最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●マガジン過去版(2002)(2)

2011-05-08 12:17:29 | Weblog
件名:☆★☆子育て最前線の育児論byはやし浩司☆☆H. Hayashi, Japan☆★☆10-18

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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
  Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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02-10-18号(125)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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● 愛知県尾張旭市にて、講演会をもちます。よろしかったらおいでください。
   11月14日(木)スカイワードアサヒ 午前10時~12時
        主催  尾張旭市教育委員会
● 静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
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        主催  静岡市文化振興課  
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Hiroshi Hayashi, Japan
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今日のテーマ、「子育て格言」(新シリーズ)

【1】子育て格言―新シリーズ(Words of Wisdom for Young Mothers)
【2】溺愛ママ……ファミリスより
【3】評論(Hiroshi’s Forum)
【4】随筆(Essays)
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【1】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
子育て格言②

●何でも握らせる
 
 人類の約五%が、左利きといわれている(日本人は三~四%)。原因は、どちらか一方の大脳が優位にたっているという大脳半球優位説。親からの遺伝という遺伝説。生活習慣によって決まるという生活習慣説などがある。一般的には乳幼児には左利きが多く、三~四歳までに決まるとされる。
 
 それはともかくも、幼児を観察してみると、何か新しいものをさしだしたとき、すぐ手でさわりたがる子どもと、そうでない子どもがいるのがわかる。さわるから知的好奇心が刺激されるのか、あるいは知的好奇心が旺盛だから、さわりたがるのかはわからないが、概して言えば、さわりたがる子どもは、それだけ知的な意味ですぐれている。これについて、こんな話を聞いた。

 先日、タイを旅したときのこと。夜店を見ながら歩いていたら、中国製だったが、石でできた球を売っていた。二個ずつ箱に入っていた。そこで私が「これは何?」と聞くと、「老人が使う、ボケ防止の球だ」と。それを手のひらの中で器用にクルクルと回しながら使うのだそうだ。そしてそれが「ボケ防止になる」と。指先に刺激を与えるということは、脳に刺激を与え、それが知的な意味でもよい方向に作用するということは前から知られている。

 もしあなたの子どもが乳幼児なら、何でも手の中に握らせるとよい。手のマッサージも効果的。生活習慣説によれば、左利きも防げる。(左利きが悪いというのではないが……。)そして「何でもさわってみる」という習慣が、ここにも書いたように好奇心を刺激し、「握る」「遊ぶ」「作る」「調べる」「こわす」「ハサミなどの道具を使う」という習慣へと発達する。もちろん指先も器用になる。

(補足)子どもの器用さを調べるためには、紙を指でちぎらせてみるとよい。器用な子どもは、線にそって、髪をうまくちぎることができる。そうでない子どもは、ちぎることができない。


●難破した人の意見を聞く 

 『航海のしかたは、難破した者の意見を聞け』というのは、イギリスの格言。人の話を聞くときも、成功した人の話よりも、失敗した人の意見のほうが、役にたつという意味。子育ても、そう。

 何ごともなく、順調で、「子育てがこんなに楽でよいものか」と思っている親も、実際にはいる。しかしそういう人の話は、ほとんど参考にならない。それはちょうど、スポーツ選手の健康論が、あまり役にたたないのに似ている。が、親というのは、そういう人の意見のほうに耳を傾ける。「何か秘訣を聞きだそう」というわけである。

 私のばあいも、いろいろ振り返ってみると、私の教育論について、血や肉となったのは、幼児を実際、教えたことがない学者の意見ではなく、現場の先生たちの、何気ない言葉だった。とくに現場で一〇年、二〇年と、たたきあげた人の意見には、「輝き」がある。そういう輝きは、時間とともに、「重み」をます。

 ……ということだが、もしあなたの子どもで何か問題が起きたら、やや年齢が上の子どもをもつ親に相談してみるとよい。たいてい「うちもこんなことがありましたよ」というような話を聞いて、それで解決する。


●入試は淡々と

 入試は受かることを考えて準備するのではなく、すべることを考えて準備する。とくに幼児のばあいは、そうする。

 入試でこわいのは、そのときの合否ではなく、仮に失敗したとき、その失敗が、子どもの心に大きなキズを残すということ。こんな中学生(中二女子)がいた。「ここ一番」というときになると、必ず決まって、腰くだけになってしまう。そこで私が「どうして?」と理由を聞くと、こう言った。「どうせ私はS小学校の入試で失敗いたもんね」と。その女の子は、もうとっくの昔に忘れてよいはずの、小学校の入試で失敗したことを気にしていた。

 こうしたキズ、つまり子ども自らが自分にダメ人間のレッテルを張ってしまうということは、本来、あってはならないこと。そのためにも、子どもの入試は、すべることを考えて準備する。もっとわかりやすく言えば、淡々と迎え、淡々とすます。(もちろん合格すれば、話は別だが……。)

実際、子どもの心にキズをつけるのは、子ども自身ではなく、親である。中には、子どもが受験に失敗したあと、数日間寝込んでしまった母親がいる。あるいはあまり協力的でなかった夫と、喧嘩もんかになってしまい、夫婦関係そのものがおかしくなってしまった母親もいる。さらに、長男が高校受験で失敗したとき、自殺をはかった母親もいる。子どもの受験には、親を狂わせる、恐ろしいほどの魔力があるようだ。

 それはさておき、子どもの入試には、つぎのことに注意するとよい。「受験」「受かる」「すべる」という言葉は、子どもの前では使わない。「選別される」という意識を子どもにもたせてはいけない。ある程度の準備はしても、当日は、「遊びに行こう」程度ですます。あとはあるがままの子どもをみてもらい、それでダメなら、こちらからその学校を蹴飛ばすような気持ちですます。そういう思いが子どもに伝わったとき、そのときから子どもはその時点から、また、前向きに伸び始める。


●寝起きのよい子どもは安心

 子ども情緒は、寝起きをみて判断する。毎朝、すがすがしい表情で起きてくるようであれば、よし。そうでなければ、就眠習慣のどこかに問題がないかをさぐってみる。とくに何らかの心の問題があると、この寝起きの様子が、極端に乱れることが知られている。たとえば学校恐怖症による不登校は、その前兆として、この寝起きの様子が乱れる。不自然にぐずる、熟睡できず眠気がとれない、起きられないなど。

 子どもの睡眠で大切なのは、いわゆる「ベッド・タイム・ゲーム」である。日本では「就眠儀式」ともいう。子どもには眠りにつく前、毎晩同じことを繰り返すという習慣がある。それをベッド・タイム・ゲームという。このベッド・タイム・ゲームのしつけが悪いと、子どもは眠ることに恐怖心をいだいたりする。まずいのは、子どもをベッドに追いやり、「寝なさい」と言って、無理やり電気を消してしまうような行為。こういう乱暴な行為が日常化すると、ばあいによっては、情緒そのものが不安定になることもある。

 コツは、就寝時刻をしっかりと守り、毎晩同じことを繰り返すようにすること。ぬいぐるみを置いてあげたり、本を読んであげるのもよい。スキンシップを大切にし、軽く抱いてあげたり、手でたたいてあげる、歌を歌ってあげるのもよい。時間的に無理なら、カセットに声を録音して聞かせるという方法もある。

また幼児のばあいは、夕食後から眠るまでの間、興奮性の強い遊びを避ける。できれば刺激性の強いテレビ番組などは見せない。アニメのように動きの速い番組は、子どもの脳を覚醒させる。そしてそれが子どもの熟睡を妨げる。ちなみに平均的な熟視時間(眠ってから起きるまで)は、年中児で一〇時間一五分。年長児で一〇時間である。最低でもその睡眠時間は確保する。

 日本人は、この「睡眠」を、安易に考えやすい。しかし『静かな眠りは、心の安定剤』と覚えておく。とくに乳幼児のばあいは、静かに眠って、静かに目覚めるという習慣を大切にする。今、年中児でも、慢性的な睡眠不足の症状を示す子どもは、二〇~三〇%はいる。日中、生彩のない顔つきで、あくびを繰り返すなど。興奮性と、愚鈍性が交互に現れ、キャッキャッと騒いだかと思うと、今度は突然ぼんやりとしてしまうなど。(これに対して昼寝グセのある子どもは、スーッと眠ってしまうので、区別できる。)


●指示は具体的に

 子どもに与える指示は、具体的に。たとえば「先生の話をよく聞くのですよ」「友だちと仲よくするのですよ」と子どもに言うのは、親の気休め程度の意味しかない。そういうときは、こう言いかえる。「幼稚園(学校)から帰ってきたら、先生がどんな話をしたか、あとでママに話してね」「この○○(小さなプレゼント)を、A君にもっていってあげてね。きっとA君は喜ぶわよ」と。

「交通事故に気をつけるのよ」と言うのもそうだ。具体性がないから、子どもには説得力がない。子どもに「気をつけろ」と言っても、子どもは何にどう気をつけたらよいのかわからない。そういうときは今度は、寸劇法をつかう。子どもの前で、簡単な寸劇をしてみせる。私のばあい、年に一度くらい、子ども(生徒)たちの前で、交通事故の様子をしてみせる。ダンボール箱で車をつくり、その車にはねられ、もがき苦しむ子どもの様子をしてみせる。コツは決して手を抜かないこと。茶化さないこと。子どもによっては、「こわい」と言って泣き出す子どももいるが、それでも「子どもの命を守るため」と思い、手を抜かない。

 ほかに、たとえば、「あと片づけをしなさい」と言っても、子どもにはそれがわからない。そういうときは、「おもちゃは一つ」と言う。またそれを子どもに守らせる。子どもはつぎのおもちゃで遊びたいため、前のおもちゃを片づけるようになる。(ただし、日本人ほど、あと片づけにうるさい民族はいない。欧米では、「あと始末」にはうるさいが、「あと片づけ」については、ほとんど何も言わない。念のため。)

 これは私の教室でのことだが、私はつぎのように応用している。

 勉強中フラフラ歩いている子どもには、「パンツにウンチがついているなら歩いていていい」「オシリにウンチがついているのか? ふいてあげようか?」と言う。

 なかなか手をあげようとしない子どもには、「ママのおっぱいを飲んでいる人は、手をあげなくていいよ」と言う。

 こうした言い方をするには、もちろんそれなりの雰囲気が大切である。言い方をまちがえると、セクハラ的になる。「それなりの雰囲気」というのは、教師と親の信頼関係と、そうしたユーモアが理解されるようななごやかな雰囲気をいう。それがないと、とんでもない誤解を招くことがある。私もこんな失敗をしたことがある。

 ある日、一人の男の子(小三男児)が、勉強中、フラフラと席を離れて遊んでいた。そこで私が、「おしりにウンチがついているなら、歩いていていいよ」と声をかけた。ふつうならそこでその男に子はあわてて席につくのだが、そこでハプニングが起きた。横にいた別の男の子が、その立っている男の子のおしりに顔をあてて、こう叫んだ。「先生、本当にこいつのおしり、ウンチ臭い!」と。

 そのときはそれで終わったが、つまりその言われた子どもも、それなりに笑って終わったが、その夜、父親から猛烈な抗議の電話が入った。「息子のウンチのことで、息子に恥をかかせるとは、どういうことだ!」と。

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【2】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
ママ診断⑥
あなたは溺愛ママ?
(「ファミリス」11月号より、転載)

●三種類の愛
 親が子どもに感ずる愛には、三種類ある。本能的な愛、代償的な愛、それに真の愛である。本能的な愛というのは、若い男性が女性の裸を見たときに感ずるような愛をいう。たとえば母親は赤ん坊の泣き声を聞くと、いたたまれないほどのいとおしさを感ずる。それが本能的な愛で、その愛があるからこそ親は子どもを育てる。もしその愛がなければ、人類はとっくの昔に滅亡していたことになる。

つぎに代償的な愛というのは、自分の心のすき間を埋めるために子どもを愛することをいう。一方的な思い込みで、相手を追いかけまわすような、ストーカー的な愛を思い浮かべればよい。相手のことは考えない、もともとは身勝手な愛。子どもの受験競争に狂奔する親も、同じように考えてよい。「子どものため」と言いながら、結局は親のエゴを子どもに押しつけているだけ。

●子どもは許して忘れる
三つ目に真の愛というのは、子どもを子どもとしてではなく、一人の人格をもった人間と意識したとき感ずる愛をいう。その愛の深さは子どもをどこまで許し、そして忘れるかで決まる。英語では『Forgive & Forget(許して忘れる)』という。つまりどんなに子どものできが悪くても、また子どもに問題があっても、自分のこととして受け入れてしまう。その度量の広さこそが、まさに真の愛ということになる。

それはさておき、このうち本能的な愛や代償的な愛に溺れた状態を、溺愛という。たいていは親側に情緒的な未熟性や精神的な問題があって、そこへ夫への満たされない愛、家庭不和、騒動、家庭への不満、あるいは子どもの事故や病気などが引き金となって、親は子どもを溺愛するようになる。

●溺愛児の特徴
 溺愛児は親の愛だけはたっぷりと受けているため、過保護児に似た症状を示す。①幼児性の持続(年齢に比して幼い感じがする)、②人格形成の遅れ(「この子はこういう子だ」というつかみどころがはっきりしない)、③服従的になりやすい(依存心が強いわりに、わがままで自分勝手)、④退行的な生活態度(約束や目標が守れず、生活習慣がだらしなくなる)など。全体にちょうどひざに抱かれておとなしくしているペットのような感じがするので、私は「ペット児」(失礼!)と呼んでいる。柔和で、やさしい表情をしているが、生活力やたくましさに欠ける。

●子どもはカラを脱ぎながら成長する
 子どもというのはその年齢ごとに、ちょうど昆虫がカラを脱ぐようにして成長していく。たとえば幼児だと、満四・五歳から五・五歳にかけて、たいへん生意気になる時期がある。この時期を中間反抗期と呼ぶ人もいる。幼児期から少年少女期への移行期と考えるとわかりやすい。しかし溺愛児にはそれがなく、そのためちょうど問題を先送りする形で、体だけは大きくなる。そしていつかそれまでのツケを払う形で、一挙にそのカラを脱ごうとする。しかしふつうの脱ぎ方ではない。たいていはげしい家庭内騒動、あるいは暴力をともなう。が、子どもの成長ということを考えるなら、むしろこちらのほうが望ましい。カラを脱げない子どもは、そのまま溺愛児として、たとえば超マザコンタイプの子どもになったりする。結婚してからも実家へ帰ると母親と一緒に風呂へ入ったり、母親のふとんの中で寝るなど。昔、冬彦さん(テレビドラマ『ずっとあなたが好きだった』の主人公)という男性がいたが、そうなる。

●じょうずな子離れを!
 溺愛ママは、それを親の深い愛と誤解しやすい。中には溺愛していることを誇る人もいる。が、溺愛は愛ではない。このテストで高得点だった人は、まずそのことをはっきりと自分で確認すること。そしてつぎに、その上で、子どもに生きがいを求めない。子育てを生きがいにしない。子どもに手間、ヒマ、時間をかけないの三原則を守り、子育てから離れる。 

(テストは、ファミリス本誌で!)
    ⌒⌒    Ω
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【3】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

子育て随筆byはやし浩司(170)

「勉強しろ」とは言うけれど……

 こんなショッキングな調査報告がある。総務省の「社会生活基本調査」でわかった。大学生や大学院生の、一日の勉強時間は、大学での講義も含めて、たったの二時間五九分(約三時間!)だというのだ。この時間数は、小学生や中学生、高校生や短大生より少ない!

 総務省の調査によると、つぎのような結果になったという(〇一年一〇月、全国の一〇歳以上の男女、二〇万人を対象)。

【学校での授業を含めた学習時間】

   一〇歳以上の小学生……4時間41分(4時間40分)
   中学生      ……5時間26分(5時間29分)
   高校生      ……5時間21分(5時間23分)
   短大・高専    ……3時間 5分(3時間 6分)
   大学・大学院生  ……2時間59分(2時間57分)
(かっこ内は、前回九六年の調査結果)

 
 この数字で恐ろしい(?)ところは、「授業時間も含めて」という点にある。仮に大学生が、九〇分の講義に、二回でれば、それだけで、三時間になる。さらにこれはあくまでも「平均して……」という話。一方に五時間勉強する大学生がいれば、一方に一時間しか勉強しない大学生がいることになる。となると、一体、「大学生とは何か」ということになってしまう。

 そこで大学生に話を聞くと……と、言っても、聞くまでもないし、聞いたこともない。しかし常識論として、彼らの気持ちは、こうだ。

 「大学に入るまで、さんざん勉強させられた。だから大学に入ったからには、遊ぶ」と。あるいは本当にこう言った大学生がいた。私が、「親に感謝しているか」と聞いたときのこと。いわく、「どうして?」と。中には、「親がうるさいから、大学へ入ってやる」と豪語する高校生すらいる。こういう状況だから、もとから「勉強しよう」という意欲など、起こるはずもない。

 子どもに「勉強しろ」と言うのは親の勝手だが、しかしそう言えば言ったで。責任をとらされるのは、親。それだけではない。子どもの勉学意欲すら破壊してしまう。何とか「学歴」だけは身につくが、しかしそれにしても、金がかかる!

ちなみに、親から大学生への支出額は、平均で年、三一九万円。月平均になおすと、約二六・六万円。毎月の仕送り額が、平均約一二万円。そのうち生活費が六万五〇〇〇円。大学生をかかえる親の平均年収は一〇〇五万円。自宅外通学のばあい、親の二七%が借金をし、平均借金額は、一八二万円(九九年、東京地区私立大学教職員組合連合調査)。

 大学へ通う子どもを二人もつと、ほとんどの家の家計はパンクする。
(02-10-9)※

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子育て随筆byはやし浩司(171)

構造的な欠陥

 この浜松市でも、土木建設費は、予算の中でも二〇~二五%を占める。たいへんな額である。そのため作らなくてもよいような、建物や道路ばかり作っている。それはそれとして、教育予算のお粗末なことと言ったら、ない。いや、私が言う教育予算というのは、その分、親たちの負担が大きすぎるということ。

 アメリカでもオーストラリアでも、そしてヨーロッパでも、親のスネをかじって大学へ通っている学生など、さがさなければいないほど、少ない。たいていは奨学金を得たり、あるいは自分の責任で借金をしたりして、大学へ通っている。そういうしくみができあがっている。だから、親の負担も少ないし、一方、大学生にとっては、「自ら学ぶ」という意欲もそこから生まれる。「日本の大学生は、アルバイトばかりして、あとは遊んでいる」という話を聞いた、アメリカの大学生は、「信じられない」と笑っていた。なぜそうなのかというところに、日本の教育システムがかかえる、構造的な欠陥がある。

 しかし問題は、だれもこうした欠陥を改めようとしないこと。親たちは、「この時期だけだから」とあきらめてしまう。仮に運動を起こしても、成果が出るのが五年先、一〇年先ということになる。それを知ると、運動をするという熱意も消えてしまう。それに日本人は、明治の昔から、「こういうのが教育」と、徹底的に洗脳されている。だから私は、今、小学生や中学生の子どもをもつ親に訴えたい。「これでいいのか」と。みんながそれぞれの立場で、「おかしい」と言い出せば、世の中は確実に変わる。私はそういう力を信じている。

 少し政治的な話になったので、この話はここでやめるが、今、行政改革(官僚主導政治の改革)が、一番必要なのが、実は、教育の世界である。しかしそのためには、まず親たちの意識が変わらなければならない。「子どもの教育は私たちがするのだ」という意識が、親たちになければ、行政改革など、まさに絵に描いたモチ。今のように、「教育はもちろん、子育てからしつけ、さらには家庭教育から心の問題までと、何でもかんでも、学校が……」という意識があるかぎり、教育改革など進むわけがない。もっとも、私たちはそこまで骨を抜かれているということだが……。

 さあて、どうする? これでいいのか、日本!
(02-10-11)※

   ξ《《》》
   ξξσσξ
   ξξ~▽~ノξ
   「 ∞∞∩∩
   l/  (・・)
   /  ⊂▼▼⊃
  /    │ ∈
 **********∪ ̄∪
【4】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

子育て随筆byはやし浩司(168)

子離れ

●子どもが親離れするとき
 子どもは、小学三~四年を境に、友だちとの世界を、急速にふくらませる。交友関係が広くなり、友だちの数もふえる。この変化とともに、子どもは、急速に親離れを始める。それまでは学校でのできごとを話していた子どもも、話さなくなったり、父親と一緒に風呂に入っていた子どもも、それをいやがるようになる。

 子どもはそういう過程を経て、少年少女期から、おとなになるための準備を始める。しかしたいていの親は、子離れの時期と方法がわからず、その段階で戸惑う。日本のばあい、親が子離れする時期は、外国とくらべても、遅い。平均して子どもが中学生くらいになってからとみてよい。しかしこの時期のズレが、多くの、実に日本型の悲喜劇を生みだす。そのひとつが、子どもの受験戦争。子どもはとっくの昔に親離れを始めているのに、親は、それが理解できず、子どもの受験戦争に巻き込まれ、それに奔走する。(巻き込まれるというより、自ら飛び込んでいく?)その意識のズレが、親子の間に深くて大きなキレツを入れることもある。親は子どものためと思って、子どもの受験勉強に奔走するが、子どもから見れば、ありがた迷惑。この「迷惑」が、親には理解できない。

●子離れのふたつの面
 そこでここではもう一歩、話を進める。その子離れには、二つの面がある。ひとつは、親自身の自立。もうひとつは、子どもへの依存性からの脱却。この二つのうち、どちらが欠けても、親は子離れに失敗する。

(1)親自身の自立……親自身が、社会的、あるいは経済的に自立する。母親のばあいは、精神的にも自立する。そのため情緒的な未熟性(不安定)や、精神的な欠陥(うつ病気質など)があれば、当然、それと戦う。精神的な自立性がないと、溺愛や育児ノイローゼに陥(おちい)りやすく、子離れができなくなってしまう。親自身が自分の目標に向かって、前向きに生きていく。そういうたくましさを身につける。 

(2)依存性からの脱却……子どもへの依存性は、多かれ少なかれ、だれしももっている。しかしその依存性が強くなると、子どもの自立を無意識のうちにも、さまたげようとする。「産んでやった」「育ててやった」と、親の恩を押し売りすることもある。安易な孝行論を美化し、それを子どもに求めることもある。「私は私で生きていく。あなたはあなたで生きていきなさい」という割りきりが、子育てには必要である。

●Yさん(六〇歳)のケース
(ケースA)
 Yさん(六〇歳)は、小さな雑貨店を経営していた。しかし一五年前に夫が死ぬ前から、家計は火の車。長男が同居していたが、その長男は体が弱く、ほとんど仕事ができなかった。そこでYさんは、隣町に住む二男から、毎月、一定の金額の援助を受けていた。が、このところの不況で、それもままならなくなってきた。
 そんなある日、二男夫婦が、中国での合弁事業のため、二年半ほど、中国に行くことになった。そのとき、二男夫婦は、貯金通帳や土地の権利書などを、Yさんに預けて中国に旅立った。が、半年後に帰ってみると、通帳からは一〇〇万円単位のお金が引き出され、土地は他人に転売されていた。そのことを二男がYさんに迫ると、Yさんは、こう言ったという。「親が、先祖を守るために、子どもの財産を使って、何が悪い」「子どもなら先祖を守るのは当たり前」と。さらに二男が、「生活費として渡した一〇〇万円はどうした?」と聞くと、「そんなものもらった覚えはない」と。最後までとぼけたという。二男は、中国へ旅立つ前、Yさんに一〇〇万円を渡していた。

 Yさんの精神構造を、まず考えてみよう。このタイプの人は、独特の価値観をもっている。信仰といってもよい。こうした独特の価値観をもっている人を相手にするときは、ふつうの論理をぶつけても、意味がない。さらにYさんのように、六〇歳にもなると、説得してどうのこうのということは、不可能と考えてよい。傷口に盛りあがったカサブタのように、脳そのものが硬直している。

 で、こうした「先祖信仰」というのは、原始民族が共通してもつ思想で、日本民族とて例外ではない。あるいはその一環? アイヌ民族、アメリカインディアン、南米のインディオなど、ちょうど太平洋を取り巻く環太平洋の民族に、その意識が強い? こうした先祖信仰では、「先祖あっての私」と考える。だから私も先祖の僕(しもべ)なら、そのまた子どもは、そのまた僕となる。「先祖を守るために、子どもの財産を使って、何が悪い」という発想は、そういうところから生まれる。が、Yさんのケースでは、もう一つ考えなければならないことがある。それがここでいう「依存性」である。

●日本人が民族性としてもつ依存性
 今でも、精神的に自立できない親は多い。「今でも」というのは、私の年代より古い世代では、親子でもたがいに依存しあうのが、ごく自然な形であった。そのため親は無意識のうちにも、子どもに恩を着せ、一方、子どもは、親を美化することで、自分の依存性を正当化する。「私の親はすばらしい人だ(った)」と公然と言う人は、たいていこのタイプの人とみてよい。

先日もテレビを見ていたら、一人のタレント(五五歳)の様子が紹介されていた。その中で、そのタレントは、こう言っていた。「私の母はいつも、『上見てキリなし、下見てキリなし』と言っていました。私はその母の言葉を思い出すことで、どんな苦しいときも乗り切ることができました」と。しかしこの言葉自体は、戦前の国語の教科書に載っていた言葉で、彼の母親が考え出したものではない。(彼は、彼の母親が考えた言葉だと思っているようだったが……。)こうした美化は、とくにマザコンタイプの男性が、好んでよく用いる手法である。つまり美化することで、自分のマザコン性を正当化する。結婚してからも、妻に、「私がこうであるのは、それだけ母がすばらしいからだ」と言う男は珍しくない。

 で、こうした依存性は相互的なもので、どちらか一方が一方に対して、一方的ということは、まず、ない。親自身が依存性が強く、そういう依存性が、子どもが依存性をもつことを容認してしまうたとえば依存心の強い子どもがいる。よくそういう子どもよく調べてみると、親自身も依存性が強いのがわかる。このことは、子どもを判断するとき、重要な指針となる。印象に残った事件にこんなのがあった。

●D君(年中児)のケース
 D君(年中児)という男の子がいた。柔和でやさしい表情をしていたが、ハキがない。で、ある日のこと。片づけの時間になっても、D君は、いっこうに片づけようとしない。「片づける」という意味すらわからないようであった。そこで私があれこれ、ジェスチャで片づける様子をしてみせ、片づけるように促した。が、そのうちD君はメソメソと泣き出してしまった。多分、家でそうすれば、みなが助けてくれるのだろう。しかしこういうとき、その涙にだまされてはいけない。そういうときは今度は、「泣いてもムダ」ということを教えるしかない。

 しかしその日にかぎって、運の悪いことに(?)、D君の母親が直接、迎えにきていた。母親はD君の泣き声を聞きつけ、教室へ飛び込んできた。そしてていねいだが、すご味のある声でこう言った。「どうしてうちの子を泣かすのですか」と。

 このD君のケースでは、D君がきわめて依存性の強い子どもであることがわかる。自立心のあるなしでみれば、同年齢の子どもとくらべても、きわめて弱い。そこで私はそれを母親に相談しようと思ったが、母親の意識そのものがズレている。「どうしてうちの子を泣かすのですか」という言葉が、それを表している。つまり相談どころか、説明のしようがない。間に、どうしようもないほど遠い距離を感ずる。長い間、母親に接していると、そういうことが直感的にわかるようになる。

 つまりD君の依存心が強いのは、母親側にそれを容認する姿勢がある。つまり母親自身が依存性の強い人とみる。そしてこの相互作用が、D君をD君のような子どもにした。

●悪玉親意識
 さて先のYさん(六〇歳)に話を戻す。このタイプの人は、「私は親だ」という親意識が強い反面、その返す刀で、子どもには隷属性を求める。子どもをモノ、さらには財産と考える人もいる。その親意識が、自分に向かうならまだよい。「私は親だから、親としての責任を果たす」というのがそれ。私はこれを善玉親意識と呼んでいる。しかしその親意識が子どもに向かったとき、それは親風となる。「親風を吹かす」という言葉の「親風」。私はこれを悪玉親意識と呼んでいる。

子どもに隷属性を求めるということは、子どもの中に、自分の居場所をつくることを意味する。つまりそれがここでいう依存性である。だからこのタイプは、無意識のうちにも、子どもに親孝行を求め、また親の立場で、孝行する子どもを高く評価する。「うちのセガレは、孝行息子でねえ」と。まさにYさんが、そのタイプの女性だった。私にもある日、街で会うと、こう言った。「先生、息子なんて育てるものじゃないですねえ。息子は嫁に取られてしまいましたよ。親なんて、さみしいものですわ」と。

●伝播する親子意識
 簡単に「子離れ」というが、その中身は深く、大きい。人によっては、子離れは、そんな簡単なことではない。「人によっては」というのは、子離れがじょうずな人は、本当にじょうずに子離れしていく。しかしできない人はできない。どこにその違いがあるかといえば、結局はその人が生まれ育った環境による。その人自身が、子離れのじょうずな親に育てられたら、じょうずに子離れできる。そうでなければそうでない。つまり子離れも、世代伝播(でんぱ)する。

 そこで最後にこういうことが言える。ここであなたの親はどうであったかということを思い起こしてみてほしい。あなたの親はあなたに対して、じょうずに子離れしたであろうか。もしそうであるなら、それでよい。しかしそうでないなら、今度はあなたが子離れで、ギクシャクする可能性がある。またそういう前提で、あなた自身の子離れを考えてみるとよい。
(02-10-8)

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