ボーダーコリー 「ボルド」と「マロン」と猫の「にゃきち」And「バディ」

ボルドは虹の橋を渡り、寂しそうなマロン。そこへヤンチャ怪獣バデイを迎え、ドタバタな日々が始まりました。

私達のあゆみ 発作が1ケ月に1回で落着いていました

2010年10月13日 | 私達のあゆみ

私達のあゆみ 第109話

昨年の秋のこと
涼しくなり始めて、
ボルドも一緒にドッグラン通いが出来るようになりました。
 

「てんかん」が発症する前のボルドは
すごく強くてガウガウでしたので
他のWANと一緒になったら、
きっと
取っ組み合いになってしまうと思っていた私達。
ただ、取っ組み合いになっても
ボルドは、後遺症で足やクチの麻痺があるから
相手をキズつけることはないと思っていました。
 
それでも、
何をするか想像がつかない私達は
「しつけ用のジェントルリーダー」を装着させて、

とても慎重に慎重に、
神経質になっていました。
 
 
でも私達の心配をよそに
ガウガウ、取っ組み合いになることはなかったのです。
マロンが先にドッグランに通っていたので
ドッグランに来るWANとお友達になっていて
WAN同士でボルドの話をしていたのかもしれません。
そして、優しいお友達と飼い主さんのおかげで
ボルドもたくさんのお友達が出来ました。

ボルドが大発作を起こしたときに
立ち上がることもできない、あの姿を見ては、
「もっとドッグランに連れて行ってあげればよかった」と泣いていた私。
とても後悔したんです。
そんな気持からボルドには
たくさんのお友達を作って、楽しく過ごして欲しかったのです。

だから、お友達が増える度に私達も嬉しくて
ボルドやマロンの表情や行動が面白くて
毎週のように通ったんです。
 

そんな私達の気持ちとボルドの気持も一緒で
発作が1ケ月に1回のペ-スで落着いていました。
そして少しずつですが、
発作も状態が軽く済んでいました。

きっと留守番のストレスもなく
WAN同士で走ったり、リードがら開放されて
嬉しく、楽しく、刺激もあり
気分転換になっていたんだと思います。
 

私達人間とばかり接していたボルドが
WANらしく見える瞬間でもありました。
 

我が家のみんなが
明るく前向きに
あゆみ始めた、昨年の秋でした。

(110話へつづく)

ランキング参加中!
お菓子のかわりにポチッしてなの~
 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私達のあゆみ 足がツルほど走って走って

2010年10月05日 | 私達のあゆみ

私達のあゆみ 第108話

昨年の9月頃から、
念願だったボルドも一緒にドッグランに行くようになりました。
春からマロンと通い始めて半年
帰りの車中では、パパ猫といつも
「ボルドがいればね~」と話をしていました。
常にいつも心に引っかかるものがあった私達なんです。
たぶん、その気持はマロンにも伝わっていて
同じ気持だったのだと思います。
ボルドが発作を起こした日に出かけるときは
マロンは、往きの車中大人しくして
ボルドのことを気にしているように見えました。
それでも、パパ猫と私
ボルドもいつか連れて来られるように
いろんなことを考えながら
マロンを連れてドッグラン通いをしていました。
そのボルドも
一緒に行くことが出来るようになったんです。

私達以上に
ボルド自身が一番嬉しかったようです。
ノーリードにした瞬間、すごいスピードで走り出したり
顔が活き活きしていました。
数回通ったときのこと
疲れて帰宅して
ボルドが、ウトウト寝て目を覚まして
起き上がろうとすると
ピーピー高い声で泣くんです。
ボルドが高い声でピーピー泣くときは
辛いときなんです。
泣いているボルドに駆け寄ると
足が思うように動かないらしく
さすって起き上がるのを少し手伝うようにすると
2歩・3歩と歩いたあとは
いつものようにスタスタスタと歩きだしました。
始めは、発作の影響で
足の麻痺が悪化していまったのだろうかと
心配しましたが
どうやら
人間と同じで足が攣っていたようです。
私達も立ち通しの仕事や冷えなどで
足を攣ることがありますが
ボルドは嬉しさのあまり、
疲れても走って走って・・・
足が攣るくらいまで走っていたんです。

きっと
マロンと共にドッグランに行って
ノーリードで自由に走りまわれることが
嬉しく、楽しかったのだと思います。
2月位からゆっくりお散歩する程度だったのに
突然、自由に走ったから
足に筋肉もないままでしたので
だいぶ負担がかかっていたんだと思います。

少しずつそんな過程を経て
強くなって行くボルドでした。

第109話につづく

ランキング参加中!
お菓子のかわりにポチッしてなの~

   

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私達のあゆみ 嬉しく、微笑ましく、そして強い絆

2010年09月28日 | 私達のあゆみ

私達のあゆみ 第107話

ボルドが退院して、
2ケ月近く発作が起きなかったのです。
薬の量を体重に対して最大量で
調合していただいたからだと思います。
2ケ月後から、また少しずつ発作が起き始めていました。
この間にボルドとマロンは
発作について何か話をしたように感じたんです。

ボルドが発作を起こしているとき
吠えるだけだったマロンが
この頃から、ボルドのマズルを甘噛みするようになったのです。
 
 (以前の写真から)

その様子を見ていて
きっとボルドがマロンに
「オレは、時々頭が痛くなって眠っちゃうみたいなんだ、
気が付くといつもママ達がそばにいて心配そうにしているんだよ。
オレは、何が起きたのか分からないんだけど
そのあとは、体が重くてだるくて、でもウロウロしたくて
どうしたらいいか分からないんだ。」と言って
話をしたような気がしたんです。

ボルドの話にマロンが
「そうだよ、ボルちゃん時々調子悪くなるってママ達が言っていたの~。
マロンもそんなボルちゃんを見て怖かったの~。
でも、ボルちゃん分からなくなっちゃうならマロンが起こしてあげるの~。」
と応えていたような、そんな会話をしていたような気がしたんです。
 
 (以前の写真から)

その頃から、ボルドの発作は
重い時もありましたが、軽い時の方が多く
少しずつ快方に向かっていた気がします。
マロンの行動も
甘噛みだけではなく、
少しずつボルドを奮い立たせるように激しくなっていました。

ある時は、
事前に発作を感じるのか
ボルドの頭のあたりでささやいていたり
低い声で唸ってみたりしていました。
発作時には、悪霊を追い払うような感じで
ワンワン吠えるというより、
低いドスのきいた声で唸っていました。
そんなマロンの声に気が付くのか
ボルドも意識を取り戻して発作の時間が短くなったり
復活するまでが早くなったりしていました。

きっと
ボルドとマロンは
私達の知らないところで、いつも会話をしているんだと思います。
発作のあとも反省会を開いて
次の対策を相談しているような気がするんです。
 
 (以前の写真から)

マロンがボルドの発作を止めようとして
ボルドはマロンの声が聞こえて目を覚ます。
飼い主では、どうにも出来ない世界で
WAN同士助け合っているんだなと
嬉しく、微笑ましく、そして強い絆を感じるのです。
 
 (以前の写真から)

夢のような想像の世界かもしれません、
でもきっと・・・、私はそう思うんです。
 
                          (以前の写真から)
(第108話につづく)

ランキング参加中です、
この写真を「応援クリック」お願いにゃ~!
 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私達のあゆみ ボルドを優しく見守るマロン

2010年09月18日 | 私達のあゆみ

私達のあゆみ 第106話

少しずつボルドの発作と向き合い
応援するようになり始めたマロン。
それとは反比例するように
ボルドの発作は頻発して、
重くなって行きました。
そして、
2008年の年末にボルドの発作は
3日間続きました。
はじめは、留守中の2時間位の間に
20回位発作を起こしていました。
この時もマロンは、
必死でボルドを応援して見守っていたのです。
でもそれはもう、ひどい状態で
失禁の上で痙攣、
脱糞の上で痙攣と
猫娘が昼に帰宅すると
部屋の中はひどいニオイだったようです。
若干軽くなったり、またひどくなったり・・・。
こんな状態が3日も続き、
また同じような
連続した重積発作が・・・。
ついに入院となってしまったボルド。
この時マロンは、
ボルドの状態を一番近くでよく見ていたので
状況を理解していたようです。

ボルドが1週間経っても帰って来ないので
寂しさと心配がピークに達して
精神的ストレスから下痢をしてしまったのです。
この時、私達は初めて
ボルドとマロンに「強い絆」があることを感じました。

ボルドが退院してからも
マロンは、
時にボルドの後を追いながら、
また、
ボルドが退院後初めて
自分の力で立ち上がろうとしている時も
みんなの邪魔にならない
ソファーの上から心配そうに、
大人しく、見守っていました。
そんな様子は、
以前からご覧いただいている
この動画を見ていただくと
お腹がこわれて洋服を着て
懸命にボルドを看ている
マロンの気持が伝わると思います。
 

マロンが本領を発揮し始めたのはこの頃からなんです。
ジーッと観察をして、ボルドに協力していました。
発作の時に吠えるのは
怖くて吠えているのだと思っていたので、
私は、マロンに
「うるさい!!」と叱ったこともあります。
でも、
そんなとき冷静なパパ猫が
「マロンを止めなくていいよ、好きにやらせてみよう」と・・、
私は半信半疑でしたが、
ボルドに良い影響をもたらすのならと思い直して、
パパ猫の言うとおりにしたのです。

マロンは、ボルドの意識を戻そうとしている。

確かに以前の留守番中もそうでしたから納得できました。
ボルドもマロンの声に反応して、
目を覚まし、
発作が短くなったような気もしました。

それからは、
ボルドの発作時に
「マロン、ボルドのこと助けて、目を覚ましてあげて」と
私がマロンにお願いするようになりました。

嬉しかった!

でも、
私達が考えている以上に
マロンのチカラはすごかったんです。

(第107話につづく)

ランキング参加中です、
オレへの応援してくれにゃ~!
 
 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私達のあゆみ 重篤なボルドの発作とマロンの成長

2010年09月16日 | 私達のあゆみ

私達のあゆみ 第105話

ボルドの発作を初めて見たマロン、
家族として迎えた生後2ヶ月の頃
この頃はあまり気にしていないようでした。
ボルドと共に遊び、生活して
仲良くなる頃には、
発作を
怖がって
震えて、
自分のゲージに入っていました。

ゲージに入ったマロンはジーッとボルドを見ていたり、
時には目をそらしたりしていたんです。
私達がボルドの発作を初めて見た時以上に
マロンは怖かったんだと思います。

マロンを家族として認めてからのボルドは
いつもマロンに対して優しく
暖かいまなざしでマロンについていました。
そんな頼もしいボルドに、
何か怖い事態がおきて
豹変してしまったような、
別のWANになってしまったような気がしたんだと思います。

その頃のボルドの発作は、
現在より明らかに重くて、
硬直、痙攣、失禁、泡を吹き
意識が戻っても
興奮していて落ち着くまでの時間が長く
1時間位かかっていました。
その間も、
マロンは大人しく邪魔にならない所で
ジーッとしていました。
時には
私達のそばに来て震えていたこともあります。
心配だし、不安だったんでしょう。
ボルドの発作が連続したり、重くなると
そんなマロンを邪険にしたこともあるんです。
失禁した尿が飛び散る位痙攣していたこともあるので
それをマロンが浴びてしまったら、いけないと思い
「どいてー!!向こうへ行きなさい。」と
怒鳴ったこともあります。
今、考えるとマロンは不安で寂しくて辛かったのだと思います。
酷いことをしたとあとで後悔した日も多かったんです。

ボルドが落着いたときには
マロンを呼んで思いっきり抱きしめてあげて
「ボルちゃん、調子悪いんだって」
「ボルちゃん、つらいみたいだから、
そっとしてあげようねマロンはイイ子ね」と言い聞かせていました。
そんなことを1年位繰り返し、
マロンに少しずつ変化が見えました、
ボルドの発作を理解しようとしていたんだと思います。

我が家は、共働きで
お留守番が多いボルドとマロン。
ボルドが「てんかん」を発症してから留守番中には
監視カメラで録画しています。
帰宅すると真っ先に録画映像の確認をしているんです。
ある日、その映像をみて
私達は驚き、感動したのです。
留守番中にボルドが発作を起こしたときに
マロンが「ワン、ワン」吠えて
意識が遠のいているボルドの目を覚まさせていました。
留守中で
ボルドを助ける人が誰もいないから
自分がやらなければと思ったのか
それとも怖かったのかは分かりませんが
その頃から、
マロンはボルドの発作と真剣に向き合うように
ボルドを応援するように、
いえ、共に戦うようになったんです。

(第106話につづく)

ランキング参加中です、
この写真を「応援クリック」お願いにゃ~!
 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私達のあゆみ マロンの成長を感じた夏(1才6ヶ月)

2010年09月11日 | 私達のあゆみ

私達のあゆみ 第104話

ドックランにボルドと一緒に行くようになりましたが、
まだまだ、
他のWANが少ない時に行っていた時期です。

ボルドを中心に生活していたので、
マロンは「二の次」になっていたと思います。
それでも、
ボルドを気遣うマロンが可哀想で
マロンだけでもドッグランで
走らせて、泳がせて
日頃のストレスを発散して欲しくて
マロンだけを連れて出かけていました。

ドッグランでは
他のお友達WANと走って、
ガウったりして、
プールでは
あまり泳げないとは言え
一生懸命に泳いでいました。

楽しそう・・・
でも、
表情はいつも何かを気にしているようでした。

ボルドが陣取っていたドッグランのテラス
幾たびか
マロンの顔が
その方角を見ていたことに気が付いたのは
その日も帰ろうとした頃でした。
 
 (ボルドと一緒で嬉しそうなマロン)

「やっぱり、寂しくて、気にしているんだ」
パパ猫と心苦しく、嬉しくもあった瞬間でした。

そして、帰宅すると
ボルドの元で匂いを盛んに嗅いで
ボルドもマロンの体を
入念に嗅いで・・。
あたかも
「きょう何をしてきたか」を回想するかのように
ボルドは寄り添い
一心不乱に嗅ぎ続けていました。

短い時間ですが
私たちとは時間の感覚が違うであろう
WAN達には長い時間だったかもしれません。

この頃から
発作のときにボルドの傍に
心配そうな表情を浮かべて
マロンが立っているようになったのです。
あんなに
怖がって距離をおいて見つめていた子が・・・
大人になったんだ!
私達は嬉しくなっちゃいました。
 
 (ドッグランから戻り、シャワーも浴びて、幸せ顔)

でも、
視点を変えて考えると、
マロンにとって
ボルドが自分の一部になった瞬間だったのかも
そう考えると
マロンが頼もしく見えてきたのです。

(第105話に続く)

ランキング参加中です、
この写真を「応援クリック」お願いにゃ~!
 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私達のあゆみ ボルドに与えた食べ物と影響について

2010年07月18日 | 私達のあゆみ

私達のあゆみ 第103話

今回は、「食べ物について」です。

ボルドが、
おやつを食べられるようになった頃
ボルドの喜ぶ姿に、
定期的におやつを与えていました。
 

テレビのCMと見て
「ホネッ○食べて~♪」を
毎日、たくさんあげていました。
そのうちに、
返品回収となり返金していただきましたが・・・
この頃から遅ればせながら、
「ペットフードの安全性」を考え始めたんです。

果物についても知らずに
ブドウを与えていました。
ボルドが喜ぶので
長野まで巨峰を買いに行ったこともあります。
ところが、ネットで調べると
「ブドウを食べさせても良いと言う動物病院には、行かない方が良い」と
書いてありました。
そのくらい、WANには「問題あり」だったようです。
ブドウを食べたWANに腎臓障害を起こすWANがいるそうです。

「てんかんの薬」を飲んでいるのに
無知な私達は、
グレープフルーツを食べさせていた時期もあります。
高血圧の薬を服用している方も
食べてはいけないそうです。
グレープフルーツの中に含まれる物質が、
肝臓の薬物代謝酵素のひとつを阻害するため、
この薬物代謝酵素によって代謝排泄される薬物は
血中濃度が下降しなくなり、
結局「効きすぎる」ためだそうです。

それから、
キシリトール入りのガム
キシリトールを摂り過ぎると
「てんかん」を誘発してしまうそうです。
適度な量なら良いのでしょうけれど
我が家では、ボルドの発作が頻発していたので
キシリトールが入っているものは、禁止にしました。

ボルドのフードはユーカヌバでした。
ペットショップでは、
ユーカヌバに缶詰をプラスしていたので
同じように与えていました。
ある時、獣医さんに
何を食べているか聞かれたんです。
缶詰のせいで、
毛ツヤが悪くなっていたようです。
ひょっとして、
食事量が多かったせいかもしれませんが、
缶詰をやめるように言われてからは、
ユーカヌバだけ。
「ユーカヌバは、すごく良いもの」と認識していたのですが
今年になってから
ボルドの血液検査の結果が良くなかったので
療養食で、
アレルゲンフリーのフードに変更しました。

ある本によると
本当に良いフードは、便の回数が少ないと書いてありましたが
うなずけることがありました。
フードに余分なものが入っていない証なんです。
それから、このフードに変えてから
ボルドの口臭がなくなり、
歯も白くなったと思います。
フードひとつで、こんなにも違うのだと実感したのです。

本来は、
手作りで与えることが一番の近道なんだと思いますが
共働きで、日々忙しく、とても手がまわりません。

できるときは
ささみとキャベツを茹でたり、トマトをあげたり
納豆を食べさせたりしています。
この頃からボルドは
イキイキしてきたように感じました。
 

このブログを見て、
応援していただいている方々から
有益で確実な情報、知識を教えていただき
実践してきたお陰です。

本当に感謝しております。

WANに影響の少なくて、
無添加、自然のものが一番、
人間だってそうなのに、
もっと勉強しなくっちゃ~。

ランキング参加中
  

コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私達のあゆみ てんかん発作の影響、ダメージについて

2010年07月16日 | 私達のあゆみ

私達のあゆみ 第102話

今回は「発作について」、
私達が感じた事などです。


ボルドの発作は
1歳の時、突然発症しました。
今考えると1歳という年齢も関係あるような気がします。
この世に命を受けて1年、
始めは、
食べることで体を成長させる。
そんな1年が経過した直後、
体が一人前になった次は
いろんなことを感じ、理解できるようになり、
脳の成長が始まったと感じた頃に
発症した気がします。
だから、
感受性が増していくと同時に
発作も増していったような気がします。
初めての発作は
お留守番中に雷雨があった日でした。
そのあとは
いろいろなことに過敏になり
少しのことでも興奮するようになりました。

私が帰宅したーと喜んで、・・・・結果として発作。
お客さんが来たーと興奮して発作。
家の近所で工事をしていて普段と違う音や振動を感じて発作。
肉を食べては喜んで発作。
休みの日にみんなで散歩して喜んで発作。
夫婦ケンカの気まずい雰囲気をよんで発作。
留守番が長くて不安になり発作などなどです。
最近では、
気圧の変化で発作を起こす事がほとんどになりました。
 

発作のあとのボルドの状態ですが
初めの頃は、
ひどく「おびえて」いました
目はキョロキョロ、怯えていて、興奮状態でした。
壁や家具にぶつかり、
部屋中ウロウロ、ウロウロ徘徊。

時には、
上の方が気になるようで
立ち上がり前足をかけて
タンスの上やカウンターの上、
ゲージの上をのぞくようにしていました。
声をかけても聞こえていないようで
当然、
コマンドも効きませんでした。
そのうえ、水も自分から飲める状態ではなく
私達の手で与えても満足に飲めませんでした。
この状態が1時間位つづき、疲れ果てて、
ようやく落着き眠ると言うサイクルを繰り返していました。

発作の起きる時間帯も夜中が多く、
寝不足になったこともありました。
特に重積の時は、
発作のあと、落着く間もなくまた発作でしたから
薬なんて効いていないのではないか
飲んでも飲まなくても一緒なのではないか
止めてしまおうかと思ったこともありました。

でも最近では、
薬の濃度が安定しているようで
発作後、10分~15分位で水を飲んだり
トイレに行き、オシッコをして
スッキリして眠ってしまうことが多くなりました。

ボルドは何十回も発作を経験して
私達も発作の対処に慣れてきて、
簡単に落着くことが出来るようになったのだと思います。
WANと飼い主の気持ちが通じ合っていることが
大切なんだと思います。

でも、
確実に脳へのダメージはあります!
でも
日増しに可愛くなる表情
その理由を想像すると、複雑な心境です。
 

(第103話へつづく)

ランキング参加中
  

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私達のあゆみ ボルドの「てんかん発作の薬」について

2010年07月14日 | 私達のあゆみ

私達のあゆみ 第101話

「私達のあゆみ」と題したこのシリーズ、
100話を越えました。
私達にてんかんの体験を教えて欲しいし、
知りたがっている人たちがいる。
そう私達にキッカケを作ってくれたWAN友さん。
こんなにブログをしているなんて
想像も出来ませんでした。
でも、
今は少しばかりの使命感と
笑いのペーソスを心がけて
みなさんのお陰で
意欲的にボルドに接することが出来ています。
みなさまの応援、本当にありがとうございます。

今回から少し志向を変えて
ボルドの発作について、シリーズを決めてまとめてみようと思います。

今回は、「薬について」です。
3年前の夏の終わりにボルドが
初めて「てんかん発作」を起こしました。

すごい興奮状態、
今までに見たことのないボルドに変わっていました。
動物病院へ行き、安定剤を打ちましたが
注射も効かないくらいの興奮だったのです。
投薬が嫌で、ギリギリまで様子を見させていただきました。
安心した矢先、その2週間後。
それは起きました。
そして、ボルドの投薬が始まったんです。

始めは、
抗てんかん薬の「フェノバール」を朝晩1錠ずつ。
獣医さんから1週間位は、薬がすごく効いていて
足がヨロヨロしたり、
寝てばかりでモウロウとします。と言われましたが、
本当にその通りでした。

この薬のおかげで、
2ケ月は発作が起きませんでした。
でも、安心したのも束の間。
毎週のように発作が起き始めて
薬の量も少し増やし、
薬の種類もフェノバールのほかに
臭化カリウムを加え、それでも発作が短い間隔で起きるため
半年後には、
ゾニサミドを追加し3種類となりました。
私達は、ネットで「てんかん」について調べたり
薬のことを調べたり、
ボルドの発作が起きる度に悩んで

辛くて、

でも、どうすることもできませんでした。

獣医さんは、
出来るだけ最小限の量で発作が治まればと考えてくださっていて
体重に対して、少なめに調合してくださっていたのです。
その後も
3種類の薬の量を微量に増加していただいたり
フェノバールとゾミサミドが
お互いの効果を消しあってしまう場合もあると
多少2種類を増減していただき、様子を見ていました。

1週間間隔であったり、
2週間間隔になったりと変化がありましたが
全体的な状態は
私達素人目にも進んでいる気がしました。

発作から1年半近くが過ぎて、
ボルドが2歳の秋頃から、
さらに状態が悪化して
重積発作が起き始めたのです。
そして年末には、
あの大発作が起きたのです。
この時、
ボルドは虹の橋を渡りそうになったんだと思います。
獣医さんと相談して
今までは、副作用などを考えて薬の量を最小限で抑えていたけれど
副作用より、
ボルドの命、発作を抑える意味でも
体重に対してMax量を調合する方向でお願いしたのです。

退院後は、
2ケ月近く発作が起きなかったのですが
また5日から1週間間隔となり重積しているため
さらにグリセリン液を50%に薄めて追加しました。
このグリセリンは、脳圧を下げる効果があり
「てんかんはてんかんを呼ぶ」と言われているので
脳圧を下げて脳のむくみなどを取る効果があるそうです。

グリセリン液を飲んだあとは、1時間禁水です。
水分を摂ると薬が薄まってしまうからだそうです。

このほかにも
発作時には、ダイアップ10mgを1日3錠まで挿入。
発作が起きそうな時は、セルシン錠を2錠飲ませておくと
興奮が抑えられるのです。
最近は、セルシンを飲ませることもなくなってきましたが
発作が連続して起きていた頃は、
就寝前に必ず飲ませていた時期もあります。
自分の家族がそうなったら・・?
辛いですよね、
でも、
その薬のお陰で
この子の苦痛が癒えているならば
喜んで投薬して、
少しでも発作が起きない時間を作り
たくさん楽しい思い出を作ろうと思っているんです。

ボルドを見ている方たちには
想像できないと思いますが、
硬直し痙攣し始め、
無呼吸から瞳が「みるみる白く濁って」
もうダメなのでは?
そう思った事は何十回あったでしょう。

発作の時は声をかけてはいけない、
それは調べた「てんかん教科書」に書いてありました。
でも発作のたびに、
あの白くなる瞳に、
「ボルド~、しっかりしろ~」と声が出ていました。
その叫び声に応えるように、
我に帰るように
濁った瞳に「生」が戻ってくる瞬間
初めて直面した時のショックは
私達の心から離れません、今も・・、
・・この先も。
 


(第102話へつづく)

ランキング参加中
  

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私達のあゆみ ボルドとマロンが教えてくれたこと

2010年06月29日 | 私達のあゆみ

私達のあゆみ 第100話

わたしは幼い頃、
犬に噛まれた祖母の足を見てから
噛む、吠える、怖いと
40年も先入観を持って、誤解していました。

パパ猫に
「犬を飼おう」と言われて、
戸惑い悩んで
始めは、とても気が重かったんです。

ボルドをペットショップにお迎えに行き、
帰りの車の中でも、ダンボールの中から
顔を出して吠えたり、跳ねたりするボルドが
今にも噛み付いてきそうで
怖くて、オロオロしていました。
 

ボルドと出会ってから
もうすぐ4年が経ちます。
ボルドがたくさんのことを教えてくれて
感じさせてくれて、助けてくれました。

WANにも、感情がありますよね。
悲しい、寂しい、怖い、嬉しいなどなど、
いつも私達が帰宅すると
一番に駆け寄ってきて、
飛びつき、
シッポをブンブン振って。
時には、
ゴロンとお腹を出して喜んでいました。
こんなに感情を体いっぱい使って、
表現しながら迎えてくれる家族は、
ほかにいませんよね。
私も嬉しかったです。
「嬉しい時にシッポを振るって本当なんだ」と実感しました。

いけないことをして叱ると
申訳なさそうな、上目使いの顔をして、真剣に反省顔
「もういいよ」と声を掛けると
すぐに近寄ってきて
「ごめんなさい」のかわりにペロペロ舐めてくれました。
ウレシそうなその笑顔に
時にだまされ、癒されて
かけがえの無い存在になってゆきました。
 

始めのうちは、
トイレトレーニングで苦労したり
甘噛みをなおすのに、噛まれたり、
キズが出来たりもしましたが
そんな苦労以上に
ボルドが私達に与えてくれたものは、
大きかった~。

ボルドを迎える時、
猫娘への影響も期待していたんです。
中学3年と言う難しい時期で、
口数も少なく、
何を考えているのかも分からない状態だったのです。

ボルドが来てから、
自然と家族の会話も増え、協力するようになりました。
特に
家族がその命の危機に際したときから、
寄り道もせずに帰宅するようにもなりました。
猫娘が、
ボルドのお散歩を担当するようになってからは
パパ猫に猫娘が叱られていると
必ずボルドが猫娘の前に立ち、かばう姿勢をとっていました。
そんなボルドを見て、
パパ猫は、叱ることを控え
猫娘の心が、涙と共に洗われていきました。

「夫婦ケンカは、犬も食わない」と言いますが、
私達が大きな声で、言い争っていると
ボルドも大きな声で吠えたり、唸ったりします。
そして、私が泣いていると
そばに来て、
心配そうな顔をしてなぐさめてくれたり、
「謝ったほうがいいよ」と言いに来ていました。
ボルドとマロンと猫のにゃきちゃん
我が家に無くてはならないキャラクターばかり。
 

私にとって、ボルドの入院は、
大切な家族が、いなくなってしまうような
自分の子供を亡くしてしまうような
言葉に言い表せないような気持でした。
なんとか我が家に戻したい一心で
モウロウとしているボルドに
「おうちに帰るんだから、頑張るんだよ、待っているよ」と
声を掛けるとボルドは一生懸命、応えようと
ウトウトした目を開けたり、重い頭や体を動かそうとしていました。
気持が通じ合った瞬間でした。
 

ボルドやマロンを通じて
たくさんの出会いがあり、お友達ができました。
私自身、生活ペースが変わり、世界も変わりました。
時として、
人間同士の少し考えてしまう状況も
明るく前向きに解消改善しようという考えが生まれました。
 

恥ずかしいことかもしれませんけれど、
40年が過ぎて、
命の尊さを実感した私なんです。

第101話につづく)

ランキング参加中、「ポチッ」で頑張れます。
下の写真をクリックお願いしま~す。
 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする