昨日の新聞の片隅にフィッシャー=ディスカウが亡くなったことが載っていた
それ程好きなタイプの人ではなかったが、自分にとってはパバロッティよりも
親近感はある
だが、こんな小さな扱いではなくもっと大きく扱われるべきではないか
とフト思ったりした
世の中はもうこの手の人には関心がなくなってしまったのか?
哀悼の意を込めて彼の名唱が聴けるレコードを引っり出してきた
そのレコードとはシューベルトの「冬の旅」とマーラーの「さすらう若人の歌」がセットになったもの
そして聴こうとしたのはマーラーの方
この演奏が凄い、なんと指揮がフルトヴェングラー
フルトヴェングラーとなるとブルックナーはイメージできてもマーラーは合いそうになさそうな気がしてしまうけれど
この演奏はそんな事は微塵も感じさせない
マーラーも初期の作品だからフルトヴェングラーにも合ったのかどうかは分からないが
最初の数小説からまさに音楽の世界に浸ってしまえる
深々とした大きな呼吸の演奏の中で、フィッシャー=ディスカウは知的になると言うよりは
若さに身を任せて、その時期にしかできない演奏を繰り広げている
この演奏自分は本当に好きで、バーンスタイン・ワルター・バレンボイムなどを聴いても
なにか上滑りの深みがないように聴こえてしかたない
マーラーが合うの合わないのというより音楽にのめり込んだフルトヴェングラー
そのニュアンス・音色 素晴らしい
話はフィッシャー=ディスカウからそれてしまったが
彼の歌ではヴォルフのゲーテの詩による「ガニュメート」の
バレンボイムとの演奏が、むせ返る花の感じがしてとても好きだ
ここでもフィッシャー=ディスカウというより伴奏のバレンボイムの
ピアノの方に耳が行ってしまっているのかもしれない
あとはマタイのイエスとか、タンホイザーのヴォルフラムがいいかな
「冬の旅」はハンス・ホッターの朴訥とした演奏が孤独感・寂寥感を際立たせて
何度も聴く気にはならないけど、一番のお気に入り
ただ曲集の中の「春の夢」は音色の変化がぴったり決まったフィッシャー=ディスカウも
捨てがたい
そんなこんなで、フィッシャー=ディスカウを聴くつもりでいたのが
連続して聞いたのはフルトヴェングラー指揮の演奏
真っ先に浮かんだのが1938年 ベルリン・フィルとやったトリスタンとイゾルデの
前奏曲と愛の死
同じ曲の別の時期の演奏のレコード・CDも持っているけれど
なぜだかこれが一番好きだ
フルトヴェングラーが50代の気力も充実してたころの現役バリバリの演奏
シンフォニックな感じが好きなのかな?
そういえばまたまた話は飛んで
「愛の死」はホロヴィッツのラスト・レコーディングの
演奏も雰囲気があって。濃厚なロマンティシズムが感じられて好きだな
こんな風に話が飛ぶところを考えると
どうやら自分はフィッシャー=ディスカウのよい聞き手ではなかったようだ
ライバルのヘルマン・プライの方に無条件に共感を感じてしまえる自分がいる
でも上手いな
ということは間違いない
そしてあのビロードのような声も
チョット知的な部分が耳障りに感じることはあっても
やはり別格の天才の一人だったと思わざるをえない
しかし、世の中はドナ・サマーの死を大きく扱っても
フィッシャー=ディスカウのそれはおまけみたいな扱い
ここに(文化・教養の欠如の進む世界の)不安を感じるのは余計なお世話か