元祖 ひまうま本舗

「ひまうまの世間は、鬼ばかり?」後身blog

規則に合った事?

2024-04-05 07:35:41 | 訃報




指揮者の小澤征爾さんは言う。「楽譜に書いてある通り、非常に几帳面にやって、規則に合った事をやって、「はい、これで終わり」の演奏会をされたら、みんなバカバカしくなって、音楽会に来なくなっちゃいますよ」と。曾ての新即物主義はそうだった。昔話で恐縮だが、そのひとつの砦的な存在の指揮者にヘルベルト・V・カラヤン(氏)なる名匠が居た。アンチも居り、それに対する砦はカール・ベーム博士(実際に法学博士だった。)だった。(だがベーム博士も新即物主義者だった。そんなオチがある。)確かに浪漫主義は19世紀を代表する表現方だ。なので20世紀は、その反動だったと言う訳だ。しかしながら譜面の音を正確に再現するには、それに似合う技巧が必要だ。だからこそ基盤にある音楽性がものを言うのだろう。その点では、小澤征爾さんは新表現主義と言える。実際、譜面の裏の音に対する拘りは素晴らしいものだった。集中力も然りだ。



話は変わるが、いつもカセットデッキの回転ムラのチェックに使っているマウリツィオ・ポリーニさんが弾く、ショパンのポロネーズ集があるが、そのポリーニさんも技巧派で知られた。流石、1960年のショパンコンクールの優勝者だ。当時は18歳だった。当時に録音されたレコードの演奏なんぞを聴いていると、「こんなに粒立ちが良く、細かい音まで聴こえるショパンがあったかしら?」と思う程だ。本当に素晴らしい技巧のピアニストだ。だから後年に発売されたショパンのポロネーズ集は、賛否両論で、演奏に魂がないだのと言われたものだ。とは言え小生、ショパンのポロネーズをまとめて聴いたのは、ポリーニさんの、そのレコードが最初で、然も当時の友人から譲り受けた物だった。実はそれ、その友人が小学校の卒業式前日に突然、脳溢血で亡くなったお父様が聴いていた曰く付きの物。「形見で持っていた方がいいよ」と当初は断ったのだが、「好きで聴いている人の手に渡った方が父も喜ぶ」と言われたので譲り受ける事にした。それ以来、何かにつけて、そのレコードを聴いている。さてそのポリーニさんだが、実は今年の3月23日に北部ミラノの自宅で亡くなっており、「そう言えば」と、そんな昔話を思い出していた。人は一生のうちに色々な事を体験するものだ。享年は82歳だった。御冥福を御祈りする。小生が学生時代に夢中になった音楽家は、気がつけば、そんな御歳である。



マウリツィオ・ポリーニさん死去 世界最高峰の伊ピアニスト、82歳
https://www.jiji.com/jc/article?k=2024032400018&g=int


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