ぶうりんの希望の種まき新聞

絶望的雑感有りの希望的投稿ブログ。
世界中の子どもたちの笑顔と幸せのための新聞社。あなたにも希望の種をプレゼント!

オペラ歌手がうたう 日本の歌100年

2006年01月24日 | 過去の記事
1月21日(土)、リーデンローズ大ホールで開催された「オペラ歌手がうたう 日本の歌100年 芸術歌曲から親しみやすい日本の名曲まで」に行ってきました。

関定子さん(ソプラノ)、平本弘子さん(ソプラノ)、山口道子さん(ソプラノ)、篠原美幸さん(ソプラノ)、青山恵子さん(メゾ・ソプラノ)、天田美佐子さん(メゾ・ソプラノ)という素晴らしい女声メンバーに、小宮一浩(テノール)、田中純(バリトン)、堀野浩史(バス)という勇壮な男声が加わり、アンサンブル・ロゼ(女声合唱)という地元の声楽家メンバーによって構成されたコーラスが花を添えていました。
また、日本歌曲の第一人者といえる塚田佳男氏によるピアノ伴奏で、聴衆全てを魅了しました。曲や当時の歴史的背景を畑中良輔氏が飾らずに楽しく説明してくださり、音楽無知な私にも分りやすく、歌曲に親しむことができました。

歌は大好きで、どの歌も一緒に歌いたくなってしまう私ですが、周りの方々が心地よく聴いていらしたので少し遠慮しました。

唱歌、歌曲、童謡、愛唱歌、どれも親しみやすい曲目で、それを素晴らしいメンバーの方々が次々と歌われ、あっという間の二時間でした。本当、素晴らしかったし、楽しかった。

地元の歌好きが集まって、あんな素敵なコンサートが作れたらいいなぁ、なんて考えています。私は、やっぱ、歌って好きだなぁ。

ぶうりん

『子育てフェスタ』に行きました

2006年01月23日 | 過去の記事
(備中で子どもがいきいき応援事業2005)
子育てフェスタ~子育てはひとりじゃできない みんなで応援しようよ!
-地域を子育ての舞台に-

行ってきました~。
子育てって母親にかなりの重圧と負担がかかっていると想います。子どもを家庭だけで、母親だけで育てようと思ったら、本当にしんどいしんどい。障害を抱えた子どもさんを持つ母親は特にしんどいしんどいしんどいしんどい。子どもも親も地域の大人も障害を持った人も お互いが大切にし愛、育ち愛、支え愛、の関係をつくっていきたい と想う。

笑居 愛a (^ワ^)


・・・追加記事・・・2006年1月23日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私も参加してきました。
行政、NPO、企業、地域の方が、一緒に作り上げているイベントで、行政中心ではなく、NPOが中心となって作ったという感じでした。
子どもの遊び(科学実験)や運動ひろば、木のおもちゃ、子どもレストラン、託児など、子どものためのコーナーも充実していて、またそこには、たくさんの中高生が関わっていました。分科会や全体会の研修の場の他に外会場での飲食バザーも盛況で、地域の方が気軽に参加できる形もとられていて、すばらしいなと感じました。
講演会には、高齢の方も大勢参加されていました。地域で子どもを育てましょう!という意気込みが会場に溢れていたと思います。
子育ての、「子」は、我が子だけでなく全ての子ども達、「育」は、養育・遊育・訓育・療育そして教育、「子育て」は、子育て・子育ち・親育ち。という長い物差しが必要ですね。という「増山均さん」の講演でした。

ぶうりん

裁判員制度について

2006年01月17日 | 過去の記事
2009年5月の実施開始に向けて、さまざまな準備が進められ、いろんな機会で目や耳にすることが多くなりました。
私は、とても不安に思っていますが、みなさんはいかがでしょうか。

どんな人でも裁判に参加するようになる、ということですが、「どんな人でも」って誰ですか? 抽選って、誰がするんですか?
 もし間違って、私がその抽選に選ばれたとしたら、私は辞退します。私が人の罪の重さを判断することなどとてもできないし、したくありません。その要請に拒否せずに裁判員になろうとする人ってどんな人? 人を裁くことの怖さを知らない人かもしくは裁いてみたいと思う人。要請されたらイヤということができない人。もしくは、弁護したいと考える人。なんだかひっちゃかめっちゃか…

今、社会の中で人の権利を侵害する行為は、たくさん起きています。
人を言葉で傷つける、権力で傷つける、数の力で傷つける、暴力、いやがらせ、セクハラ、経済至上主義…。
日頃そのような行為をしたりされたりしている、もしくはその状態にあることすら気付かずにいる。そんな中で、人を裁くことになった時、人権のことが本当に考えられるのでしょうか。

日本は、民主主義国、と言っても、まだまだ物事が民主的に進められていない。本当の民主主義に出会えていない人がほとんどではないでしょうか。
それまで人権についてとくに考えてなかった人が、その言動についてなんの責任も負わずに「人を裁く」ということにとても恐怖を感じます。

いつか、そういう制度にしていこうということに反対はしません。でも、あまりにも早すぎる。
みなが対等に自分の気持ちを伝え合え、小さな意見を尊重でき、社会のあちこちで起こる事象が民主的に解決できるようになったときに、その「裁判員制度」を実現していきたい。まずは、そういう社会を創っていくことが大切なのではないでしょうか。
 

とんど、燃えました!

2006年01月16日 | 過去の記事
何度も書き込んできた「とんど」ですが、今日晴れて、無事終了しました。
点火した瞬間に炎が燃え上がり、皆の拍手喝采でした。
作り上げるのに大変な時間と労力がかかったけれど、燃えてしまうのはあっという間。
役員の仕事は大変ですが、地域のおばあちゃんたちが、「今年も元気で見れて良かった」とか「楽しみにしてた、たのしかったぁ」などとつぶやかれると、『やってよかったな』と単純に思ってしまうのです。
ほんと、しんどかったけど…。
ま、無事済んでよかった。お汁粉も竹酒も甘酒も、おいしかった!

命について

2006年01月15日 | 過去の記事
広島テレビが「命スペシャル」として、芸能人や学生さんや一般の方で、丸くなって語り合っている番組を途中から観ました。

「自殺したい」「親を殺したい」「人を殺すのは本能だ」
と考えている方も出演されていました。

「自殺しようと思ったけど、親の顔が浮かんできて自殺を考えるのをやめた」
「親を殺そうと思ったけど、自分の将来がもったいないからやめた」
という方もいました。

この違いは何なのでしょう。

私が思うのは、
 誰か一人でいいから、「あなたのことが大切」と思ってくれる人がいると、
本人が感じることができるかどうか。
「このままの自分が大切」と思えるかどうか。

っていうことなんじゃないかなと思う。
誰もが、無条件で愛されれば、そのままの自分を大切に思える。
自分を大切に思う人は、他の人のことも大切に思える。

そしたら、傷つけあったり、殺しあったりすることがきっとなくなる。
私はそう信じています。

わかってもらえますか?

天国はつくるもの

2006年01月13日 | 過去の記事
先日、友人から誕生日プレゼントが届きました。
「天国はつくるもの~天使と戦士に贈る詩~」軌保博光改めてんつくマン(サンクチュアリ出版)という本でした。
きれいな写真と毛筆画と詩で構成されたメッセージ集です。帯に「僕らは楽しむために生まれてきた」と書かれているとおり、読み終わって、「楽しんで生きちゃってる自分をほめたくなる」そんな感じの本です。苦しく生きている人は、読んだら肩の力が抜けて楽になるかも…。
http://www.tentsuku.com/

中でも好きなのを紹介します。

「うまれてくれてありがとう」

 生まれてくれて、ありがとう。
 あなたが生きていることに
 大きな大きな、意味がある。
 あなたが生きているだけで
 誰かが支えられている。
 あなたの存在に、ありがとう。
       てんつくマン


世界中のみんなが、生まれてきた自分、生きている自分を
尊いと感じることができたらいいですね。
でもそれは、大切にされていないと、感じることができないと思う。


時に聞く言葉、
「子どものことを愛していない親なんていないよ…」

 子どもがくじけて泣いてたり、グチャグチャになっているときに
なぐさめや言い訳みたいに使われる言葉。
 でも、本当にそうなの?
 
 生きているそのままの子どもを愛してる?
 親や社会は、条件付で子どもを愛していることが多い。
 子どもは、条件つけずに愛して欲しいと願っているけど、
 条件に合わせて、愛されるように一生懸命がんばっている。
 条件からはみ出してしまうと、愛されなくなることを感じている。

 生きているそのまんまを愛してもらうことができれば、
 ただ自分が楽しいと思えることをするだけでいい。
 自分が選んだ楽しいこと、そのためにやってくる「つらいこと」なら、
 乗り越えることができる。

とんどの櫓完成!

2006年01月08日 | 過去の記事
秋から準備して、2日間かかって作り上げたとんどの櫓(やぐら)が遂に完成!
一週間待ってもらって、15日の午後に点火します。

みなが家々に飾っていたしめ縄などを持ち寄り、書初めなどと一緒に焼きます。
集まってきたみんなにお汁粉をくばり、大きな竹筒に入れて燗をしたお酒を頂きながらするめいかや竹輪・お餅などをとんどの火であぶって食べます。
この竹酒がおいしいんです。今から楽しみ。

そもそも、このとんどは、わが町内会に古くからあった行事ではありません。そのため、作り上げるイメージや手順など、固定したものが無く、みんなが手探り状態でした。3年目ともなると、うちの町内会でのやり方がなんとかできてきたようで、みなの作業も多少スムーズになってきましたが…。船頭さんが大勢いて、私たち若手は、誰の指示に従えばいいのか分りにくいのが難点です。こちらに合わせばそちらに叱られ、みたいな…。ま、適当に冗談でかわせば、笑って過ぎてしまうのですけど。ずっしりと疲れます。

私は、「…するな!」とか「…しろ!」「何、バカなことしとんなら!」と、どなられるととてもイヤな気持ちになります。自分が言われていなくても同じ。みんながいやな気持ちになっているのを感じてしまうし、なんでそこでかばってあげられなかったのか、自分が恥ずかしくもなります。

みんながもっと対等になれたらいいなぁ。
お年寄りも若者も、大人も子どもも、男も女も、貧乏人も金持ちも、経験者も未経験者も…。お互いに、そこに集ってきたことに敬意を払って、大切にし合えたらいい。そしたら、今日の疲れは半分以下で済んだと思うなぁ。

いろいろありながらも、なんとか完成したので、安堵。





とんどまつりの準備

2006年01月08日 | 過去の記事
今日は、来週行われる「とんどまつり」の準備の一日でした。片田舎の町内会の行事で、3年前から始まりました。最近は、わらを干して脱穀する農家が少なくなってしまったので、とんどのためにわらを頂戴するのも大変です。それでも皆さん、快く手間隙かけて取っておいてくれます。お陰で、今年は高さ15メートルのとんどが出来上がりそうです。年々大きくなっていって、今後、おっちゃん達の夢はどこまで高くなっていくのか…。
明日もう一日かけて、完成する予定です。
作業しながら楽しく語り合っている大人やその周りで凧揚げしてはしゃぎまわっている子ども達。こんな風景がいつまでも続きますように。

正月はおもしろい番組が目白押し

2006年01月04日 | 過去の記事
 NHKで9時から放送された、新撰組の土方歳三の最後の日のドラマ(タイトルを忘れました)録画して2度見ました。裏番組では「里美八犬伝」や「古畑任三郎」も放送していたし、どれを見ようか迷いますよね。他局と重ならないように放送していただくことはできないものかしら。

 私は、戦国の世を美化して表現することや自ら死を選ぶことを美しいとする考え方には抵抗があります。それでも、今回のドラマは見応えがありました。
 土方と仲間でありながら敵対する二人の戦国武将が、お互いの気持ちを語り合っていくことで分りあい、お互いを支えあう関係になっていくさまを見事に表現していたと思います。
 大河ドラマの「新撰組」でも、近藤勇は常に話し合いによる解決を求めていたことを表現していました。まっすぐに正直に素直に自分の気持ちを語る近藤に他者は惹かれ、観ている私たちもその人間味に魅了されました。その時には、仲間を力によって統率していた土方歳三の汚名を返上させることが今回のドラマの目的の一つだったかもしれませんね。

 でも土方さん、敵の薩長は「ぬえ(顔が猿、体が狸、尾が蛇、手足が虎という空想の生き物)」ではなく、やはり人間だったのですね。

 敵でも味方でも、同じ血の通った人間です。
 誰にも人を殺す権利は無いし、
 殺されて当然の人は一人もいない。
 どんな正当な理由があろうとも、
 人を傷つけたり殺したりすることを
 当たり前の世の中にはしたくない。


 明日は、古畑任三郎にイチロー選手が出演します。すごい楽しみです!

誕生日

2006年01月03日 | 過去の記事
 お誕生日おめでとう!! 今日は私の誕生日です!
 私には、年の初めが二度やってきます。それは、元日と今日の誕生日です。
 「さぁ、どんな一年にしようか」とワクワクするときでもあります。

 去年も、楽しいこと・すごいこと、いっぱい実現できたので、今年はちょっぴりゆっくり目に行きたいなぁ。ついつい突っ走っちゃう私。でも、性分なので無理でしょう。自分を変えることはなかなかできないので、私には仲間が必要なんです。ゆっくり物事に取り組む人。私とは違った角度から物事を考えられる人。私の意見に「待った」をかけてくれる人。などなど。たくさんの人と生きていかないと私自身が前に進めなくなります。

 誕生日に「おめでとう」って言うのは、その人とその時生きている幸せを伝えたいからだと思うんです。
 *生きているのがつらいとき
 *あの人がいなければ私は幸せなのに、と思うとき
 *大切な人との別れがいつやって来るのか不安でしかたないとき
 誕生日が、幸せいっぱいの時にやってくるとは限らない。だからこそ、毎日伝えたいメッセージ。
  誕生日と誕生日じゃない日おめでとう!
  生きているそのままのあなたがいてくれるだけでうれしい。「ありがとう」

年賀状

2006年01月02日 | 過去の記事
 年賀状がポストに落とされるのって、正月の楽しみの一つですよね。
 元日に届くように早めに投函する人って、本当尊敬します。私はほぼ毎年、紅白歌合戦を見ながらとか、年賀状が届いてから書いたりしています。反省…
 今年は、初めて写真入の年賀状を作りました。パソコンがちょっぴり使えるようになったので張り切って。しかし、家族の許可をもらっていなかったので、大変でした。
 つれあいと息子二人は、すんなりOKくれたのですが、年頃の娘がなかなか許してくれませんでした。『印刷する前に聞いてくれないなんてひどい!肖像権の侵害だ!』と。了承を得ていなかった私が悪いので、平に平に謝罪しましたが、「子どもの権利を!」と活動しているにも拘らず、我が子の人権を無視していたとは、恥ずかしいです。いつも子どもから教えられてる私です。それでも、なんとか許可を頂き、既に印刷してしまっていた年賀状を廃棄せずに済みました。

年のはじめに

2006年01月01日 | 過去の記事
 あけましておめでとうございます。
 昨年の暮れも暮れ、晦日に着手し始めたブログが大晦日になんとか形になり、たった一日で年を越してしまった!どうせなら、元日に始めればよかった。なんとなく物事の始まりの日、っていう感じがするんですよねぇ、元日って。皆さんはそんな感じはしませんか?
 子どもの頃から周りの大人達に「一年の計は元旦にあり」とか「元日から○○してたら、一年中するようになる」とか言われて、洗脳されてきたのかもしれません。そんなことナイ!と頭でわかっていても、気持ちがそう感じてしまうのです。

 皆さんは初詣で・墓参りに行かれましたか? 私は行ってきました。初詣では年明けてすぐに、近所の人たちに挨拶を交わしながら地域の氏神様へ。墓へは午前中に…。
 「あけましておめでとうございます」と言葉をかけて同じ言葉が返ってくると安心しますね。『あぁ、この人たちも一年間不幸なく過ごせたんだなぁ』って。それと、年賀状とかもね。

 みなさんに幸せがいっぱいいっぱいおとずれる一年になりますように!