この世にいるのに狂わずにいられるのか?
否、それは難しいってことなのでしょうか。
それとも今までが狂っていてて
本来対面するできごとに押し寄せられていて
現実を見ているってことなのでしょうか。
どちらでもいいや。
とにかくブログの引っ越し先をどうにかしないと
相方である、あもさんと鍵を共有できるところじゃないとねぇ。
昨日までは一人で右往左往してたけれど、
今朝「どうする?」ってコメントをもらって
ハッと我に返ったsachikaiです。
どうにかして日記を引っ越せるように頑張ります。
しかしまぁ時代の流れ的に
だんだんと文字文化が薄くなっていっているので
ブログも含めてなくならないように
テキスト好きは立ち上がらないとなのでは?
ってなったりもします。
全てのものは国語力が必要ってなもんで、
文字なんてなくても言葉でも身体でも
コミュニケーションって出来るけれど
やはり文字の持つ豊かさ、奥深さ、繊細さ
そういったものってのは
代わりが効かないもんなんじゃないかなと。
インスタントメッセージが全盛となってから
囁かれ続けていたけれど、
そもそもメッセージすら読まず
絵や動画のみで満足する人も多くなってきてるそうで
2023年には一ヶ月に本を読まない人が6割を超え
行間を読むことや想像する力が失われつつあるのでは?
と思ったりするんです。
気になった首都圏ニュースの中に
【読書=他人の声を聞くこと】こうした読書離れによって今は自分好みでないものを除去していく社会になっていると感じる。自分に関係がない、想像ができないものをどうやって受け入れたらいいのか考えられず、自分以外のものへの想像力がすごく減っていると危惧している。読書は他人の声を聞くことだと思う。カフェに行ってその時に興味がある本を1時間だけ読む、と決めたり、本の気になる一行だけをまずは読んでみるなど、もっと自由に本を読んでほしい。
という結びがあり、それは本当に
そうなんじゃないかなって思ったりしてました。
本の中にある他人の目線を借りる行為は
想像力を膨らまし、他人の心に共感する力を
呼び起こすものだと思っているので
本だけでなく、誰かの書いた長い文章を読む
そういった文化をなくさないで欲しいと思います。
日本人ほど日記が好きな民族はなかなかいないし、
それは識字率の高さなどからくることだし、
その文字から想像する力が擬人化する力だったり、
和を尊ぶ心にもなっているんじゃないかしら。
そんなことを思っているので
引越し先は早く決めないとね。
それではまた。モイモイ。
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