ぶうりんの希望の種まき新聞

絶望的雑感有りの希望的投稿ブログ。
世界中の子どもたちの笑顔と幸せのための新聞社。あなたにも希望の種をプレゼント!

9条世界会議 池田香代子さんのスピーチ

2008年05月10日 | 過去の記事
今日ここに人類の希望の一里塚を築くという、人類史上きわめて重要でよろこばしいつとめを果たすために、全国から、全世界から、みなさんようこそお集まりくださいました。

このつとめは、わたしたち市民にしか果たし得ないものです。なぜならこのつとめは、わたしたち世界中の市民が、憲法によってそれぞれの国の交戦権を封印したときに、初めて完了するものであり、ご存じのように、憲法とは、わたしたち市民の政府にたいする命令であって、そこに想定される主語はわたしたち市民だからです。

幸いにして、わたしたち日本の市民は、政府に戦争を禁止する憲法をもっています。
これは、人類が近代の歴史のなかで育んだ非戦の思想の本流に位置するものであり、このくにと市民が過去、とくに近隣諸国の市民にたいして犯したおそろしい戦争犯罪を心から慚愧し、また市民みずからが被った戦争被害の悲惨さを見据えるなかで、わたしたち市民が選び取り、日々選び取りなおし、61年、努力して維持し続けてきたものです。3日の憲法記念日に向けて、今年も全国でたくさんの市民が平和憲法を変えるか変えないかのシール投票を行いました。結果は、変えないが81%で、年々変えないという答えが増えています。

この憲法でわたしたちは、このくにの市民には平和のうちに生きる権利があると宣言し、政府にこの権利を擁護する義務を課しています。ところが、このくにの政府はともすればこれを無視したがっており、今このときも、日本政府はイラクに輸送機を送り、またインド洋アラブ海域に補給艦を出して、明らかに戦争に加担しています。このような政府のふるまいを止められないわたしたちは、世界の平和を愛する市民のみなさんに、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

けれど、コーラ・ワイスさんが触れてくださいましたように、先月17日、名古屋高等裁判所は、イラクで航空自衛隊がしていることは憲法違反であるとの判決を下しました。3268人の市民が4年かかって勝ち取ったこの判決を、わたしも原告のひとりとして法廷で聞きました。憲法によって戦争を拒否するこの喜びを、今日ここでみなさんとともに改めて味わうことができ、たいへん幸せに思います。

政府が戦争に走ることを憲法によって封じるこの喜びはしかし、世界のすべての市民のものにならなければなりません。その重要性をもっとも理解しているのは、紛争地域で困難を強いられてきた市民です。たとえば今年の4月1日、エクアドル議会は、外国軍基地を国内に置くことを禁止する憲法条項を可決しました。これもコーラ・ワイスさんとかぶりますが……ワイスさんとちゃんと打ち合わせすればよかった……ボリビアの大統領は去年日本を訪れたとき、新たな憲法には戦争放棄を盛り込みたいと表明しました。コスタリカとパナマは常備軍をもちません。こうした勇気ある決断を下す政府を選んだ市民のみなさんに、心からの敬意を表したいと思います。

世界の憲法には、さまざまな形で平和への思いがこめられています。むしろそうした憲法のほうが圧倒的多数を占めます。それをもう一歩進めて、政府から交戦権を取り上げ、真に民主主義的な憲法へと完成させること、それがわたしたち世界の市民の願いであり、つとめであるということを、ここに再確認したいと思います。

今わたしたち市民が国際的な協力によってできること、すべきことはたくさんあります。
わたしたち市民というとき、これまで思いをじゅうぶんに表明したり、行動に移すことを阻まれて、社会や歴史の片隅においやられてきた人々、つまり先住民や途上国の市民、先進国の貧困にあえぐ市民、難民、障害や病気を持つ人々、子ども、女性などがそこに大きな比重を占めていることは、わたしたちの強みです。かれらの知恵がいまこそ生かされることが、これまでの発想を変え、世界に新しい、さわやかな風を吹き込むことになるからです。

わたしたち市民がすべきこと、これはほんのたとえですが、すでに地球の大部分をおおっている非核地帯をさらに広めて、核兵器にしがみつく少数の国々を包囲し、核兵器が意味をなさなくなるようにすることです。そのほかの各種武器の禁止などもそうです。

世界には問題が山積みですが、問題の解決に、手段はふたつしかありません。戦争をはじめとする暴力か、話し合いかのふたつです。話し合い、つまり民主主義は、戦争を否定して初めて本物になるのだということを、わたしたちはいま一度銘記しなければなりません。世界は貧困と気候変動に待ったなしの対応を迫っています。もう戦争をしているばあいではありません。

ジョン・レノンは「イマジン」に歌いました。
「さあ、想像して 国家はないと 難しくはないはず 殺しあう理由がなく すべての人が平和のうちに生きてあるさまを」。
ここで否定されている国家とは、それがなければわたしたち市民が殺し合う理由もなくなる、というのですから、交戦権を持った近代国民国家に限定されていることは明らかです。「イマジン」は、すべての国家が交戦権を放棄した世界を歌っているのです。だとしたらここには、日本国憲法が提案する平和の流儀が歌い込まれているのではないでしょうか。世界の平和を愛する市民のみなさんは、この歌を歌うことで、とっくに日本国憲法9条をわがものにしてきたのです。

さあみなさん、後世の人々に2008年5月4日という日付を、日本の幕張という地名を、喜びとともに思い出していただくために、それぞれの持ち場につき、仕事にとりかかりましょう。お金のグローバリゼーションではない、市民が縦横につながりあうオルタグローバリゼーションの大波で世界をおおいつくしましょう。ありがとうございました。



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世界は、9条をえらび始めた。    
                     
     9条世界会議        
 
  2008.5.4~6日     
     幕張メッセ
    仙台、大阪、広島       
 
http://whynot9.jp       
                        

   9条ピースウォーク      
 
  2/24広島スタート!     
http://homepage3.nifty.com/peace_walk/
                                      
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9条世界会議 大阪会場から ベアテ・シロタ・ゴードンさんのスピーチ

2008年05月09日 | 過去の記事
 ベアテ・シロタ・ゴードンさんのスピーチ
(2008.5.6 舞洲アリーナ)

今日は、ここに平和のために活躍している多くの人たちが集まっている事は本当に素晴らしいことです。(拍手)
私は「第9条」の専門家ではないです。
私は「男女平等」のことを憲法の草案に書きました。(拍手)
私はシロタといいますが、本当はシロウトです。(会場、笑い)
しかし私は、お母さんでもあるしおばあさんでもあるので、わたしはむしろ第9条に興味をすごく持っています。

マッカーサー元帥は、本当には日本の政府がちゃんと民主的な憲法を書けばそれが一番いいと思いました。
そしてマッカーサーは松本烝治に頼んで、松本さんはどうしても民主主義的憲法を書く事ができませんでした。
二三回やって見たんですけれども、いつでも明治憲法と同じものが出て来たのです。(会場、笑い)
だから、マッカーサーは憲法を創ることを自分のスタッフに命令したのです。

私はちょうどそのときに1945年の12月、日本にいました。
なぜならば、戦争中ずっとアメリカの大学で勉強していたので、お父さんとお母さんは日本にいましたので、私は親に会いたかったのです。
占領されていた日本にはアメリカ人は行かれなかったのです。
アメリカ軍属の仕事を探してそれを見つけて日本へ飛んで行きました。
日本についてすぐ親を捜しに行きました。大変だったです。
ジープに乗って、破壊された東京の中で、乃木神社のそばの赤坂区檜町十番地にあった私の家を探しに行きました。
残っていたのは一つの石の柱だけでした。隣の家も焼けていましたので、本当にがっかりしました。
パパとママが、戦争中ずっと軽井沢に住んでいたので、私は軽井沢に行って燃料の不足、食料の不足、よく解りました。
軽井沢に冬に行った事がなかったので、十二月の寒さは恐ろしかったです。皆様の戦争中の状態がよく解りました。

私は仕事のために東京へすぐ帰らなければならなかったのでマッカーサー元帥の司令部、第一生命ビルへ行きました。
そこには民政局という事務所がありました。
その民政局は日本の政府と一緒にいろんな占領規則を創りました。
私は、そこに入って最初の仕事は女性政治運動、そして小さい政党の運動のリサーチだったのです。
その時には小さい政党がずいぶんあったのです。
だから朝から晩まで忙しかったです。そして一ヶ月そこで務めたあと1946年の2月4日の朝、十時に民政局部長ホイットニー大将が私と他のスタッフメンバーを呼んで次の事を発表しました。
「あなたたちは、今日から憲法創案・制定会議のメンバーになりました。
これは極秘です。あなたたちはマッカーサー元帥の命令で新しい日本の憲法の草案を創るのが任務です。」
これを聞いたのは20人くらいだったです。もちろんみんなでずいぶんびっくりしました。
発表が終わったあと、???代表者ケーディス大佐が憲法創案の仕事を振り分けました。
人権に関する創案は三人に与えられました。
男性2人女性1人、その女性が私だったのです。その時には私は22才だったのです。(会場、ほぉ~っ)

その後3人で相談して、人権の草案については誰がどういうを権利を書けばいいかとか、二人の男性が「ベアテさん、あなたは女性ですから、女性の権利を書いたらどうでしょうか。」
私はすごく喜んでもちろん賛成しました。
女性の権利の他にも、学問の自由についても書きたいと言いました。
みんなで賛成して、わたしはジープに乗っていろんな図書館へ行って、いろんな国の憲法を参考に集めました。
この仕事は極秘だったので、私は1カ所の図書館だけに行ったら、図書館司書がなぜ司令部の代表者はこんなにいろんな憲法に興味があるのかを疑うといけないから、私はいろんな図書館に行きました。
事務所へ帰って来たら、みんながこの本を参考に見たかったので、私は引っ張りだこになりました。
マッカーサー元帥の命令ではこの憲法を早く書かなければならなかったのです。
一週間、7日間で草案を創らなければならなかったのです。
それで、私は朝から晩までいろんな憲法を読んで、何が日本の国に合うか、または自分の経験で日本の女性にはどういう権利が必要であるかを、よく考えました。
私は憲法の中に女性のいろんな権利を含めたかったのです。
配偶者の選択から、妊婦が国から補助される権利まで、全部入れたかったのです。そしてそれを具体的に詳しく強く憲法に含めたかったのです。

民政局の他のメンバーはもちろん私と同じようにいろんな憲法を参考にしました。
そしてまた、日本にあった憲法研究家、社会党、共産党と他の組織もGHQにいろんな草案を送りました。だからこの新しい憲法にはいろんな国の歴史的英知が入って来ます。

日本の国民は新しい憲法を喜んで受けました。しかしその時の政府は、あんまり喜ばなかったようです。(会場、笑い)
保守的な政府だったので、デモクラシーに興味がなかったのです。
国民は日本の新しい憲法がマッカーサー元帥のスタッフによって書かれたということを知りませんでした。
しかし、1952年に占領軍がアメリカに帰った時にある日本の保守的な学者と新聞記者がそのことを知ってこの憲法が日本に押し付けられたのであるから、改正すべきだと主張しました。

マッカーサー元帥が憲法を日本の政府に押し付けたということが、言えますでしょうか。
普通、人が他の人に何かを押し付ける時に、自分のものよりいいものを押し付けませんでしょう?(会場、笑いと拍手喝采)
日本の憲法はアメリカの憲法より素晴らしい憲法ですから(拍手)押しつけという言葉を使えないと思います。(拍手)

特にこの憲法が日本の国民に押し付けられたと言うのは正しくはありません。
日本の進歩的な男性と少数の目覚めた女性たちは、もう19世紀から国民の権利を望んでいました。(拍手)
そして、女性は特別に投票権のために運動していました。
この新しい憲法は、国民の押さえつけられてきた意志を表したので国民に喜ばれました。(拍手)
ある方は「この憲法は外から来た憲法であるから改正されなければいけない」と言います。
日本は歴史的にいろんな国から、ずっと昔からよい物をいろんな国から日本に輸入しました。(拍手)
漢字、仏教、陶器、雅楽、他の国からインポートしました。
そしてそれを自分のものにしました。
だから、他の国から憲法を受けても、それがいい憲法であればそれでいいではないですか。(拍手)

憲法創案に参加したわれわれはこの仕事について永い間黙っていました。
一つの理由はこれが極秘の仕事だったからです。
もう一つの理由は次のような私の気持ちから出たものです。
憲法を改正したい人たちは、わたしの若さをたてにとって第24条の改正を進める事を恐れていました、私は。
だから黙った方がよいと思って、私は日本の新聞記者のインタビューを受けませんでした。
十年前まで親しいお友達にも何にも話しませんでした。

本当は、デモクラシーの観点から見ると、誰が書いたかと詮索するのは意味がありません。(拍手)
いい条項であればそれでいいのです。(拍手)
しかしその時代の者の考え方は封建王権的だったので私は黙っているのがいいと思いました。

私は4年前からしょっちゅう日本へ来ました。
日本はどういう風に変わったか、そして女性はどういう風に変わったかを見て来ました。
ま、今は日本の女性は私の目で見ると、昭和21年から憲法が公布された時からずいぶん進歩したと思います。(拍手)
60年は長い間ではないです。
皆様はまだまったく満足していないかも知れませんです。
けれども戦争前の女性の状態と比べると女性の地位がずいぶん上がりました。(拍手)
大阪と東京といろんな街を歩くとそれがすぐ解ります。女性の顔と動き方に自信があります。(場内、笑い)
前みたいに奥さんは夫に従っていません。(場内、拍手と笑い)
女性はいろんな職業を持っています。
会社の会長になった女性があります。新聞記者、TVアナウンサー、ドキュメンタリーフィルムを作る女性、議会の代表者、女性はそういう役割を今持っています。

もう60前から憲法を改正したい政治家が現れました。
日本の多くの女性たちは最初から憲法の改正に反対しました。
そして、今まで60年の間に改正がなかったことは世界で初めてです。(拍手)
私は、この憲法が非常にいい憲法であるから改正されなかったと思います。(拍手)
この憲法を改正しないで、他の国々に宣伝すれば、いろんな国に9条がモデルになる可能性がありますね。(拍手)
そして、平和をみんなで手をつないで作ることができると思います。(拍手)

  テープ起こし BY もぐら@9条さん

世界9条会議 広島会場に参加!

2008年05月06日 | 過去の記事
今日、広島の世界9条会議に参加してきました。
 オープニングの「コーラス9」の当日練習・リハーサルから参加させてもらうことができ、充実した一日でした。

 コーラスには、県内各地から100名以上の参加があり、歌を歌っている仲間が9条を通じても、こんなに繋がりあえることにいたく感動しました。
 中学生が作詞を手がけたという「ねがい」は、すごく詩が素敵で、それに合わせてメロディも歌いやすく希望の湧く歌で、歌っていても心が震える感じでした。
 会場からも大きな拍手が沸いて、嬉しかったです。
 「希望の9条」という歌は、「第九」のメロディと聞いていたので、大阪のピースウォークで歌った歌かと思っていましたが、詩が違っていました。この歌も素敵でしたよ。でも替え歌なので、メロディが先行してしまって、歌う側も聞く側も「言葉」に力がなかったのがちょっと残念な気がしました。

 ステージの最後に広大のアカペラサークルの男性5人が見事な歌声でハーモニーを届けてくださり、「あまり9条とかに興味なかったけれど、大事なんだということを今日感じました」とステージでMCしていました。

 歌三昧で楽しんでしまっている私で済みません。
 講演とリレートークのことはあまり感想がありません。
 理由は聞かないでください。

 会場は、1000人以上の参加があり、大成功だと司会の人が言っていました。
 広島の平和大通りでは、今日までの3日間、フラワーフェスティバルがあり、街は大変な賑わいだったのではないかと思います。カープの試合もあったし・・・。
そんな日に、世界9条会議の会場がいっぱいになるんだから、すごいことです。だって、公共の交通機関以外、道路は交通規制がある中だったのですから!



憲法9条守る?変える?全国シール投票 福山駅前で実施

2008年05月04日 | 過去の記事
福山駅前でのシール投票無事終了しました!
 暑い熱い、シール投票でした。

   投票日時  5月3日 10:00~12:00
   投票場所  JR福山駅南側自転車置き場入り口南側(つまり、福山駅前広場です)

   投票結果  守る     592票
           変える    61票
           わからない 87票    合計740票
   参加者   背高女2名を含む8人
   取材     毎日新聞・朝日新聞・山陽新聞・中国新聞 の4社

   参加者の感想など
         ・楽しかった!
         ・若い人のほうが、興味をもって貼ってくれるなぁ、と思った。
         ・呼びかけで「憲法記念日」であることを思い出して、”参加しようかなぁ”と思う人
          も少なくなかった。
         ・いろんな国の人が通ったが、言葉が通じなかった。
         ・背高女の威力ってすごいと思った。


   今回のまとめ的感想(BY ぶうりんの独断+参加者の意見)

 とにかく、暑かったです。日差しがきつくて、2時間は長かった。
 見回りに来た警官2人(婦人警官)に、「暑いので、熱中症にならないよう、気をつけてください」とご配慮をいただくほどでした。まぁ、暑かったのは福山だけではないとは思いますが・・・。
 背高女だった私は、止めるように言われるかしら?とひやひやしましたが、何事もなくホッとしました。じつは、私たちの実施している場所は、投票ボードを置いているところが歩道なので、道路使用許可証をとっていますが、そこは人通りがあまりないので、駅が所有している場所にシールを持った者が入って投票を呼びかけています。そんなもんで、遠慮しながら呼びかけているんです。
 ボードを準備している10時前から「貼らせて下さい」と次々人が来ていましたが、10時から、共産党の市議の方が、ちょっと離れたところで「憲法9条を大切に守っていきましょう」と、スピーカーを使って大音量で演説を始めたら、その場の空気が変わってしまったような気がしました。その時間帯は、シールを渡そうとしても知らん顔する人がすごく多かったと感じています。
 こちらは、なるべく公平な立場になるように、「憲法9条を変えるほうがいいのか、守るほうがいいのか・・・・」と、わざと「変える」を先に言って、変えたいと思っている人の反発を防ぐように心がけました。
 それでも結果を見ると、圧倒的に「守る」が多いのですが、シールを張ってくれた層としては、若い方々が断然多かったです。年配の男性は怖い顔をして通り過ぎる人が多い。そういうことも、結果に現れているように感じます。
 
 今回は憲法9条についてのシール投票だったので、投票内容の意味について説明する必要がほとんど無かったです。若い人には、「憲法9条って知っていますか?」と問えば、ほとんどの方が「知っている」ようでしたし、「知らない」という人には「戦争の放棄を謳った日本国憲法の条文です」といえば「あぁ!」とわかってくれます。そういう点で楽でした。
 でも逆に、「疲れるなぁ」と感じるのは、年配の男性とかが、「変えにゃぁいけんじゃろうが、お前らバカか!?」と吐き捨てる方が少なくないことです。DVを地でいってるみたいな人に話しかけるのが、私はしんどいです。
 それでも、家族連れの方が子どもに話しかけながらシールを貼ってくれたり、若いカップルが二人並んで違うところに自分の意見を貼っていたりする、そんな状況には心も和みます。
 今回初めて参加してくれた友達も「楽しかった」と言ってくれて良かった。もちろん一緒に活動できたこともうれしかったです。シール投票は、シールを貼るのも・活動に参加するのも、誰もが気軽に行動できる素敵なアクションです。
 来年は、もっと実施場所が増えていくといいな、と思います。私も、どなべねっとの活動だけではなくて、もっと近所で小さな活動を、いろんな仲間と実施できるようにしていこうと、今日友達が参加してくれたことで思うようになりました。
 皆さんの地域でも、シール投票を実施してみませんか?