最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

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葛城・北の丸にてbyはやし浩司

2013-06-06 11:47:24 | Weblog
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2013年 6月 7日
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【1】北の丸にて□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【葛城(かつらぎ)・北の丸にて】(2013年06月05日)

Hiroshi Hayashi++++++++++++はやし浩司

326 Flow of Ancient Cultures in Ancient Sout Asia
南アジアにおける古代文化の流れ

南アジアでは、古代文化(古代文明)は、どのように流れていったか。それを「謎の点と線」の手法で、考えてみます。
How did ancient cultures (Civilizations) flow in Sout Asia? This is just what I guess now, using the my Method of Mysterious Lines.

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http://youtu.be/SCQHqlk7bMg

June 6th 2013
Hiroshi Hayashi
はやし浩司

Hiroshi Hayashi++++++++++++はやし浩司

○マザーテレサ

 教師としての仕事を終えたテレサは、そのときインドを旅行していた。
日本風に言えば、帰国を前にした、思い出旅行ということになる。
そのときのこと。
列車の中で、テレサは、声を聞いた。
「カルカッタへ行け!」と。

 声は、列車の天井から聞こえてきたという。
その声を聞き、テレサは急きょ行き先を変え、そのままカルカッタへと向かう。
その後のことは、みなさん、ご存知のとおり。

これがマザーテレサの始まりである。
マザーテレサ自身が、この話を、自叙伝の中で、そう書き残している。
高校生が使う教科書にも載った。
それを、私は読んだ。

 が、その話を読んだのは、もう25年も前のこと。
詳しい内容は忘れた。
天井から聞こえた声にしても、そうだ。
その本には、回数まで書いてあった。
「数度」だったかもしれない。
「2、3度」だったかもしれない。
ともかくも、マザーテレサは、その声を何回か、聞いた。
その声を聞き、急きょ、カルカッタへ向かった。

○カルカッタ(Kolkata)

 カルカッタは、不思議な位置にある。
(現在は、コルカタと呼ぶ。)
クロスポイント・北西アジアとルンビニを結んだ、ほぼ、その直線上。
「ほぼ」と言っても、カルカッタは広い。
(カルカッタの位置は、グーグルアース上で取った。)
真直線で結んでも、カルカッタからは、はずれない。

 一方、縦線は、テオティワカンと敦煌を結んだ直線上。
さらに横線は、モヘンジョダロとプレア・ビヒアを結んだ直線上。
(ただしこれらは、真直線ではない。
カルカッタは、これら2本の線の交点からは、北に、ややはずれる。)

どうであるにせよ、カルカッタに、何かの意味を考えるには、じゅうぶん。
カルカッタは、釈迦の時代から、文化の要所。
西ベンガル州の州都。
現在の今でも、世界最古の仏像彫刻は、ここに残っている。

○ベートーベン

 似たような話は、ベートーベン自身についても聞いている。
聴力を失い、息子の心を見失ったベートーベンは、絶望のドン底へと叩き落される。
で、ベートーベンは生まれ育った実家に戻り、自殺を試みる。
が、そのときのこと。
ベートーベンは、あの曲を耳にする。
『第九』として知られている、あの曲である。

 ……が、この話は、どこでだれから聞いたのか、私は覚えていない。
私は学生時代、合唱団に属していた。
毎年第九を歌っていた。
そのあたりのどこかで聞いた……と思う。

マザーテレサのエピソードとちがい、ベートーベンの話には、そんなわけで根拠はない。
が、そのあとベートーベンは、狂ったように、第九の作曲に取りかかる。
「狂ったように」という部分は、事実である。
ベートーベンの息子自身が、そう語っている。

○幻聴

 こうしたエピソードを聞くたびに、私は、こう思った。
「そんなのは幻聴だよ」と。


だれにでも(思い込み)というのがある。
その思い込みが限界を超えると、それを(現実)と錯覚するようになる。
幻覚や幻聴を経験することもある。
実際には、聞こえないのに、聞こえた感じがする。
見えないのに、見えた感じがする。

 が、私自身は、ない。
ただ、眠っているとき、きわめて現実的な夢を見ることはある。
現実と区別がつかないほど、実感をともなった夢である。
子どものころ、こんな夢を見たことがある。

 私は夢の中で、そのとき欲しかったおもちゃを、手に入れた。
が、私はそれが夢とわかっていた。
目が覚めたら、消えてしまうことも、わかっていた。
だから私は懸命にそのおもちゃを手に握った。
目が覚めても、手から消えないようにと、そうした。

 だから目が覚める瞬間のことを、今でもよく覚えている。
手の中から、おもちゃの感触が、スーッと消えていった。
そうであっていけないと、私は懸命に手でそれを握った。
が、結局は、消えていった。

 ここでいう「現実的な夢」というのは、そういう夢をいう。
白昼夢と呼ぶときもある。
脳みそというのは、そういう点では、奥が深い。
(もちろん脳みそそのものが、狂うこともあるが……。)
理性だけでは理解できない現象が、よく起きる。
マザーテレサの話も、ベートーベンの話も、それに類した話と思っていた。

 「そんなのは、幻聴だよ」と。
マザーテレサの話を読んだときも、たしか、そう思った。
が、幻聴だけで、人生の進路を変えることはしない。
マザーテレサは、たしかに「声」を聞いた。
だから進路を、即座に変えた。
 
 今の私は、そう考える。

○彫刻

 再び、カルカッタ。

そのカルカッタの美術館に、円形の彫刻が残っている。
12枚の葉が周囲を取り囲み、中央に、ややゆがんだ6角形の模様が描いてある。
6角形というよりは、六芒星(ろくぼうせい)に近い。
が、ここではたと思考が停止してしまう。
あまりにも、当たり前。
できすぎ。

 が、どうしてそうなっているのだろう。
その前に、どうして世界には、こうした数字が多いのだろう。
……というような、遠回しな書き方は、やめよう。
エイリアンたちは、人間とはちがった角度概念をもっている。
人間は、何かにつけ、直角を基本とする。
一方、エイリアンは、何かにつけ、30度、60度、90度、120度を基本とする。

 が、エイリアンたちが使う角度は、人間が使う角度と比べると、中途半端。
人間は90度(直角)を基本とする。

○6進数

 こうして考えていくと、カルカッタには、何かがある。
何かがあっても、まったくおかしくない。
が、今一つ、はっきりしない。
きちんとした数字が、出てこない。
が、今の時点では、何を書いても、それこそ、こう批判される。
「偶然だ」「こじつけだ」と。

 要するに、カルカッタのあたりは、遺跡だらけ。
釈迦文化圏の中に、すっぽりと入ってしまう。
その中で、ルンビニだの、ブッダガヤだの、あるいはカルカッタだのと言っても、あまいり意味はない。

 話がそれたが、人間には、わかりにくい数字かもそれない。
が、6進数で考えたらどうか。
数字が、わかりやすい数字に変身する。

 たとえば、6度、12度、16度、24度、48度、72度、108度、180度は、6進数の世界では、つぎのようになる。
(かっこ)内が、6進数で表した角度。

6度(10度)
12度(20度)
16度(24度)※(この角度のみ、24度と、中途半端。)
24度(40度)
48度(120度)
72度(200度)
108度(300度)
180度(500度)

このことも、ビデオ(No.235)の中で説明する。

(注:6進数というのは、0、1、2、3,4,5だけの数字をいう。
たとえば、人間の使う、10進数は、つぎのようになる。
0、1、2、3、4、5、10、11、12,13、14、15、20、21、22、23……、となる。)

○葛城・北の丸

 先ほど、袋井市にある、葛城・北の丸という旅館にやってきた。
静岡県でも、最高級旅館と、評されている。
以前、ワールドカップ出場のサッカー選手たちの合宿所になったこともある。
で、大浴場から、戻ってきた。

 ……実は、ワイフの誕生日。
それでそうした。
「何がほしい?」と聞くと、「どこかの温泉へ行きたい」と。
それでそうした。

 で、正解だった。
葛城・北の丸にして、正解だった。
敷地の広さは、静岡県第一。
豪華。
閑静な森の中。

「いい思い出になりそうだね」と言うと、「ありがとう」と。

 それを聞いて、ふと、こう思った。
「こういう時期も、あっという間に、終わるだろうな」と。
が、それはワイフには、言わなかった。
このところ、何かにつけ、ものの考え方が、うしろ向き。
ジジ臭い。
もっと前向きに、楽しもう。

 今日は、今日。
明日は、明日。
釈迦もこう言った(法句経)。

『明日のないことを、嘆くな。
今日まで生きてきたことを、喜べ、感謝せよ』と。

 そういう意味では、釈迦は、きわめて実存主義的な考え方をしていた。
『無の概念』などは、サルトルが説いたそれと、同じ。
(サルトルも、最後は、『無』という言葉を口にする。

その釈迦が説いたとされる仏教が、今にみる仏教に変節するのは、そこに来世思想が混入したからである。
わかりやすく言えば、ヒンズー教の教えが、ブレンドされてしまった。
輪廻転生(りんねてんしょう)を、例にあげるまでもない。

○無の概念

 釈迦は、法句経をよむかぎり、「あの世」について、一度も説いていない。
むしろ逆。
こう説いている。
『あると思えば、ある。ないと思えば、ない』と。

 旅先なので、内容は正確ではない。
許してほしい。
詳しくは、「はやし浩司 無の概念」、あるいは、「はやし浩司 法句経」で検索をかけてみてほしい。

 大切なことは、「今」を懸命に生きること。
生きて生きて、生きまくること。
明日は、明日。
その充実感が、死の恐怖を克服する。

 ……自信はないが、……つまり本当に克服できるかどうか自信はないが、今の私は、そう思う。
 
○喪失

 つまるところ、死の恐怖というのは、喪失の恐怖。
わかりやすく言えば、(失うもの)があるから、死を恐れる。
が、はじめからカラッポだったら、恐れない。
つまり「死」と闘うためには、心の中をカラッポにする。
カラッポにして、生きる。

 で、そのときは、そのとき。
そのときがきても、うろたえない。
そのために、「今」を完全燃焼させる。
悔いが残らないように、完全燃焼させる。

○セクト主義

 私が子どものころは、寺というのは、子どもの遊び場だった。
住職もいた。
が、寛大だった。
自由に、使わせてくれた。
境内どころか、本堂の中を飛び歩いても、だれも、文句など言わなかった。

 が、今は、寺といっても、個人所有になった。
所有者がいる。
そのため、信者(檀家)の人はともかくも、そうでない人は、寺の敷地にすら入れない。
入れなくはないが、目に見えない、厚い壁を感ずる。
これがセクト主義。
 
 が、本来、宗教に、(セクト)があること自体、おかしい。
いわんや、ひとつの宗派が、さらにいくつかに分派する。
分派し、「私こそが正しい」と、主張する。
わかりやすく言えば、ものを売る商店と、どこもちがわない。
まず、このおかしさに、みなが、気づくべき。

 こんなことがあった。
母が亡くなったときのこと。
私は、地元(浜松市)にある寺に、読経を頼むつもりでいた。
同じ宗派なら、それでよいと考えていた。
が、郷里(岐阜)の寺から、連絡が入った。
「そういうばあいは、うちの墓には、入れません」と。
「地元にお骨が届いたあと、こちらはこちらで葬儀をしてもらいます」とも。

 つまり同じ宗派でも、(同じお経でも)、寺がちがったら、「墓には入れません」と。
それを知ったとき、私は、既存の宗教に、大きな疑問をもった。
「どうしてダメなのか?」と。
「もとは、ひとつではないのか?」と。

 ……ここでいうセクト主義というのは、それをいう。
大きく見れば、キリスト教も、仏教も、セクト。
同じキリスト教でも、カトリックとプロテスタントも、セクト。
あとは、無数のセクト。

人間の命そのものが、所有物化している。
神や仏の所有物ではない。
寺の住職という、1人の人間の所有物。
もっとわかりやすく言えば、金儲けの道具。
が、こうした傾向は、どんな宗教にも、ある。
神社にしても、それほど、ちがわない。
が、誤解しないでほしい。
だからといって、私は宗教を否定しているのではない。
ただ、「おかしい」と言っている。
否定はしないが、おかしいものは、おかしい。

○宗教

 宗教は、儀式であってはいけない。
教えでするもの。
思想でするもの。
中身でするもの。

 が、その宗教が変節した。
形骸化した。
その結果が「今」だから、今の状態をみて、それでよいと思う人は、いないはず。
どこか、おかしい。
何か、おかしい。
では、どうするか。

(1) セクトを作らない。
(2) 金儲けの道具にしない。

 わかりやすく言えば、自分の欲望を満足させるために、人の心をもてあそんでは、いけない。
組織を作り、セクト化してはいけない。

○ホタル

 話が、難(かた)くなってきた。

 先ほどフロントから連絡があり、「ホタルを見る会があります」と。
そのときは、行くつもりでいた。
が、今は、眠い。
それよりも、山荘にあるビワの木が心配。
今が食べごろ。
しかしサルがいる。
このところ、20匹単位でやってくるようになった。
「人間が先に食べるか、サルが先に食べるか」と。
毎年、そんな競争をしている。

 「今年もだめだろうな」と。

 サルというのは、頭がよい。
たいてい収穫直前に、やられてしまう。
近くの農家の人も、こう言っていた。
「明日、トウモロコシの収穫をしようと考えていたら、前の晩にやられました」と。

 ……加えて、外は寒そう。
ホタルを見る会には、行かなかった。

○神獣鏡

 卑弥呼が残した三角縁神獣鏡のひとつに、北極から見た地図が彫り込んである。
ぼやけた写真だが、その疑いが濃厚になってきた。
それを裏づけるかのように、神獣鏡の周囲には、360本の線が刻んである。
360本だぞ。
それを知ったときには、心底、驚いた。
肝っ玉が、ストンと下へ落ちるほど、驚いた。

 「あなた、やっぱり、360本よ」とワイフ。
「ぼくも、360本になった」と私。
「でも、本当かしら?」「まさか?」と。

 数度、繰り返してみた。
が、やはり360本だった。
つまり1周が、360度。

 そこで一部、線がはっきりしているところ、60本分を選んでみた。
というのも、神獣鏡のそれは、部分的に、かなりかすれている。
かろうじて線が見える程度、……といったところもある。
それで線がはっきりしている、60本を選んでみた。
選んで、中心と結んでみた。
(中心部には、女性の乳首のような突起点がある。)
分度器を使い、その角度を測ってみた。
が、ドンピシャの60度!

 神獣鏡のある場所は、すでに調べてある。
私の郷里(生まれ故郷)のすぐ近く。
地元の教育委員会の人とも、先ほど、電話で話をすませた。
もしこれが事実だとするなら、つまり、北極から見た地図だったとするなら、日本の歴史のみならず、世界の歴史が、ひっくり返る。

○360度

 1周が、360度!
しかし考古学の先生たちは、こう言うだろう。
「単なる、偶然」と。
事実、私の今までの説からしても、ありえない。
私が知るかぎり、エイリアンたちは、1周を、96分割していた。
「360度」というのは、あまりにも人間的。
人間的すぎる。

96と360の、最大公約数は、24。
関係があるのか、ないのか。
どうであれ、360本であることは、事実。
この事実を、どう解釈したらよいのか。
その前に、どこのだれが、「円の1周を、360度」に分割したのか?

○謎

 このように、謎は尽きない。
調べれば調べるほど、別の謎が生まれる。
「本にしたらどうか?」という提案も、何度かもらった。
が、本にはできない。

 私の説は、ビデオだからこそ、わかってもらえる。
本にしたら、ビデオ1本分で、1冊になる。
言葉と映像は、そこがちがう。

 また、今、私がしていることは、まさに統合性(エリクソン)の問題。
名誉や地位のためではない。
今さら、そんなものに興味はない。
クソ食え!
この命だって、あと14年で、平均寿命。
その前に、頭がいかれる。
それまでの勝負。

 私がほしいのは、「はやし浩司が生きてきた」という証(あかし)。
足跡。

 ご存知の方も多いと思うが、あの「本」というのは、たいへん。
出版社との打ちあわせ、校正などなど。
そんな時間は、今の私には、どこをさがしても、ない。

お金(マネー)の問題は、ないわけではない。
しかし清貧でさえあれば、何とか、生きていかれる。
そうそう、この北の丸へ来てみて、驚いた。
LEX級の高級車ばかり。
そういう人たちが、となりのゴルフ場で、ゴルフを楽しんでいる。
うらやましいとは、思わない。
むしろ、逆。

 私にとっては、時間イコール、命。
その時間は、享楽的に楽しむためにあるのではない。
自己実現のためにある。
わかりやすく言えば、消費するためにあるのではない。
創造のためにある。

 「みんな、時間について、どう考えているのだろう」と。
ずらりと並ぶ高級車を見ながら、そんなことを考えた。

○声

 冒頭の話に、もどる。

 マザーテレサの話。
が、マザーテレサだけではない。
釈迦の話は知らないが、キリストも、ムハンマドも、そのつど神の声を聞いている。
神の声に従っている。

 幻聴ではなかったはず。
私たちが見る、白昼夢のようなものでは、なかったはず。
そんなもので、人は動かない。
理性のブレーキが、働く。
というのも、今回、私は、こんな経験をしている。

 ある学者の講演会のビデオを見ていたときのこと。
その教授(Y大学S教授)は、こう言った。

「ナスカの地上絵について、デニケンなどは、宇宙人説を唱えていますが、支持しがたいです」と。

 青二才のような学者が、堂々とそう言うから、恐ろしい。
あのね、デニケンという人は、私財をなげうち、命がけで世界を歩き、自分の研究をつづけた人だよ。
その「命がけ」という部分が、まったく、わかっていない。
「命がけ」ということが、どういうことかさえ、わかっていない。

重要なのは、何が、デニケンを、そこまで動かしたかということ。
もし、その途中の段階で、疑問を感じたら、デニケンは、筆を折っていたはず。
ただ単なる思い込みだけでは、(命がけ)はできない。
そこに彼を動かすだけの(原動力)があったからこそ、デニケンは、そうした。

 私たちは、もっと謙虚に、その(原動力)に敬意を表すべき。
(命がけ)に、敬意を表すべき。
研究室の一角で、身分も、地位も、そして給料も保証されている、そこらの学者に、(命がけ)が理解できて、たまるかア!
私が自説をある学者にもちかけたとき、その学者は、私の話を聞こうともせず、こう言った。
「私はホラ話には、興味はありません」と。
さらに「(私たち)学者が、ちゃんと調べていますから」とも。

 マザーテレサは、その(声)で、進路を変えた。
幻聴だったら、そこまではしない。
命がけで、そこまではしない。
マザーテレサは、たしかに「声」を聞いた。

 ……この私にしても、そうだ。
おかしいものは、おかしい。
そう確信しているからこそ、毎日、ビデオを作っている。
思い込みだけでは、ここまでしない。
できない。

 ……頭が熱くなってきたので、この話は、ここまで。
これからひと眠り。
そうそう、夕食には、1時間45分も、かけた。
途中、一度だけだが、居眠りをしてしまった。

 おいしかった。
+Happy B-Day, 晃子!

(北の丸さんへ)

 ワイフのために、バースディ・ケーキまで用意してくれて、ありがとう!


Hiroshi Hayashi+++++++June.2013++++++はやし浩司(ひろし)

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