六・五%に低下。小数の掛け算は、七七・二%から七〇・二%に低下。たしざんと掛け算の混合計算は、三八・三%から三二・八%に低下。全体として、六八・九%から五七・五%に低下している(同じ問題で調査)、と。


 いろいろ弁解がましい意見や、文部科学省を擁護した意見、あるいは文部科学省を批判した意見などが交錯しているが、日本の子どもたちの学力が低下していることは、もう疑いようがない。


同じ澤田教授の調査だが、小学六年生についてみると、「算数が嫌い」と答えた子どもが、二〇〇〇年度に三〇%を超えた(一九七七年は一三%前後)。反対に「算数が好き」と答えた子どもは、年々低下し、二〇〇〇年度には三五%弱しかいない。原因はいろいろあるのだろうが、「日本の教育がこのままでいい」とは、だれも考えていない。


少なくとも、「(日本の教育が)国際的にみてトップクラスを維持していると言える」というのは、もはや幻想でしかない。


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(※2)
 京都大学経済研究所の西村和雄教授(経済計画学)の調査によれば、次のようであったという。


調査は一九九九年と二〇〇〇年の四月に実施。トップレベルの国立五大学で経済学などを研究する大学院生約一三〇人に、中学、高校レベルの問題を解かせた。結果、二五点満点で平均は、一六・八五点。同じ問題を、学部の学生にも解かせたが、ある国立大学の文学部一年生で、二二・九四点。多くの大学の学部生が、大学院生より好成績をとったという。)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(343)


●The important thing is not to stop questioning. - Albert Einstein
「重要なことは、問いつづけることをやめないことだ」(A・アインシュタイン)


 「考える教育」が、重要なことは言うまでもない。しかし「考える」という概念ほど、これまた抽象的で、わかりにくい概念もない。


 そこでアインシュタインの言葉。


The important thing is not to stop questioning. 


 アインシュタインは、こう言っている。「重要なことは、問うことをやめないことである」と。


 つまり子どもに向かって、「考えなさい」と言っても、あまり意味はない。しかし子どもが何かのことで問うことにたいして、その問うことを、励まし、伸ばすことはできる。「ほほう、それはおもしろい質問だね」「なかなか鋭いね」と。

 たったそれだけのことで、子どもを、より深く、考える子どもに誘導することができる。つまり「より考える子どもにしたい」と考えたら、「より質問を繰りかえす子どもにすること」を考えればよい。


 むずかしいことではない。


 子どもは、満4・5歳から5・5歳にかけて、「なぜ?」「どうして?」を繰りかえす時期にさしかかる。乳幼児の思考的特徴(自己中心性、物活論、人工論など)からの脱却を、はかる。そしてその結果として、子どもは、より分析的なものの考え方や、より論理的なものの考え方をすることができるようになる。


 この時期というのは、乳幼児から、少年、少女期への移行期にもあたる。


 この時期をうまくとらえれば、その「問う」という行為を、じょうずに引き出すことができる。が、そうでなければ、そうでない。


 私としては、その重要性というか、幼児教育の重要性が理解してもらえなくて、歯がゆくてならない。はっきり言えば、そのあとの、小中高、それに大学教育など、そのころできた方向性の、燃えカスのようなもの。……というのは、少し言い過ぎかもしれないが、しかし、一度、この時期にできた方向性が、その子どもの将来を、決定づける。またこの時期にできた方向性は、一度できると、それ以後、なかなか変えることはできない。


 昨今、小学校教育の場でも、「より考える深く子ども」が、大きなテーマになっている。「総合的な学習」というのも、そういう視点から、取り入れられたものである。それはそれとして評価されなければならないが、もっと大切なことは、その(方向性づくり)である。


 そのために、(問う)という姿勢を伸ばす。テーマは何でもよい。どんなささいなことでもよい。


 日本では、「わかったか? では、つぎ」が、教育の基本になっている。しかしアメリカでは、「君は、どう思う?」「それはすばらしい」が基本になっている(T先生、指摘)。そういう部分から、つまりもっとベーシックな部分から、教育というより、子育てのあり方そのものを考えなおす。


 それが結局は、日本の教育を変えていく、原動力になる。



【付録】


●ついでに、A・アインシュタインの語録を、集めてみた。(イギリス「Quote Cache」より)


It's not that I'm so smart, it's just that I stay with problems longer.
(私は頭がきれるのではない。私はただ、その問題に、より長くかかわっているだけだ。)


The physicist's greatest tool is his wastebasket.
(物理学者のもっともすばらしい道具は、ごみ箱である。)


There are only two ways to live your life. One is as though nothing is a miracle. The other is as though everything is a miracle.
(人生を生きるためには、たった二つの方法しかない。一つは、奇跡など、どこにもないと思う生き方。もう一つは、すべては奇跡だと思う生き方。)


It was, of course, a lie what you read about my religious convictions, a lie which is being
systematically repeated. I do not believe in a personal God and I have never denied this but have expressed it clearly. If something is in me which can be called religious then it is the unbounded admiration for the structure of the world so far as our science can reveal it.
(私の宗教的な確信について、あなたが読んだことは、ウソである。つまり、意図的に繰り返されてきたウソである。私は、個人的な神の存在を信じていないし、このことを否定したことは一度もない。それについては、ここではっきりしておきたい。もし私の中に、宗教的なものがあるとするなら、それは、科学が明らかにした部分について、世界の構造について、無限の崇拝の念でしかない。


We should take care not to make the intellect our god. It has, of course, powerful muscles, but no personality.
知性的な人を神にしないよう、注意しなければいけない。もちろん知性的な人には、筋肉はあるが、人間性はない。


Fantasie ist wichtiger als Wissen.


If my theory of relativity is proven succesful, Germany will claim me as German and France will declare that I am a citizen of the world. If my theory should prove to be untrue, then France will say that I am a German, and Germany will say that I am a Jew.
もし私の相対性理論が正しいと証明されるなら、ドイツ人とフランス人たちは、私が世界市民であると宣言することについて、文句を言うだろう。もし私の理論がまちがっていると証明されるなら、フランスは私をドイツ人と呼び、ドイツは、私をユダヤ人と呼ぶだろう。


Any fool can make things bigger, more complex, and more violent. It takes a touch of genius-
• and a lot of courage--to move in the opposite direction.
バカが、ものごとを、誇大し、複雑にし、暴力的にする。その反対方向にものごとを進めるためには、転載的なひらめきと、勇気が必要である。


Great spirits have always encountered violent opposition from mediocre minds.
偉大な精神というのは、いつも二流の精神からの猛烈な抵抗に出会うもの。


The human mind is not capable of grasping the Universe. We are like a little child entereing a huge library. The walls are covered to the ceilings with books in many different tongues. The child knows that someone must have written these books. It does not know who or how. It does not understand the languages in which they are written. But the child notes a definite plan in the arrangement of books--a mysterious order which it does not comprehend, but only dimly suspects.
人間というのは、宇宙の構造を把握することはできない。それは小さな子どもが、巨大な図書館に入ったようなもの。壁には、床から天井まで、異なった言語で書かれた本でおおわれている。子どもは、だれかがこれらの本を書いたことはわかる。しかしだれが、どうやって書いたかまでは、わからない。それらが書かれた言語も理解できない。しかし子どもは、本の並び方の中に、一定の秩序があることに気がつく。つまり、神秘的な秩序だ。はっきりとわかるわけではないが、おぼろげながら、疑うことはできる。


The important thing is not to stop questioning.
重要なことは、問うことをやめないことだ。


Few are those who can see with their own eyes and hear with their own hearts.
ほとんどの人は、自分の心で見て、聞くことができない。


The pioneers of a warless world are the youth that refuse military service.
戦争のない世界をつくるパイオニアたちは、軍務を拒否する若者たちだ。


Reality is merely an illusion, albeit a very persistant one
現実は、ただの幻想でしかない。が、研究は、とても忍耐を必要とするものだ。


It is not enough for a handful of experts to attempt the solution of a problem, to solve it
and then to apply it. The restriction of knowledge to an elite group destroys the spirit of
society and leads to its intellectual impoverishment.
一つの問題を解決し、それを応用するためには、一握りのエキスパートだけでは、じゅうぶんではない。一つのエリート集団に、知識を制限することは、社会の精神を破壊し、社会を、知的な貧困へと導くことになる。


A country cannot simultaneously prepare and prevent war.
一つの国というのは、戦争を同時に、準備し、避けることはできない。


I am enough of an artist to draw freely upon my imagination. Imagination is more important than knowledge. Knowledge is limited. Imagination encircles the world.
私はイマジネーションによって、自由に絵を描く画家と言ってもよい。イマジネーションは、知識よりも重要である。知識には、限界がある。イマジネーションは、世界をかけ回る。


True art is characterized by an irresistible urge in the creative artist.
真の芸術は、想像的な芸術家による、抵抗しがたい欲求によって、特徴づけられるものである。


The most beautiful thing we can experience is the mysterious. It is the source of all true art and science.
私たちが経験できるもっとも美しいものは、神秘である。それはすべての芸術と化学の源泉である。


I do not believe in the immortality of the individual, and I consider ethics to be an
exclusively human concern without any superhuman authority behind it.
私は人間の不死を信じない。そして私は、その背後に超人的な権威のない、倫理こそが、人間唯一の関心ごとであると考える。


Only two things are infinite, the universe and human stupidity, and I'm not sure about the former.
たった二つのものだけが、永遠である。この宇宙と、人間の愚かさである。そして私は、その前者である宇宙については、あまりよく知らない。


Life is a mystery, not a problem to be solved
人生(生命)は、神秘である。それは解かれねばならない問題ではない。


Nothing will benefit human health and increase the chances for survival of life on Earth as much as the evolution to a vegetarian diet.
菜食主義ほど、人間の健康に恩恵をもたらし、命の存続をふやすものはない。


Creativity is contagious. Pass it on.
創造力は、伝染しやすい。ままにさせておけ。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司(以上、古い原稿の、再掲載)

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