Recipientとして生きる

肝移植をうけて15年が過ぎました。
ボーイスカウト札幌第9団団委員長として活動を続けています。
健診の日々です。

生体肝移植―5年の歩み―(2)

2013-04-11 12:51:10 | 生体肝移植
 平成21年4月からはPTBDチューブの管理で明け暮れました。1本のチューブでは拡張不十分なので、もう1本チューブを別の胆管に入れました。つまり、体に2本チューブが入っているわけです。これはかなり管理が面倒くさく、いろいろと工夫して日常になるべく支障がないようしました。それでも肝機能は完全には良くならず、熱が出たりして何かおかしい。肝機能が改善しないのは、てっきりPTBDチューブのトラブルか、他の狭い胆管のためかと思っていましたが、肝生検(肝臓に針を刺して組織をとり、顕微鏡で調べる検査)で慢性拒絶と診断されました。いろいろなトラブルで、免疫抑制剤の量を少し減らしていたのも影響したようです。
 慢性拒絶は、治る率は半分くらいで、根本的な治療法は再移植しかありません。とにかく免疫抑制剤を増やし、PTBDチューブの管理に集中しました。結局、平成21年、22年はチューブを太くしたり、2本を1本にしたり、徐々にチューブの閉鎖時間を長くしたりで、あっという間に過ぎて行きました。帯状疱疹のほか何回も急性副鼻腔炎にかかるなど免疫抑制の影響もあり、体力的にはかなり落ちていました。
 平成23年になってから、胆管は十分拡張し、造影剤の流れもよくなったところで少しずつチューブを細くして閉鎖時間を延長していきました。慢性拒絶も収まってきたため、またチューブの脇漏れが多くて皮膚のただれがひどくなったため、PTBDを行って2年、手術から3年目の4月にPTBDを抜きました。やれやれ、これで2年ぶりに普通の生活に戻れると喜んだのですが、比較的早い時期から体がかゆくなってきました。
 平成23年は忙しい年で、北大第一外科同門会の50周年に当たるため、幹事長を務めていた私は、記念式典のコーディネートや記念誌の編集で忙殺され、また9月に父が亡くなったこともあり、身体的、精神的にかなりきつい日々が続きました。かゆみは徐々にひどくなって、睡眠不足も加わってきました。一度広がった胆管が、再び狭くなって胆汁の流れが悪くなり、胆汁の成分が体に回ってかゆくなったもので、どんなかゆみ止めや軟膏も効きません。わずかに、漢方(茵ちん蒿湯)が少し効いただけで、平成24年1月~2月体重は59kg(手術前は78kg)、顔もからだもしわしわ、掻き傷だらけという悲惨な状態でした。体に当たったところがすべてかゆくなるため横になれません。ベッドに座ったまま2時間ほどうとうとするだけという日が続き、この時期は、死んだ方が楽だと考えていました。
 脳死のドナーによる再肝移植の話もでましたが断りました。自分としてはどのような状況でも再肝移植はしないつもりで、その分必要な人に回すべきと今でも思っています。それでもやはり、かゆいままで死ぬのは嫌だったので、わずかに胆管が拡張したところで、平成24年4月、再度PTBDチューブを肝臓に入れました。なんと、その日からかゆみがおさまり、再挿入してくれた北大放射線科のA先生に後光が射して見えたものです。また生き延びる気力が出てきました。(つづく)