中日新聞の日曜のコラム欄「視座」は
内田樹氏、田中優子氏、目加田説子氏、宇野重規氏が
入れ替わって執筆しているお気入りのコーナーだ
昨日の担当は宇野重規氏
その中で彼が問題視するジャーナリストのあり方は
実は自分もずっと思っていた
いくら政治家という人々は権力闘争の本能に囚われている
(マックス・ウェーバーによると)
としても、近くで見聞きするジャーナリストが人々に伝えることは
権力闘争の成り行きとか裏話ばかりでは
それが戦国時代の生き残り作戦や覇権争い的に面白くても
個人に特化しすぎては本質を見失うことになりそうな気がする
政治評論家の肩書をもつ田崎史郎氏は、自分は権力闘争に興味がある
政治を仕切るのは勝ち残った人物だから、、的なことをあるとき口にした
だかその過程としての権力闘争の内情を伝えるのは
そして、その情報を持っている特別な評論家として生きているのは
実は政治家たちにうまい具合に利用されているかもしれない
そしてそれでわかった気になる人々は
今は織田信長が有利な状況、秀吉は虎視眈々と狙っている、、
とかいう戦国時代好きの者のお楽しみの話と何ら変わりない気がする
そもそも良き世界を実現するための政治的な事柄は
人としての誰かと誰との権力闘争するよりは
経済、社会的課題、人権問題、貿易、防衛、教育などが複雑に絡み合い
素人がポイントを抑えて理解するのは困難だ
(理解するにはある程度腰を据えて構えるしかない)
それを素人は直感的にわからないから
政治家の出自を紹介したり、趣味を紹介したり、
甘いものが好きとか、、つまりは誰でも分かる話に
紙面や時間を割いているのが実態だ
だが、これは藤井聡太さんの将棋の凄さを理解できない素人が
対局中に食べるスイーツに寄せる感覚と同じような気がする
彼の食べるスイーツは将棋の本質とは関係ない
(紹介されるお菓子屋さんにはめったにこないビッグチャンスだが)
きっと何事も難しいことは容易に理解できることはないだろう
何回か経験して、考えて、時間が経って、
それでやっと心にストンと落ちる理解に進むのだと思われる
最近タイパという言葉が流行っているようだ
また倍速で録画を見る人も多いようだ
だが、時間がかかるものはかかるもの、、と開き直って
本質を理解しようとしたり、名著に挑戦するほうが
実は前に進めるような気もする
この意味で、報道は啓蒙を適度に含んだ精緻なものが望ましい
(わかりやすさ優先ではなくて)
まとまらない話!