ぶうりんの希望の種まき新聞

絶望的雑感有りの希望的投稿ブログ。
世界中の子どもたちの笑顔と幸せのための新聞社。あなたにも希望の種をプレゼント!

奥地圭子さんの相談会に参加して

2008年04月27日 | 過去の記事
私は、3人の子どものうち二人がこちらのフリースペース旅遊で毎日楽しく過ごしていて、もう一人は家で過ごすことを選んでいますが、不登校のことではもう迷うことも無いので、相談会に参加させてもらってもいいものだろうかと申し込みを躊躇していました。しかし、参加された皆さんの話を聞きながらこれまでの自分の気持ちを振り返ることができました。
当時は、子どものことで何か言われるのではないかとドキドキしていて、学校に出向いて行ったり、先生と話をしたり、不登校を否定している人と話しをするのがいやでした。今となっては、人に何を言われてもあまり動じることも無く、冷静に考えられ、将来の不安を感じることもありません。
このように気持ちが変化してきたのは、たぶん、いろんな思いを聞いてくれる仲間がいてくれたこと、不登校を経験してきた若者が残してきた軌跡を知る機会があったからだと思います。そこで心に少しの余裕を持つことができたことによって、子どもの人生はその子自身が一番考えていると気付くことができたし、人としての価値は、どれだけ親の理想に近いかどうかではなく、今生きているそのままがすばらしい、ということに改めて気付くことができたからだと思います。
奥地さんは、「子どもにとってどうなのか」という言葉を伝えようとしていたのではないかと私は感じました。そのことは不登校に限らず、子育てや子どもに関わる全ての人にとって忘れてはいけない大切なキーワードだと感じました。

 フリースペース旅遊会員 ぶうりん


「不登校・当事者から学ぼう! ~当事者学のすすめ~」に参加して

2008年04月23日 | 過去の記事
 不登校体験者であり、「東京シューレ通信」の発行などに参加し、さまざまな活動をする経験から、「学校に行かない生き方」があることを実感してきた、『須永祐慈さん』を講師にお招きし、「当事者」の声に学ぶことの大切さについてお話していただきました。

2004年9月5日(日) 13:30~16:30
   福山市男女共同参画センター「イコールふくやま」

  主催:女性と子どもの支えあいの場「PROP]

 人は誰しも何かの当事者だという。女性という当事者だったり、交通事故の被害者という当事者だったり、あるいは加害者という当事者だったり。なるほどいろいろな角度から見れば、人はいろいろな意味での社会的弱者の立場の当事者になっているのかもしれません。その意味で言えば、私自身は、不登校の子どもの母親という当事者であり、子どもは、不登校の一番の当事者ということになります。
 とか言う私は、三人の子の親ですが、現在三人とも学校へ行っていません。初めに不登校を始めたのは、現在中三の長女でした。中一の終了間近という頃に、「お腹が痛い」と言って三日ほど学校を休み、その後は「学校へ行きたくないから行かない」と断言してから、ほとんど学校へ行っていません。
それは、本当に突然でした。クラブの新しい道具を買い、美容院へ行って髪を散髪し、お店の人に「かわいいね」と言われ、ニコニコしていた週末の休み明けのことでした。保育所のときも、小学校のときも、「行くのが当たり前」「言われたことはやるのが当たり前」と、毎日まじめに過ごしていた娘が、突然『学校行かない宣言』をし、毎日十時過ぎても起きてこない。友達が迎えに来ても顔を出さず「行かんって言っといて」と伝言を頼まれ、私は子どもの前でオロオロするばかりでした。学校や同居している祖父母には、「本人が行きたがらないので休ませます」と毅然として訴えるのですが、やはりどこか自身を持てず、問い詰められると、態度や返事は変わらないのですが、心の中は揺れるばかりでした。
それまでにも、今中一になる男の子と小四の男の子が、学校や保育所に、行きたくないときが続くことは、かなりありました。「行かなくったっていい」と、認めていた私でしたが、学校や保育所や祖父母から、責められることをかなり恐れていたように思います。わが子が学校や保育所に行かないことを先生や祖父母は、「育て方が悪い」「甘やかし過ぎ」「親の考え方がおかしい」「行かれないのならば連れて行くべき」などとまくしたてていました。そして、私自身、自分の子育てが本当に間違っていたのではないか、私の考え方が異常なのか、と悩み苦しんだりもしました。私にそう言ってくれる人の言葉の裏には、「本人は一歩踏み出せば行けるんだから」とか、「本当は行きたいと思っているんだから」という言葉が含まれていたからです。
でも、私はそのとき、自分の子育てや自分自身の考え方を否定することは、わが子が「間違った子育て・異常な母親の産物」と言われることを肯定することになる、と思ったし、わが子の一番近くで寄り添っていて、子どもの姿が「本当は行きたがってる」とか「学校や保育所に連れて行けば楽しく過ごせる」という状態にはとても思えませんでした。「学校に行きたくない」ということを精一杯表現しているように思えたのです。そして長い時間をかけて悩み苦しみ、私の出した結論は、「わが子はおかしくない。異常ではない。何も悪くない。イヤだと思うことを拒むことはむしろ正しい反応だ。」ということです。そして自分自身も肯定することができました。
ある日こんなことがあったのを思い出します。PTAの集まりの後に職員室に呼ばれ、先生方から質問攻めにあったことがあります。そのときに、先生は不登校の原因探しをしているようでしたが、どうもそれは母親としての不行き届きな点探し、という感じで、ついに先生の出された結論は、「お母さんがいろんなことをして忙しくしているから、親子のスキンシップや愛情の表現が不足しているからでしょう」ということになったのです。私は、あきれて帰ってきたものの、あまりにつらくて、テレビを見ていた子ども達に先生に指摘されたその言葉を「こんなん言われたんよ」と吐き出したら、三人揃って「有り得ない!」という言葉が返ってきたのです。なぜ学校に行かなくなったのか、これまで子どもに質問できずにいた私でしたが、子ども達の本音を少しでも聞き取ることができて、うれしい瞬間でした。また、不登校の原因は「私」ではないと断言してもらえたこともうれしかったのです。
須永さんが「子どもの本当の声を聴きましょう」と話してくださいました。本当の声を聴くことはとっても難しい。こちらが質問することは、単にこちら側が聞きたいことであって、子どもの話したいことではない。そんな質問に答えるには、子どもは相手の期待する言葉をさがして答えてくれるでしょう。でも、いつかこんなふうに突然に自分の本当の気持ちをぽろっと話してくれるのでしょうね。こちらが聞こうとして答えてもらうものではなく。  
社会的弱者の立場の人を苦しませる言葉は、たくさんあります。そしてそれは、「あなたのことをすごく心配してるのよ」というとても優しい言葉として、いとも簡単に使われているのではないでしょうか。「学校には行けなくても、社会に出られればいいじゃない」「今いやなことを避けて通るのは簡単だけど、社会に出たら、もっともっといやなことはいっぱいあるよ、辛抱する力をつけないと」…。
娘もいっぱいいっぱい悩んで考えてきました。今の自分をみつめて、将来をみつめて、過去も振り返って。でもそのことは、今の彼女にとってマイナスではなく、彼女の力になっていると感じるのです。須永さんも、フリースペースに通い始める前の二年半の年月が大切な時間だった、と話していました。娘もいつか自分を振り返ったときに「あの時間が必要だったんだ」と思えるようになるのだと思います。と、私が考えているよりも、すでに深く悟っているかもしれませんが…
わが子が不登校をしてくれたおかげで、私は、たくさんのことを考えてくることができました。「なぜ、学校に行っていれば安心で、行っていないと不安なのか」「将来のために今辛抱して生きることに大きな意味があるのか」…。これまで自分が生きてきた価値観を見つめなおす、私にとっても大切で必要な時間、となりました。世の中に流されず、自分の気持ちに素直になれたわが子の不登校に敬意を払いたい。
元不登校当事者という立場で、須永さんが不登校当事者の気持ちを話してくださったことで、私の目の前にあった霧がさあっと晴れたような気がしました。言葉や意識の中にあった暴力から解放された気がします。当事者が語る力強さが、きっと勇気をくれたのでしょう。私も、不登校の子の親という当事者として、誰かを勇気付けることができるかもしれませんね。とは言っても、何かあれば、また悩んだり苦しんだりしてしまう私です。そんな時は、「親の会」へ出かけていって、そっと思いを話したいので、みなさん聞いてくださいね。
            

須永さんは現在、「東京シューレ出版」を立ち上げられ、日々奔走されています。
               2008年4月23日 記す




「人が生きる力」を信じること

2008年04月22日 | 過去の記事
 「ぷらっとほぉむ第5号」2007年11月29日発行 あいさつより

 部屋の窓から見える山の広葉樹が鮮やかに色づいています。
数年前まで目立っていた松枯れは、他の樹々に覆い隠され、山はすっかり蘇っています。松くい虫防除の農薬では、自然の生態系を壊して虫の発生を防ぐことはできても、山を蘇らせることはできませんでした。それに比べ、自然・大地・山そのものが持っている力のすごさを感じずにはいられません。
援助とは、そのものが持っている力を信じ、何が最善なのかそのものとの心からの対話によって生みだす必要があるのだと思います。「樹のお医者さん」という人がいて、枯れかけた樹をみごとに再生するのですが、そのとき、樹に耳を押し当てて、樹の声を聴くのだそうです。どんな声が聴こえるのかわかりませんが、そんなふうに人と関ることができたら素敵だろうなと思います。
 11月は、児童虐待防止推進月間でした。メディアでは、母親からの相談件数が増えたことを、母親からの虐待が増えたかのように報道し、母親の子育て能力が衰えてきていると報道していますが、本当にそうなのでしょうか。こどもステーションの子育てひろばに参加しているお母さんたちを見ていてもそんなことは決して感じません。
 「子育てはこうでなければならない」「母親の役割」「夫婦のあり方はこうであるべきだ」専門家のこんな言葉にこれまでの母親がどれだけ苦しめられ、右往左往させられてきたことか。私たちの子育て支援のあり方も、樹のお医者さんがそっと樹に耳を押し当てるように、その人の力を信じ、声を聴き、そっと寄り添いながら支えあう支援でありたいと思っています。

 

9条シール投票実施@どなべねっと

2008年04月20日 | 過去の記事
福山駅前で9条シール投票実施します

一緒に活動しませんか?

呼びかけ文

 憲法9条 守る?変える? 全国投票 

 憲法が変えられようとしています。昨年5月、憲法改定のための国民投票法が成立し、改憲に向けた手続きは国会においていつでも開始できる状況にあります。
 改憲の核心は「戦争の放棄」を定めた憲法9条です。2005年に発表された自民党新憲法草案では「戦争の放棄」という言葉が完全に消し去られています。このことからも分かるように9条改定は、戦後60年間、日本が曲りなりにも堅持し続けてきた専守防衛・平和主義の原則を根底から突き崩す恐れがあります。その影響は単に私たちだけにとどまらず、子々孫々にまで末ながく及ぶことは必至です。
 いま政治の世界で先行している憲法改定の動きを国民はどう見ているのでしょうか。 私たちは、このことを市民の手で確かめるために、一昨年、昨年に引き続き、今年も「憲法9条 守る?変える?全国投票」を行うことにしました。
 投票は、(憲法9条を)守る、変える、わからないの3つの部分に区分けされた(一枚の)投票ボードを街頭に設置し、通りかかる市民に丸いシールをボードに貼ってもらうことによって自らの意思を表示してもらいます。この方法は最も気軽に投票してもらうことができ、効率的、かつ公正に市民の意思を確認できる方法です。
 全国投票の統一実施期間を2008年4月20日(日)~5月3日(土)とします。 このなかの都合のいい日を選んで実施してください。
 全国の投票結果は、総理大臣、衆参両院議長をはじめすべての国会議員に届けます。投票の詳細は下記のウエブサイトをご覧ください。
          http://qjyot.exblog.jp/
 全国投票が成功するかどうかは、全国でどれだけ多くの地域でこれに取り組んでいただけるか、そしてどれだけ多くの投票を集約できるかにかかっています。昨年は全国91市町・区で投票を行い、28461票を集約しました。今年は、憲法改定は昨年以上に差し迫った問題です。全国の個人、団体のみなさん、昨年を越える参加を達成するために、ぜひ全国投票に取り組んでくださいますよう呼びかけます。
   2008年3月20日
 呼びかけ人
  雨宮処凛   作家
  安斎育郎   立命館大学教授
  井口秀作   大東文化大学法科大学院教授(憲法学)
  伊藤 真   伊藤塾塾長
  伊藤成彦   中央大学名誉教授
  上原公子   前国立市長
  岡本三夫   広島修道大学名誉教授
  奥平康弘   憲法学者
  きくちゆみ ハーモニクスライフセンター/グローバルピースキャンペーン
  金城 睦    弁護士
  小出昭一郎  東京大学名誉教授
  斎藤貴男   ジャーナリスト
  高山俊吉   弁護士 憲法と人権の日弁連をめざす会代表
  寺尾光身   名古屋工業大学名誉教授
  毛利正道   弁護士
       事務局 野田隆三郎(岡山大学名誉教授) 090 6837 2425
                    tohyou9@yahoo.co.jp

デートDV防止教育活動始めました

2008年04月20日 | 過去の記事
デートDV防止ひろしま、という
 デートDV防止教育プログラムを実施するグループを立ち上げました。

 
ご存知ですか?

●DVは大人だけの問題ではありません。
 10歳代~20歳代の時、交際相手から「身体的暴行」「心理的攻撃」「性的強要」のいずれかをされたことがある女性は13.5%います。7人に1人の割合です。
 20歳代の女性に限ってみると22.8%です。4~5人に1人の割合です。(2006年内閣府)
 デートDVは身近な問題です。

●身体への暴力だけがDVではありません。
 言葉や態度による心理的暴力や性的な暴力などによって深く傷ついている被害者が大勢います。たとえば、『交際相手の携帯メールを勝手にチェックしてアドレスを消去する』『セックスを無理強いする』『別れるなら自殺すると脅す』など

●DV加害者の多くが若いころデート相手にも暴力をふるっています。
 身につけてしまった暴力のパターンを変えるのは大変なことですが、デートDVが起こる前に、対等で尊重し合う健全な関係について学ぶことで、DVを未然に防ぐことができます。

●知識を得ることで暴力から離れることができます。
 デートDVの被害者の多くは、自分が暴力の被害者であることを認識できていません。暴力を受け続けることによって自分を責め、孤立し、どうすることもできないと感じてしまいます。それが暴力の恐ろしさです。

●デートDV被害者が初めに相談する人の多くは「友人」です。
 その友人がデートDVを理解していないと、被害者は2次被害を受け、さらに傷つきます。学校やサークルでデートDV防止教育を実施することが、被害者を支える役割の友人にとっても非常に有効です。
また、自分への不当な暴力を解決するために、大人の援助を求めやすくなります。

 ぜひあなたの地域に・学校に呼んでください。