宮本常一の『忘れられた日本人』の
解説を聞きながらホロホロしていたsachiakiです。
自分のこと日本人って言ってる人、
きっとこうした外れた人たちのことなんて
絶対に知らないだろうし、
今も排除の対象としている人もいるよね。
「お前はどこのアメリカ人だ?」
なんて言葉が映画で使われる前から
「お前は本当に日本人か?」ってのを
言い続けてきてるよね……。
そして最近はその声がさらに高まってしまってる。
理由は明白で言っても良いっていう空気ができちゃったから。
島崎藤村の「破戒」を読めば、
どれだけの人たちの努力で差別をなくしてきたのか
吐血しそうな気持ちで考え込んでしまう。
漂白民や、離島で暮らし続けた人。
学もなく、未来もなく、
それでも共同体としてなんとか生きてきた人。
そういった人たちがいるおかげで上座にいるような人たちは、
そんなことも気にせずふんぞりかえってたし、
今も残念ながら似た構造は続いているし、
上流と呼ばれる人たちは
固(人)ではなく家(族)で財を守ろうとするから
盤石で切り崩せやしない。
そう思うと、財産は子供に残さないと
富の再分配を表明している
ビル・ゲイツの凄さとかには唸ってしまう。
まぁこの辺は歴史をどう見るかで考え方は色々あると思う。
これからますます格差は強まると言われている。
ていうか、どうあがいたってその流れは止められない。
私たちは侍なんていう一部の人たちの子孫なんかじゃない。
(なんかあるとすぐにサムライっていうけどさ、
違うじゃん?85%が農民じゃん?)
そういう人もいるだろうけれど、
ほとんどが農村や漁村、山村で
静かに暮らしてきた人たちの子孫だ。
相互扶助という言葉を使うまでもなく、
助け合っていかなくちゃ生きてけない。
人間は一人で生きてるのではないのだから。
人との間と書いて「人間」。
上野千鶴子がいうように「みんなで貧しくなろう」
なんていうのはもっての他だけど、
それぞれの生き方を考える時に誰かを排除するとか、
そんなことはあまりに馬鹿げているってことを
思い出して欲しい。
私は日本人である前に、人間でありたい。
悔しさで歯軋りしながら
こんな日記を書きました。モイモイ
【庶民の民俗学】宮本常一著『忘れられた日本人』日本人がわすれたもの、
見落としてきたもの・・・
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