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あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

今日は楽しいひな祭り……なんだけどね

2022-03-03 | from:sachiaki
私が子無しなのもあるけれど、
ひな祭りって女の子のためのお祭りだから
女の子が周りにいないと、ただの日常なんだなぁ
なんてことを考えていたsachiakiです。

男の子の日こと「こどもの日」はお休みだから
なんとなくヤッター!お休みだー!って思うんだけどw

そんなですけれど、昨日「ひな祭りだから」と
雛人形を模したパッケージに入った
小さなチョコを頂いていたので
すでに既婚だけど美味しく頂戴いたしました。
そういえば姪っ子がめちゃくちゃ可愛いのに
すっかり忘れていたので、
姪っ子に女の子ならではお菓子や文房具を
贈っておくっておくぐらいはできたのだよなぁ。
親戚づきあいを疎かにしていると
こういう時の風習などを忘れてしまうのでイカンですね。
古いしきたりや習慣を嫌がる人もいるし、
なんなら私もどちらかといえばそちら側ですが
風習ってその国らしさみたいなものがあるので
むやみやたらと嫌がるものでもないな、
なんて最近は思い始めているところです。
着物を一人で着られないけれど(ノ∀`)アチャー

自分がどう思っていようと
外側から見る人はなんだかんだでラベリングしてくるし
そのラベリングの中でも「国」という最大単位が
大きく響くこともある。
まさにいま起こっている危機のことを考えると
それぞれ個人では違った目線や価値観を持っているのに
大きな危機の前では「国」という単位でものを見られてしまっている。

「〜人だから」

ひどく馬鹿馬鹿しいと思うけれど、
それでも「〜人だから」というものは付いて回ってしまう。
だからこそ、自分たちの風習や価値観などを
きちんと受け入れて、外の人に説明できるようにしなくては
って思うようになってきたのです。
俳句が5-7-5の音節で季語を使った短い詩であるってだけじゃなくて
なぜ5-7-5なのか、なぜ季語があるのか、
私たちの感じる自然とその背後にある神様のことや感情の起伏など。
それらが説明できるようになる頃には
理解を深めるための対比なども見られるようになって
より深く他国のことも理解できるようになるだろうし、
ひいてはそういった意識が誰かの尊厳を守ることになったり
大切なことを吸収できていたりするんじゃないでしょうか。

そんなことを伝統的な日に寄せて考えてみました。

あと柴田史郎さんのnoteがすごく面白くて
ちゃんと言葉にできる人っていうのはすごいなと
参考にできる能力がないからあれだけど
こういった整頓された文章が書けたら良いのになぁ
なんてことを思っていました。
「自分の言葉で話す人」はなぜ面白いのか
どんなものであれ、「自分の言葉で話す人」の面白さが
なんとなく理解できた気がする。気がするだけ……。

同じものを見ていても、感じるものや見方が違うからこそ面白いってのがあって
例えば「赤色」というものを見ていても「同じ赤色」を見ているのか?
という問いはずいぶんと昔に茂木健一郎さんがされて
それをクオリアって呼んでいたりもしたけれど、
このかなり同一に近い「赤」を指す時でも
その「赤」の成分を言葉にする方法が違っていて
それが人の個性となり面白さとなるんだろうな
なんてことを思うのです。
まぁそんなことを言っていると、人それぞれまったく別のものを見ていて
ただの勘違いの中からそれっぽいものを取り出して
それを(意見)交換しながら生きているってことになるから
互いに理解できることは(ほぼ)永遠にないなってことになるんだけど。

なんだよ、同じことを言ってるんじゃねーか
って思うことはちょいちょいあるけれど、
それでも違う言い方をしているってことは
振り落としてはいけないと感じているものが
それぞれにきっと違うものなんだろうな〜と。
そんなことを考えていました。

相変わらずだからなんだ、な日記になってしまったけれど
ここのところ気が滅入るニュースばかり見ているのせいか
胃をやられてしまいましたけれど、
適当に気を抜いていこうと思います。
あー、潤いたい……。

ってことで今日もこの辺にて。
そんじゃまた!モイモイ。
コメント
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