どうしても気が滅入る
「歴史の終わり」(フランシス・フクヤマ)とかヘーゲルが思ったようには
世界は理想のもとに完結する(予定調和のような)ものに行き着かない
まるで何処かに隠れていた暗い情念のようなもの
それこそが力を持つ様に思えてしまう
このウクライナの事件を思うとやりきれないので無理やり他のことを考えようとする
(あのロシアの女性ユーチューバーは眠れられないようだ)
本棚にあった「マルクスを再読する」を再読した
いつものことだが、ページの端が折ってあって読んだ形跡はあるのだが
悲しいくらい覚えていない
だが今回は、ものすごくリアリティをもって読み終えられた
そもそもマルクスに興味を覚えたのは「何故そんなに嫌われるのだろう?」
と思ったからで、それは怖いもの見たさみたいな感情だ
だが流石に「資本論」にはお手上げで読めていない
彼の操る概念や用語は慣れていないのですぐにはわからない
とは言うものの、その後いろんな本(シュンペータの本)やら
動画を見て(テンミニッツTV)大枠は頭に入ってきた
すると、マルクスの考えたことに対する自分のイメージはだいぶ修正された
それ力づくで何かを変えようとするのではなく、歴史の必然として
社会はかわることを考えて(期待して)いたようだ
原始共産制、古代奴隷制、封建制、資本主義、それから社会主義にいたる流れは
人が理性のみで生きているのならばあり得る話かもしれない
だが、今回の事件のように残念ながら人の中にはどす黒い情念があり
わかりやすく言えば世の中には悪人もいるという現実は
(なぜ悪人が世の中に存在するか?は横において)
人の世を単純化して語るのは間違いだと思えてしまう
マルクスの考えで、なるほどと思ったのは、実は彼のオリジナルな考えではないようだが
商品についても考え方で、交換可能な商品には労働というものが反映されていて
その労働が搾取されている、、、とする考え方だ
それをすべて認めるわけではないが、そういう考え方もあるのと刺激を受けた
この本はすでにいくらかのマルクスの著作を読んだ人向けで
ほとんど読んでいない自分は読み飛ばしただけだが
現時点でマルクスを再読する意味を伝えている
ベルリンの壁が崩壊した時点である程度の結論は出ているが
それでも理性と洞察力、そして人を思いやる人としてのマルクスの言い分は
むしろ今の世界にこそ必要なのではないか、、という気持ちにはさせられる
読み終わったばかりは興奮で頭が整理されていないことが多い
この本の内容が自分に定着するにはもう少し時間がかかりそうだ
だが今は読んで良かったと実感している
人に説明できるくらいなのが一番いいのだが、、自分の力量では無理か、、、