Recipientとして生きる

肝移植をうけて15年が過ぎました。
ボーイスカウト札幌第9団団委員長として活動を続けています。
健診の日々です。

第23回世界ボーイスカウトジャンボリー

2015-08-15 11:38:25 | ボーイスカウト
 平成27年7月28日から8月7日まで、山口県阿知須きらら浜にて行われた世界ジャンボリ―(WSJ)には、以前から参加したいと思っていました。自分の目標として、最後のご奉仕として、世界ジャンボリーを数年前から見据えていました。7月初めに今年2回目の入院をして胆道チューブの入れ替えと拡張を行い、函館の全道大谷スカウト大会+団キャンプで様子を見て、やっと行ける自信がつきました。
猛暑、参加者が2万人を越す中央救護所の激務、英語での対応など困難が予想されましたが、実際には予想以上でした。

8月1日夕方、札幌26団の外科医村上先生と救護所に入りました。器材や材料がどこにあるのか、手順はどうすれば良いのか、あってないようなオリエンテーションの後、実際に診療をスタートしました。日本人以外は英語での対応で、一人一人にえらく時間とストレスがかかります。技術的に対応の難しい症例が多いわけでないものの、とにかく数が多く、内容が多岐にわたっています。翌日(8月2日)は朝から満員です。猛暑の中、いろいろなイベントがなされた日で、呼吸が不規則、意識低下、全身けいれんなど、典型的な熱中症の危ない状態が次々に運ばれてきます。
外科系では足の爪周囲炎(陥入爪)が圧倒的に多く、期間中相当数の部分抜爪が行われました。日焼け、虫刺され、あせもなどをきっかけに広がるとびひ(伝染性膿痂疹)など皮膚の病気が多いのも大きなキャンプの特徴です。その他、外傷、結膜炎、外耳道炎、咽頭炎、腹痛などなど様々です。午後には疲れ果てて休ませてもらいました。3日目から徐々に調子が上がってきました。自分の体調管理を最優先にして救護所の外科業務は村上先生方にまかせ、手のかからない症例や再診の症例など、隙間を埋めるようにしました。込み入った話は通訳や自国のドクターに手伝ってもらうなど、

スタッフとコミュニケーションも取れるようになってきました。ただ、スタッフ食堂は炎天下往復4-50分かかるところにあり、しかも並ぶことが多く、晩飯は数回行けずじまいでした。村上先生はほとんど救護所の差し入れや自衛隊の缶詰で済ませていたようです。

疲れたら休む、寝る、食べる、飲み物を離さない、こまめにトイレに行く、必ずシャワーを浴びるなど、最後まで守るようにして、後は自分なりに楽しむのみとあちこち歩き回ってきました。実修所で一緒だった山口県連事務局長の上村さんに久しぶりに会ったほか、

サブキャンプ担当の当団の吉岡さんや

ベンチャースカウトで参加している中村君のいる北海道のキャンプサイトを訪問しました。みな日焼けして元気でした。

逆に、札幌4団の北さんはじめ、中央救護所にも何人か訪問に来られました。

2時間も並んでスカウトショップで記念品を買ったり、フードコートでカレーやラーメンを食べたり、

ベーデンパウエル卿のお孫さん(マイケルさん、南アフリカからオーストリアに居住している)にも、偶然お会いすることが出来ました。

英語もドイツ語もいやというほど話せたし、自分なりに満足して、1日早く福岡でのんびりしようと8月7日に会場を後にしましたが、新山口駅で心房細動という不整脈の発作を起こしてしまいました。以前も寝不足やストレスの時に起こしたことがあり、今回もさすがに心身に負担がかかっていたようです。福岡駅の循環器科クリニックで点滴を受けても収まらず、翌日新千歳からまっすぐ天使病院に向かいました。その時はまだ続いていましたが、天使病院の救急室で心電図を付けたところ、自然に戻っていました。
最後はハッピーエンドで終わったものの、中央救護所の業務は体力、気力から、この先はできません。とても楽しかったのですが、自分の限界を思い知らされたキャンプでもありました。