人は何かを考えると言うより、何かを感じて生きている
その感じたことは直ぐに忘れられるのではなく、割合と長く心に残っているようだ
今年読んだ本を眺めてみると、今年の今までの関心事がよく分かる
とりあえず最後のページまで行ったものは
去年よりは読むペースが若干速い
だが夜の読書は年々しんどくなってきている(白内障、かすみ目で)
何といっても前半の主役は「源氏物語」だった
これはつくづく読んで「得した」と感じた
読んでない人に対する優越感もさることながら、読むことによって一気にいろんな世界が広がったからで
京都に行く楽しみが増えたし、何よりもゆかりの地で楽しむ気分が今までとはぜんぜん違う
それに平安時代の奇妙な風習(結婚のしきたり、歌の交換、仏教の影響)などが、この国の人たちは
このように生きてきたのだ、、と実感を持って感じられた
物語自体も「若菜」のあたりから物語から小説に変わる気配で、宇治十帖は今の時代でも充分に
通用するドラマティックな展開と心理で、読んでいて時を忘れるほどだった
(まさかこの物語でそんなふうになるとは思っていなかった)
次は政治がらみのこと
といっても現在のリアルな誰が、、といった話ではなく、もう少し漠然とした一般論的なもの
何故人はそのように行動するのか、、といった、そもそもの部分をちょいとかじってみたくなった
そこには最近の怒りっぽいネトウヨの存在や、庶民の(?)過激な言葉に反応する傾向に対する不思議さも
気になっているからだ(世論、群集心理、従順という心の病、そして職業としての政治)
続いて「主戦場」「東京裁判」の2つの映画と、「御前会議」「226事件」「拝謁記」のNHKの良心的な番組の
影響で「帝国の慰安婦」「天皇機関説事件」この他に再読中の「それでも日本人は戦争を選んだ」(加藤陽子)が
気になって仕方ないし、これはまだしばらく続きそうな雰囲気(多分今の政情に不安を感じているからだ)
本を読んだところで現実には何も行動していない、、
というのが、実生活者のこの手の人間(読書家)に対する厳しい言葉だが、
ガラス玉演技名人が象牙の塔で生きることの意味を説いたように(?)
本を読んで何かを感じるということは、それがみんなにできることではないし、そのように感じる事自体が
何らかの意味とか存在価値があるのではないのか、、、と思うようにしている
ところでアマゾンの欲しいものリストには、
「自発的隷属論」エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ, 西谷 修
「パンタレオン大佐と女たち」M.バルガス リョサ, 高見 英一 (慰安婦に関する小説らしい)
が待機している
でも気になるのはやはり今の世の中に漂う嫌な気配のこと
見て見ぬふりをしたり、無関心でいることは、、
過去から学べばアカンということになっているのだが、、、