バソコンと同じようにできるか?のお試し
しかし文字が打ちにくい
画面画面小さい
やはりスマートフォンはTwitterくらいしか使えないかな?
プレビュー画面見たらなんとかできそう
明日から頑張ろう
スマートフォンからの投稿
久御山3-5滝川二
滝川二 初優勝
昨日今日行われたサッカーの試合
日本VSヨルダンとこの試合
見ていて面白かったのは高校サッカーの方
勝負に徹しているための相手のサッカーと
今ひとつチームになっていない代表チーム
それがあって見ていても不完全燃焼
結果的に吉田のヘッドで同点にしたのはホッとしただけ
長友、疲れがたまっているのかいつものキレがない
少し心配
内田 球際の競り合いにひ弱な感じ
松井のコンディションはどうなんだろう
代表の方はこんなものにして、高校サッカーの方の話題に
好きなタイプは久御山の方だけれど
ちょっと勝てないかな?
の予想通りの結果
(公立高校が私立に勝ちきるのは難しい
練習量、選手の質、そして勝負への執念
ここら辺が差となるのではないかと思ったが、、、)
勝負を決めたのは FWの体重の差
フトそんな気がした
1点目のシュートでも上手く相手をブロックしていたが
体の強さがあっての事
4点目のシュート直前でもコートの真ん中辺り
久御山の選手は倒れていたが
そして久御山の選手の倒れるシーンは随所に見られた
確かにテクニック、素早い動きでゴール付近まで行ける
しかし、最後の最後になってもう少しフィジカルの強さが
ないとゴールにシュートは入らない
これは昨日の香川でも同じ事
上手いポジション取り、トラップ
しかし、最後のシュートに迫力がない
最後には力強いボディーバランスが必要
(メッシは小さくても体の強さがある)
日本人の体型が骨太というより華奢なので
大型FWは育ちにくいのかもしれない
(その意味では高原にもう少し頑張ってもらいたかった)
前半に久御山は風下でボールを前に運びにくい状況だったのが
運がなかったのかもしれない
それに最初のチャンスに決める事ができていれば、、、
それでもよく闘った!
と言うのが正直なところ
見ていて面白いサッカーだったし、継続してほしいサッカーだった
興味があるのはどんな練習をしていたのか?
という事
しかし、それなりの身長、体重のある大型の選手
しかも一人でシュートまで持っていけるタイプの選手
出てこないかな!
大迫は上手いけどまだ細い
宮市辺りが順調に育ってくれればいいけど、サイドに流れそうだし、、、
またまた話がそれてしまった
だが高校サッカー、パスばっかり、走力ばっかり、組織戦術ばっかりでなく
ドリブルで仕掛ける様になったのは良い傾向
(と言うより自分の好きな方向に進んでいるだけ?)
それにしても、どんな練習をしているのだろう久御山高校
本山がもう少し屈強なフィジカルだったら
小野が怪我しなかったら
名波がもう少し走るのが速かったら
中田英がもう少しコミュニケーションを取りやすい人物だったら
久保が肝心な時、腰痛でなかったら
本田がもう少し速く走れたなら
前園がマスコミの寵児にならなかったら
中村俊がピークの時ワールドカップがあったなら
KAZUにもう少し運があったなら、、、
日本のサッカー界はもう少し変わっていたかもしれない
サッカーの神様には、どうもたくさんの生け贄が必要なようだ
いつかは落ち着くところに落ち着くとしても
その時に生きている当事者は
理不尽な運命に甘んじなければならない
でもそうやって人は強くなっていく
いや
強くなっていくしか無いのだ
勝ち残ったのは久御山の方
(2-2からPK戦で)
「久御山のバルサ」
テレビでの解説にそんな言葉があったが
なるほど、確かにバルサを思わせる
なんでも週に一度、全員でバルサのゲームを見ているとか
本当に良い練習を積んできたのだと思う
バルサに似ているのはパスワークじゃなくて
そのやろうとしている姿
スペースのあるところでは自らドリブルで仕掛けていくとか
相手の逆を取るフェイント、ボール扱い
ボールを失ったときの素早いアクション
そして無闇矢鱈と蹴ってしまわない事
こうした事が当たり前の様にできている
一方流通経済大柏の方はたくましいチーム
闘い慣れていて実践的に強いチームの印象を持った
前半は久御山の今までそんなに経験してきていない(?)パターンの
選手たちの動きに惑わされた感じだが
流石にグランパス入りの決まっている吉田が入ると
部分的に大人のサッカーをしはじめた
後半ゲーム終了直前で同点にしたのは立派
で、自分に参考になったのは久御山の方
組織がうんぬんという前に
相手があって、その目の前の相手とどう闘っていくか
それが一人一人の考えとスキルでクリアされているところが
自分らのチーも、そうありたいな!
そのためにはどんな練習をしたらいいんだろうか?
ホントよい刺激を受けた
日本語で話されているけれど、これは外国の映画
これが映画「ノルウェーの森」を見た感想
フランス映画っぽい!
そこで思い出した映画が「愛人/ラマン」
原作はマルグリット・デュラスの自伝的小説
「愛人/ラマン」指同士で性的な交わりを連想させるシーンは
エロティックで「ノルウェーの森」でのこってりした描写は
まるでこれがお手本みたいな気がした
さて映画自体は、原作を読んだ事がある割には内容はさっぱり覚えていなくて
確か自殺した人がいて、それが後を引きずっていて、、、
位な事しか覚えていなかったので余計な先入観を持たずに見る事ができた
楽しめたか?
と言う問いには「yes」
と答えてもいいかもしれない
不満が無いとは言えない、しかしそれは映画にというより
原作への不満の方が大きいかも知れない
そう、映画自体はそれなりの世界を作っていた様に思う
心象風景のような映像、そして音
しかし、多分自分が村上春樹の熱心な読者でない所為だろうが
この生活感の無い登場人物たちには少し抵抗感があった
生活感の無い登場人物、それは1Q84でもそうだった
そして、その事によって村上春樹の世界が独自のもの
あるいは小説空間の効果を上げているのだろうけれど
この「熱気」の無さは、
「どこか違う!」と思わざるをえなかった
「愛人/ラマン」でも、雰囲気的には似ているフランス映画「突然炎のごとく」でも
同様に理不尽でもどこか熱があった
それは生きている証と言うか、生きているからこそ間違いも起きる
といったメッセージも(今なら)感じる事ができる
小説家という人々は自分を切り刻んでいる人種
全部が全部そうではないかもしれないが
そう言う人たちだと思っていた
技術論だけで済ませていけないような
なにか訳の分からないものに闘いを挑んでいる連中
そんな風に思っていた
村上春樹氏はそうでないとは言わない
だが、何故だろう
何かが違う!そんな思いが消え去る事が無い
多分それは自分が古典的な小説世界に馴染み過ぎている所為もあるのだろう
「カラマーゾフの兄弟」「シッダールタ」「ウイルヘルムマイスターの修業時代」「雪」
そこには物語の中だけでなく、作家自身の闘いが反映されて
その苦悩自体に頭が下がった
村上春樹氏についてはこれくらいにして
映画に戻れば、懐かしかったのは学生運動の風景
大衆団交を要求するシーン
またスローガンを書きなぐった看板
それらはそんな時代だったと記憶を呼び覚ましたが
残念ながらここでも何故だが熱気が無い
べたべたと張ったステッカーも整然としすぎだし
看板の文字も綺麗すぎて、、、
もっとも汚く書いても汚く張っても、
あの当時の雰囲気は出ないかもしれない
あの雰囲気は時代だから出たものかもしれない
この映画「ノルウェーの森」の一般的な評価は自分は知らない
ただ自分の評価ならば
見ても損は無い、
いや見る価値はある
と言っていいかもしれない
しかし、見終わって数時間経って
あまり残っていない様に感じるのも事実だが
「何でも鑑定団」に登場する鑑定士のうち
誰だったか忘れてしまったけれど、見分けるコツは
「たくさん見る、これしか無い」と言った人がいた
(言い回しは違ったかもしれないが、だいたいはこんな内容)
勿論、ぼんやり見るだけでは何年経っても身に付かないに違いない
それなりに勉強して!が前提での話
これを骨董品でなく囲碁、将棋の世界に置き換えると
話は分かりやすくなるかもしれない
強くなる為には必死に闘うしかない
音楽の分野でも上手く演奏するには
また批評家にしても適切に批評するには
数を踏むしか無い
普通の市井の人々は骨董品、勝負事、音楽を
いつも経験する訳ではない
しかし、買い物は何度も、それこそ腐るほど経験する
だから本当は買い物のプロとして
物の値段を見抜く力がつけばいいのだが
残念ながら、どこどことの比較、前日との比較はできるけれど
モノ自体の価値観を見抜く事は欠けているようだ
最近、もの凄く得しなくていいから
適切なものを適切な価格で求めたい!
そんな気がしてならない
なのに、目の前にある商品は
値段だけが異常に安くなった商品ばかり
そしてメディアもこればっかり取り上げる
なんだかなあ、、、
人はそんなに価格だけで動くものではないと思うのだけれど、、、
昨年のヒット商品(?)にグルーポンがある
自分が田舎に住んでいる所為か、サービス提供の店から
離れているので関係ないが
このグルーポン、正直言って好きじゃない
特典にありつけないからではなくて
そもそもの発想自体が何か違和感を感じる
臨時のサービスを、特定の人に、無駄無く
しかも当事者も客も得する!
こんなにいい事は無いかも知れないが
説明できない(硬い頭の)感情がどうしても起きてしまう
なんだか人間に必要なものは損得だけと
判断されているようで
これがその違和感に近い思いかもしれない
それと通販でも
これこれで~~円、おまけにもうひとパック付けて
更にもうひとパック付けて、お値段変わらず~~円。
この商法も好きじゃない
そもそも最初からその値段で設定していたのではないか?
と思ってしまう
おまけに付けるとか、更に割り引くというのは
気分的にはいいものかもしれないけど
もうそろそろ卒業してもいい頃じゃないのかな
誰だって損して商売するはずが無いし
適正な儲けを確保するのは当たり前
それを商売上のテクニックだけで何とかしようとするのは
先が見えてしまってしらけてしまう
でもなあ、そう言う自分も
安物買いの銭失いは、痛いほど経験している
(自分だけ得しようとして)
結局、人間様の欲、こいつが一番厄介なものなのかもしれない
たしかにお釈迦様の言う通り、、、
結構携帯から見てるんだ「ブログ」
ブログのサービスにアクセス解析があって
ブラウザという項目を見ると
「EZweb」「docomo」がチラホラ見られる
(圧倒的に多いのは Internet Explorerだけど)
そう言えば携帯から投稿できる機能もある
でも携帯から長い文章は少しキツい
(だからダラダラと長い自分のは利用しない)
そこで携帯からの投稿者は
ブログは簡単な短いものになる
でも短いものって、読むには楽でもなあ~
Twitterでもブログでも見るのは(読むのは)
知り合い、有名な人のもの、自分にとって役立つ情報のもの
しかし、だからといって自分のがどれに該当するかは
皆目見当がつかない
まあ、とにかく携帯からのアクセスは馬鹿にならない事だけは
つくづく実感する次第
初詣を兼ねて犬山に行った
肝心の初詣、成田山はチャチャと済ませて
かねてから気になっていた城下町の散策
本町通を歩いた(案内窓口でアドバイスをもらった)
何かしら落ち着く町並み
何故か?
と考えてみた
まず必要以上に道幅が広くない
何か寄り添っている感じで、隣近所の感情の行き来まで濃密そう
そして建物の高さが一定、というか飛び抜けているものがない
つまりヒューマンサイズ
街が歩いて暮らしていけるサイズになっている
東京の馬鹿でかい建物、
それはそれで人間のある面の凄さを感じさせるけど
最近はそんなのはちょっと疲れてしまう
やっぱりこのくらいのサイズがいいかな!
本町通には無料で開放された町家、旧磯部邸がある
たくましい梁と高い天井
品のいい和室(当たり前か!)
趣味の良さとか文化とかが
見栄を張る為ではなく、もっと生活に密着したかたちで存在している
本当の豊かさはこんなんでは?
(もっともそれには財力が必要か!)