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あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

アウフヘーベン!

2020-11-16 | from:sachiaki
いきなりなに言うてるの?
ってなってしまいますよね。すみません。
最近のなんでも燃やして行って焼け野原になっていく
ネット界隈を見ていて、それ必要な火つけなの?
なんてことを思っているsachiakiです。

◇アウフヘーベンとは◇
ドイツの哲学者であるヘーゲルが弁証法の中で提唱した概念。
揚棄(ようき)ともいう。
<名・ス他>
あるものを、そのものとしては否定しながら、更に高い段階で生かすこと。
矛盾するものを更に高い段階で統一し解決すること。

なんちゅかな。
最近はこういったことを考える事が多い気がする。
一つのものごとを目にした時、
そこには正しさのみがあるわけではない。
そこには必ず悪しきものも含まれていて
(逆に言うと、悪しきものも含まないものは正しいとは言えない)
徹底的に良き方面へと向かおうとして悪しきものを排除をするということは
必ず悪い方へと加速させていく、と思っているところです。

ネットの言論(にもなっていない、お気持ち表明)を見ていると
そういったものを強く感じてしまい、
あなたの言っていることは正しさを求めてはいるけれど
まず間違いなく世の中が悪い方向へと進む
もしくは進化を阻むものになるけれど
それでいいのか?と問いただしたくなるものが増えたように感じます。

ついでに書くと、最近の傾向としてルサンチマンを含むものが多く
より持てるものへの抑圧からか、
弱気立場がくじかれているように感じた時の
貴族的立場の人たちへの圧力が高く、
おそらく断頭台へと誰かを送る祭りのようなものを期待しているような
そんな恐ろしささえも感じる今日この頃です。
貴族的な人たちのものいい、態度が気に入らない。
そこまではいいけれど、その人たちを燃やし
処刑した後に来るのは秩序なき社会なのではないか。
そんなことさえも感じて、
今はネットの中の言論が恐ろしくて仕方がありません。
(ていうか、言論にも…ry)

一つのところへと収束していこうとする圧力。
それがたとえ”善い”ことへの推進力だとしても
なぎ払ってしまうものへの目線が抜け落ちてしまうことなどは
かなり慎重になった方が良いと感じます。

何をもとにして書いているかがわからないって?
例えばフェミに関して、例えば今炎上している人権系に関して
燃やしている人が少しでも正しいことを行おうと
少しでもなにかを進めているのか?かなり疑問です。
むろん、そうではなく
きちんとした意識を持って高みを歩み
そこから批判している人は問題ないと思います。
批判は大事です。
だけど燃えているもの、悪いと思われるもの、
そういったものに自分の意思を確認もせずに薪をくべてはいないか。

「立ち止まって考える」ことをした方が良いかと思います。

さて、私が言いたいことはなんとなく察して頂けたらと思いますが
何言ってんだお前、って感じでも全然OKです。

だって人は誰かの言っている事を理解できる
なんてことはほぼほぼないのだから。

じゃぁ書くなよ、って言われるのかもしれないけれど
ほんの少しでも伝わることがあればいいなってことで。

そんじゃまた。モイモイ

追記:人間にはおそらく「真実の秤」なんてものは与えられていないと思います。
「真実の秤」は私が適当に作った言葉だけど、なにかを思い何かを感じ、
なにかを判じたい時に、真実の中間、善なる重りは持ち合わせていないし、
自分が持っている秤はせいぜい自分の経験や環境を反映させたものでしかない。
といったことです。
コメント
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