ぶうりんの希望の種まき新聞

絶望的雑感有りの希望的投稿ブログ。
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D-Life 「クローザー」を観て・・・国籍と差別

2012年09月23日 | 希望的雑感・つぶやき
毎週土曜日夜放送している、BSチャンネル D-Life「クローザー」を楽しみに観ています。
昨日の放送は、シリーズ1の最終回。

アメリカには、何だか恐ろしいCIAという機関があって、そこが秘密裏に失職中の警部(?)に復職を条件に操作を依頼してきたというわけ。
※CIA・・・Central Intelligence Agencyの略。一般にはアメリカ中央情報局(中央情報庁)と訳される。ホワイトハウス直属の情報機関。(ウィキペディアから転載)
ある程度の任務が完了した時点で復職が決まって、バラバラにされていたチームのメンバーも全員戻ってくる。
そのチームで捜査を進め、いよいよ身柄確保・・・というときに、失職させられていたリーダーが、捜査官全員に付けられているイヤホンに向かってCIAの陰謀を暴いたのよ。
それは番組制作者の意図としては、私たち視聴者に伝えようとしていたことだと思う。当然だけど。
”あー、録画しておけば良かった”と思うほど、アメリカを中心とする世界の矛盾が的確に表現されていたと思う。もう一度聞きたい。

アメリカのドラマでER(救急救命室)をしていた時もそうだったんだけど、アメリカ社会の暗黒部分を指摘するような番組内容を放送すると、大抵そのシリーズは終るんだよね。たぶん制作側は、捨て身の覚悟なんだと思う。考えすぎかもしれないけど。
前には、アメリカ軍のバカさについて医師の声を通じて指摘した時、『え?ここで?』というぐらい不自然なタイミングでシリーズ終了。あれはもう「放送禁止」状態。これも私の勘繰りですけど。

ま、そのことは良いとして、昨日の放送で、もう一つ、制作者に感謝したい「情報提供」

事件の張本人は、ヨルダン人のドクターだったんだけど、この人は殺人には加わっていなくて、CIAの秘密を洩らしていた人で、殺された少年の父親だった。母親もヨルダン人なんだけど、実はそのことを隠していて、殺された少年もヨルダン人であることが知られないように、少年の「外国に行ってピアノの勉強がしたい」という夢を砕いてきたというわけ。国籍がばれるから。
それで、捜査官のオフィスでの会話なんだけど、「少年はドイツで生まれていた」という事実に対して、誰かが「じゃ、国籍はドイツ」とつぶやく。そこで主役の彼女が「ドイツでは、ドイツで生まれたからと言って、ドイツ国籍が取得できるという訳じゃない」と言うのね。そしたら捜査官が「ほんとに?!」と驚くわけ。

たったこれだけのことなんだけど、私は「よくぞ言ってくれた!」と拍手!
日本にこの番組が出て行くことを意識して作ったかどうかはわからないけど、「ほんとに?!」の一言を使って、世の中の不条理をとこうとする「粋」に感動する。

日本だって、「日本で生まれたからと言って日本国籍を取得できるわけじゃない」国でしょ。
未だに「在日韓国人」という呼び方で、日本国籍でもない韓国国籍でもない(国籍のない)人たちを作り出している。
「日本国籍なんてほしくない」という人もいると思うから、「日本国籍を取得する権利」を無条件で保障するべきだと思う。今は権利はあるといっても条件付だ。
「○○すれば権利を与える」のは、基本的人権以外の「免許証」とか「資格」ぐらいのことに留めておいてほしいもんです。
国家が、全ての人の基本的人権を認めていかない限り、生まれ続ける差別はなくならない。もちろん人々の意識改革から、国家を変えていくこともできるかもしれない。
でも、社会というものは、人々の意識と組織の体制という両輪で動いているものなのだ。アメリカだって差別のない国ではないからね。

私だって、いつでもそのことを意識して生きているかというとそうではない。昨日の番組を見ていて、ハタと気づいたのだ。

ちょっとでも、人々の意識に波紋を投げかけたであろう昨日の「クローザー」制作者、放送会社に感謝します。


映画「かぞくのくに」を観て感じたこと・・・ぶっとび編(他にないけど)

2012年09月10日 | 「脱」日常のちょっこし映画話
9月8日から、福山のシネフク・シネマモードで上映が始まった「かぞくのくに」を観てきました。

北朝鮮と日本でおこっていることを「かぞく」という小さな単位で表現している映画だと思いました。

井浦新が演じる「ソンホ」は、1959年から約20年間に渡って続いた帰国事業の時に、16歳だった少年。
25年間日本へ帰ることができなかったのだから、計算すると41歳という設定。
1997年のドラマ設定なので、今いくつぐらいの人かと言うと、56歳かな。

当時16歳の青年が、親元を離れて「地上の楽園」と呼ばれていた北朝鮮に渡ったのです。
どれだけ日本の中で在日コリアンが民族差別や貧困に苦しめられていたかを想像します。
そして、青年たちは、親の名誉のために渡っていきました。

戦争のために、兵役で青年が親元を離れていく時と似ているのかなと思います。
子どもは、親孝行のために兵隊に行ったのです。
祖国日本を守るために行ったのです。
駅のホームで日の丸の旗を振る家族と、新潟の港で手を振る家族(想像ですが)が、重なって見えました。

ソンホが妹リエに「考えてはだめなんだ…」「質問なんて許されないんだ…」と言うシーン。ユン同士が「質問があるのかね?」「いえ、ありません」と言うシーン。
このシーンを見たとき、ドキュメンタリー映画『アメリカばんざい』のワンシーンを思い出しました。
高校を卒業したばかりの少年・少女たちが、米軍に入隊した日、夜中に整列させられて、なにを命令されても「イエス、サー」で答えなければならない。「質問をするな!」と怒鳴られる。
なにも考えない人を育て上げるのだ。
つまり、指示に従うだけの人。
それは非常に恐ろしいことだけれど、私は日本の学校の中でも起こっていることだと思う。もしかすると家庭の中でも起こっていることかもしれない。
「口答えするな」
「屁理屈を言うな」
「返事をしろ」「挨拶をしろ」
「わがままを言うな」
「みんなのために…」
どれも正しいことかのように聞こえるけれど、私は「軍隊か!」と突っ込みたくなる。
その理由が、「指示に従っていればいいんだ」「考えないって楽だぞ」というソンホの言葉。

もちろんソンホはそんな生き方をしたいとは思っていない。
だからこそ、息ができないほど苦しいんだ。

私は、子どもたちには、もっともっと、親に逆らって・先生に逆らって・大人に逆らって、言いたいことを言って、わがままに生きてほしい。
いい子ばかりになったら、日本は滅びると思う。

だから私は、親の敷こうとしたレールをことごとくはねのけ、親の考えにはことごとく逆らって生きてきた自分をこれでよかったと思っている。
親に認めてもらえなくとも自分で選んだ道を歩んできた自分をよくやったと思っている。
そんな自分を育ててくれた親にも感謝している。
「ちゃんと逆らえる私に育ててくれて」ありがとう。
でも、「あなたの思い通りにならなくて、すみません」

私は今、幸せです。
親が願ってきたのは、「私の幸せ」だと思うから、結局私は親孝行なんです。

なぁんて、思考がかなりぶっ飛んでいるので、「ぶっとび編」です。