Recipientとして生きる

肝移植をうけて15年が過ぎました。
ボーイスカウト札幌第9団団委員長として活動を続けています。
健診の日々です。

ボーイスカウトのこと

2012-09-30 08:52:57 | 日記
長男がボーイスカウト札幌9団にお世話になり、その時にキャンプなどに一緒に参加しているうちにはまり込んだというのが最初です。子供の成長に合わせた、実にきめ細かいよくできたプログラムを持っているな、というのが最初の印象でした。団委員から指導者の端くれになり、研修所を2か所終了した勢いでその上の実修所(日本連盟那須野営場)に参加しました。参加して2日目で後悔しました。全国からスキルも経験も目的意識もはるかに上の指導者が集まっており、私は付いていけませんでした。班のみなさんに助けられやっとこすっとこ修了できましたが、こんなに集中したのは医学博士の論文をまとめた時以来でした。
現在団委員長として責任を負う立場になっていますが、カブ隊の隊長をしていた時がとても充実していました。小学校の3-5年生は学力の面でも身体的な面でも精神的な面でもとても大事な時期で、周りの環境や接する大人が重大な影響を与えます。その点で気を抜くとすぐ子供たちにばれてしまいます。スカウトの成長を見守るほか、自分自身が鍛えられ少しずつ変わっていくのがわかってびっくりしたものでした。
少子化の影響、家庭や学校やそのほかの環境の変化などで入団するスカウトが少しずつ減少しています。歯止めはほとんど利きませんが、100年近く歴史のある青少年教育プログラムは、それなりに実績があり時代と共に変化してきています。子供たちにとって、その成長を助ける十分なパワーを持っていますので、少しでも多くのスカウトが誕生するよう努力するつもりです。

2008年団キャンプ(真狩野営場、亡くなった石塚前団委員長と共に)

生体肝移植後

2012-09-23 10:20:11 | 日記
平成20年4月15日生体肝移植を受けました。
もともとB型肝炎ウィルスのキャリアーであることは分かっていましたが、自他ともに認める酒好きであるにもかかわらず肝機能も低下せず、おおよそ6か月ごとにCTやエコーで確認してなんでもなかったので、なんとなく楽観していました。しかし平成18年ころから肝硬変の所見が出てきて、それでも酒はやめられず、平成20年3月、CTを撮ってみて自分で多発性の肝癌を見つけました。一目見て、これは肝切除もできず長くて2年、おそらく1年持つかどうかと分かってしまいました。治る可能性としては肝移植しかないだろうがドナーがいないなあ、とほとんどあきらめた状態で動脈塞栓術しかないか、どうやって1年余りを過ごすか、などと考えていました。淡々と受け入れることができたのには自分でもびっくりで、もう少しじたばたするかと思いましたが、いつかはこのような日が来るだろうと考えていたので、思ったより早かったが仕方がないとすぐあきらめの境地になりました。その後、出身医局である北大第一外科の藤堂教授からの勧めもあり、また幸いに長男がドナーを引き受けてくれたため生体肝移植を受けることができました。手術が決まってからの不安は、正直、まったくありませんでした。
当時の術後最短在院記録を更新して2週間以内で退院したまでは快調でしたが、慢性拒絶、胆道狭窄と合併症が続いて、今も悩まされています。ただ、移植を受けなければ娘たちの結婚や孫たちの顔を見ることもできなかったわけで、それだけでもつらい術後をがんばれてよかったと思っています。今も胆道チューブをぶら下げ、術前より15㎏ほど体重が減っているものの元気に日常を送っています。
私自身、実に皮肉なことに博士論文をはじめドイツ留学中も肝移植の研究を行ってきました。よく自分の専門分野で打ち取られる医者が多いというのを証明したことになってしまいました。ただ、移植は脳死肝移植が本来の形です。まったく元気な長男の体を手術してまで生き延びる価値が自分にあるのかずいぶん考えましたが、逆に長男の思いを受け止めて生き延びることが報いることだと考え、手術を受けることにしました。しかし、慢性拒絶と胆道狭窄でかなりひどい状態の時でも再移植を受ける気はありませんでした。再移植は脳死肝移植しかなく、自分がレシピエントになるよりもっと必要としている方がたくさんいるはずで、私はもう十分移植の恩恵に浴したと思っているからです。
人にはいろいろな考えがあり、脳死を死として受け入れられない人もたくさんいると思います。しかし脳死が存在するのは事実で、現在のように厳格な基準が定められてる環境での脳死を受け入れていただけるなら、ぜひ、ドナーとしての登録をお願いしたいと思います。私自身は早い時期から角膜と腎臓のドナー登録はしていました。その後、もちろんドナーカードには全臓器OKのチェックを入れて持っています。肝臓はだめだとしてあと使えるものはぜひ使っていただきたいし、何かの原因で死んだときにも病理解剖をしてもらうよう家内には言っています。
自分が医師になった35年前からみて、医学は驚異的に進歩しています。肝移植の発展がなけれが私の寿命はとっくに尽きていました。もちろん無駄な延命処置や日常生活がまったくできなくなるような癌治療は必要ありませんが、もう少し頑張ってくれたならば、新しい治療が使えて助けることができたのにと思える患者さんが多かったのも事実です。尊敬する先輩から聞いた話で今も正しいと思っていることがあります。人間が死ぬときには4つのパターンしかない。1)病気や怪我が重いとき、2)本人があきらめたとき、3)医者があきらめたとき、4)家族があきらめたとき。せめて、あきらめないような状況にするのが医療従事者と家族の務めではないかと思っています。