Recipientとして生きる

肝移植をうけて15年が過ぎました。
ボーイスカウト札幌第9団団委員長として活動を続けています。
健診の日々です。

過重労働

2013-03-14 12:45:50 | 健診
 3月11日と言えば、東日本大震災の起こった日ですが、それについては様々な思いがあるでしょう。只々、亡くなった方のご冥福と、被災者の方の復興を願うばかりです。
 その3月11日に行われた産業医研修会への出席で、産業医更新のための単位をすべて取得したことになりました。そのときのテーマは、「過重労働」というものでした。
 とても有意義な話が聞けたのですが、時間外労働をしないというポリシーは、今の日本で受け入れられるでしょうか。時間どおりに帰るのはなんとなく後ろめたく、サボっているように見られるのは、昔からあまり変わっていないのではないか。超過勤務手当をもらわないと会計が苦しい、というのも変わっているとは思いません。
 私も外科医になってからしばらくは、忙しいことに自己満足を感じていたものです。寝不足で働いているとなんとなくかっこいいような気がしていました。しかし、尊敬する先輩に、「能力がないから時間内に終わらないのだ。」「時間は自分で作り出すものだ。」と言われてから、まず、外科医が忙しいのは当たり前なので、他人に、「いそがしい。いそがしい・・・。」と言ったり見せたりするのは、能力がないのをさらけだしているようで粋ではない。集中してさっさと終わらせて好きなことをする、というのを信条に生活してきました。患者さんの急変、救急、臨時手術、当直、診断書や要約などの書類の山、学会発表の準備と、余裕があるふりをするのも、時間を作って飲みに行くのも大変でしたが、当たり前と思っていました。
 それを過重と受け取るかどうか、難しいところです。現在の基準からみると明らかに過重労働です。時間的にも精神的にも相当の負荷がかかります。ただ産業医研修会で、ストレス負荷要因についての解説があり、時間はもちろん重要ですが、「人間関係」「裁量度」「仕事要求量」「家族友人関係」「ワーク・ライフ・バランス」などが複雑に絡み合っています。残業時間が多く寝不足でも、職場で上司や同僚が助けてくれて、仕事量が多くても自分の裁量で切り盛りでき、家族や友達に恵まれ、仕事以外の自分の時間を持つことができていれば、ストレスは感じない、ということです。理想ですが。
 気に食わない上司のもと、ただこなすだけの多量の仕事を押し付けられ、帰っても寒い家で寝るだけとなれば、具合が悪くなろうというものです。
 ただ、私はこの負荷要因のなかで「裁量度」というのがキーのような気がします。筒井康隆さんは「文学部唯野教授の女性問答」(中央公論社)という小さな本で、ヘーゲルを引用して労働について解説しています。詳しくは元の本に当たってもらうこととして、仕事がきちんとできる能力を身につけることによって、自分の存在感を身につけることができる、「労働する自己意識」になることで、自分の存在感を獲得すると言っています。私はこれを、仕事に対する自信とやりがいの獲得ではないかと思っています。そこで「裁量度」が問題になるわけで、人間だれしも「お前に、ここは任せた。」と言われると張り切るもので、集中できるのではないか。
 自分にとって良い人間ばかりが周りにいるわけではない、労働環境だって必ずしも良いわけではない、皆が幸せな家庭を持っているわけではない、となると、ストレスを周りのせいにしないで仕事を充実させるには、自分の意識を変えていくしかありません。しかし、言うのは簡単ですが、実際には相当難しい。
まずは、当面の仕事を集中して終わらせ、さっさと帰ってのんびりするというところから始めましょう。