Recipientとして生きる

肝移植をうけて15年が過ぎました。
ボーイスカウト札幌第9団団委員長として活動を続けています。
健診の日々です。

誰も待ってなんかいない!

2012-11-11 11:22:06 | 日記
私の父も外科医でした。肺結核の外科治療に情熱を燃やした根っからの臨床外科医でした。あまり怒られたことはないのですが、唯一強烈に怒られたことがあります。私がまだ30歳前のペーペーだったころ、祖父の三回忌が本家のある福井県で行われ父と参加しました。法要などの後宴会があり、その席で親戚に、もう2-3日のんびりしていけばよいのにと言われ、私は「いえ、患者さんが待っていますから…。」と答えました。宴会の後、父にものすごく怒られました。「キザなこと言うな!お前みたい医者など誰も待っていない!うぬぼれるのもいい加減にしろ!」 すごい剣幕でした。自分なりに多少自信があったので、当時はなぜ怒られるのかよくわかりませんでしたが、その後次第にわかるようになりました。「自分がいないと皆困る→誰も困らない」「自分は手術がうまい→幻想」「自分はなんでもできる→やりたいのとできるのは違う」「自分はよい医者である→思い込み」などなど、勘違いしている医者が実に多い。
私はあまり医療ドラマは見ないのですが、依然、たまたま草さんが主人公役の、かなり年をとってから医者になるドラマを見たところ、ある場面で彼が、「患者さんが待っていますから…」とセリフを言っていました。思わず、お前みたいな研修医を待っている患者など誰もいないと突っ込んでしまいました。
日々誠実に、一つずつ確実に自分の知識と経験を積み重ねることのみを考えるのが、臨床医としては唯一大事なことと思います。

「医者の営業」は「武士の商法」か?

2012-11-08 09:07:03 | 日記
ボーイスカウト札幌第9団も全国的な流れと同じで、年々スカウトやリーダーが減少し、以前の盛況を取り戻せていません。少しでもスカウトを増やそうと、東本願寺系列の大谷幼稚園と大谷第2幼稚園にポスターやパンフレットを置かせていただこうと、先日お願いに伺いました。幸い両園長先生とも快くお引き受けいただいたのですが、慣れないことでえらく緊張しました。
私たち医師という職業は、あまり人に頭を下げることがありません。医療上のミスを犯せばもちろん患者さんや家族に頭を下げるのは当然ですが、それ以外のところでは、まず、お願いして頭を下げるということがありません。患者さんと立場が対等だというのは建前で、患者さんの立場からはどうしても医者にお願いするという気になってしまいます。これは自分が手術を受ける患者の立場になってみてつくづく判ったことです。
以前、同期の弁護士が、自分は・・先生と呼ばれないと返事をしないし、・・さんと呼ばれると変な気がすると言ってたのを聞いて、何と傲慢なやつかと思ったことがありましたが、医者の中にもそういう人は多いでしょう。自分も先生と呼ばれるのに慣れて、さん付けで呼ばれるとあれっと思うことがあったのは確かです。ボーイスカウトの活動を始めて15年以上になりますが、仲間たちには先生でもさんでも言いやすい方で読んでもらって良いですと言っていますので、さん付けで呼ばれることに抵抗はなくなりました。また、入院期間中はさん付けで呼ばれますので特に気にならなくなりました。
しかし、やはり人に頭を下げてお願いするのは苦手です。営業活動で生活している方々は本当に大変で、好意的な言葉ばかりをもらえるわけではなく、すげなく断られ、ひどい罵声を浴びることも多いと思います。医者はそのようなことには全く耐えられない。頭を下げなくてもよい商売なので医者を選んだというのも聞いたことがありますが、誇りを持つのは結構ですが謙虚さを忘れては傲慢になってしまうだけです。私のように古くなった医者は、なかなか昔からの体質が変わりません。若い医者たちには、ぜひ謙虚さを忘れず精進してほしいと思っています。